見出し画像

中和

甘いものを食べる時には必ずコーヒーを飲む。なぜかわからないけど、甘いものと苦いものを中和しながら食べて飲んでいる。中和してしまったらゼロになってしまいそうだけど、こればっかりはゼロにならないらしい。甘いものは甘いものだけでは食べれないし、苦いものは苦いだけでは飲めない。そんな大人なのか、おこちゃまなのかわからない体になってしまっている。
子どもの時には苦いコーヒーの代わりに、しょっぱいポテトチップスかせんべいなんかを中和する材料として使っていたと思う。今思うとしょっぱいもので中和するなんてもったいないなって感じてしまう。しょっぱいものがあるのなら、ビールを中和の材料にしたい。
大人になるにつれてコーヒーやお酒が飲めるようになり、甘いものとしょっぱいもので中和していたのが、甘いものとコーヒーのセットになり、しょっぱいものとビールのセットになった。
言うなれば、甘いものとしょっぱいものが付き合っていたけど別れて、少し大人なコーヒーやビールとそれぞれ付き合ったみたいなことだろうか。わざわざ言ってみたもののあんまりしっくりきていないので、この案は没です。
言うなれば、日本人が何を食べるにも白米がなければご飯を食べた気にならないのと同じことだろうか。甘いものを食べたとて、コーヒーがなければ甘いものを食べた気にならないし、しょっぱいものを食べたとて、ビールがなければしょっぱいものを食べた気にならない。
もちろんそんなことは、もちろんないですが。白米があると最高なのにな。という感覚と同じだということです。これはうまく言えたかな。白米中和する材料の代表みたいなものだから、当たり前といえば当たり前だが。
この世には中和せずに最高のものなんてないように感じる。あるとすれば中和反応といえばの水くらい。(酸の水素イオンH+と塩基の水酸イオンOH-とが反応して水を生成することを中和反応といいます。)←水の中和反応すら忘れていたので調べました。
水に近ければ近いほどそれ単体でも最高なんだということに気付いた。これは意識してみないと気づかないことかもしれない。緑茶とか、麦茶とか、紅茶とか、、、ここでお茶しか思い浮かばない自分のボキャブラリーの少なさに嫌気がさします。
何に対して、水が最高なのかはわからないけど、水のように飽きることのない存在って無いよね。

追記
中和することによって体の中に水を作り出しているのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?