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抽象化と解像度

日々業務をこなす過程で自身の成長速度の遅さが浮き彫りになったように感じていた今日この頃。理由は一つではないと思うけど、一つには個別具体に事象を捉えすぎていて、そこでの経験・学びに汎用性を持たせられていないのではないかという仮説を思いつき、要素抽出という観点から細谷功著『アナロジー思考』を読んでみた

この本を読んだ段階では、抽象化について及び抽象化を用いたアナロジーについて(著者なりに)系統だってまとめられており、内容としても面白いと感じる一方で、そこから大きな学びがあったかと聞かれると、そこまでは実感できていなかった

そんな折、以下のツイートが流れてきた。この編集者さんのコメントが(実際のところは計り知れないけど)的確で、少なくとも漫画家さんがうまく理解できていない部分を経験豊富な立場で解きほぐしているようにみえた
注目したいのが「モノローグのレベルの低さ」についての考察。ここでは「感情表現の技術がまだ未熟」とされているけど、それに対して提示されている対処法を見るに、原因は技術的な拙さはもちろん、人間の感情に対する解像度が低い(ゆえに上手く表現できない)ことにもあるのではないか。そんな風に感じていた

そして、昨夜放送の『最高の教師』第7話である。好きで観ていたドラマだが、今話が異常に面白く感じたので自分なりに考えてみると、このドラマは人間の心理心情を描くのがすごく丁寧で、上手なのではないかと思い至った
例えば、第7話のHRのシーン。一人の学生が吐露した「わからない」という言葉
「含みを持たせる趣」という実写の良さを踏まえると、どっちつかずの表現が一概に悪いとは言えないが、少なくともドラマにおいて必要以上に尺を使ってしまうことはタブーのように思われる。それでもなお、時間を使ってまで見せたこのシーンは、ドラマをドラマに留めない、とてもリアルな感情表現にみえた。難しいことを考えたくない、考えても答えが出ない、そんな状況に置かれた人間の感情として「分からない」が出てくるのは、非常に的を射た見せ方だと思った
そして、先ほどの編集者さんのコメントを踏まえると、このドラマの製作陣は、もっというと脚本家の方は、人間の感情に対する解像度が途轍もなく高いのだろうと感じた

ここまで来て『アナロジー思考』の内容をふと思い出した。この本では、アナロジー思考の文脈で村上春樹氏のインタビューが引用されていた。自分なりの解釈を書くと、要は「人間の感情はうまく整理しなければ個別具体な事象として放置されてしまう。反対に、整理すれば感情もある程度まとまりを持ち、普遍性を帯びてくる」ということだと理解した
ここでいう「整理」とは、①そのときに感じた感情について仔細を把握する(解像度を高める)ことと、②その感情はいつどのタイミングでどの程度の強度で現れるものなのか等を把握する(抽象化する)ことを指している

かなり遠回りしたが、本を読んだだけでは至らなかったレベルへと、もう一段深く「抽象化」を理解できたような気がした。つまりは、抽象化とはそれ単体では実現されず、先ずは個別具体の物事の本質にいかに近づけるかという意味での解像度の高さが必要だということだ。これができてこそ抽象化はより効果を発揮するのだろうし、反対にこうしたアナロジーが通用するならこういった側面もないだろうかと物事を見定める力も強化され得る。抽象化する力と解像度高く物事を見る力というのは相互に独立したものではなく、互いにフィードバックを与えるものなのだと思う

ここまで来ると最近流行りの『解像度を上げる』がより一層読みたくなってくるので近々読んでみようと思います

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