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漫才

僕はお笑いが好きです。漫才師が好きで、自分たちの会話と動きだけで笑いをとる姿にあこがれます。歌舞伎や能といった日本の伝統芸(?)みたいなものは知識がある人じゃないと見ていても面白くないけど、漫才は大衆に対して作っているから何の知識がなくても面白い。好きなものに対してこんな説明をすると俺なんかがそんな簡単に語れるものじゃないという感情が起きるので、今のは頭の中ではdeleteキーを長押ししてます。なので次からが本文です。

僕も漫才師を目指してます。ですが、早くも夢破れました。なので、漫才師を目指していましたということになります。養成所に通ってコンビを組んだのでまだ結成して三か月くらいです。とっても短いですが、漫才というものに少しだけ触れることができました。
解散の理由は、
・相方といえど友達ではない
・自分の作ったネタを面白くないと言われて腹が立つ
・賞レースに出すネタで、どっちが作ったネタを披露するか揉める
・常に鼻毛が出てる
・ラジオをするとしても相方に興味がないから話すことない
・ネタ合わせってめっちゃ時間かかる
・そんな長い時間を友達じゃない人と一緒に過ごすのは苦痛
・主導権を握りたがられる
・俺の予定まで把握したがる
・俺の家で飯食うな
・アイコスならオッケーっていつ言った!?
・鼻毛出てるぞって言えるあいだがらじゃない

たくさん出したようだけれど、結局は友達じゃないということだけなのかもしれない。友達なら俺んちで飯食ってもいいしアイコス吸ってもいい。鼻毛出ててもいいし。ちなみに僕は友達が鼻毛出てても言ったことはない。
解散が決まってから友達にこういう理由で解散するということを伝えても、それなら俺が相方やってやる!って言ってくれる友達もいない。こんなにも相方見つけるのって難しいんですね。売れるってそこも含めて、一握りなんだなと感じます。面白いものを作ることができても、その人とずっと続けていくことができなければ意味がない。とにかく続けることができないと何事もダメなんです。

そもそも僕は人と合わせるということが苦手なのかもしれません。一人でコツコツする作業のほうが好きだし、趣味もなるべく一人でできることのほうが好きです。ご飯も一人で食べたい。一人で寝たい。
僕がいくら面白くなろうと、僕が一人を望むのなら幸せって何なんだろうか。誰を笑わせたくて面白くなろうとしてるのか。幸せな家庭を気づきたい欲もなく。売れてお金持ちになりたいわけでもない。俺の幸せが一人で完結することができるのなら、幸せって何なんだろうか。もしくはすでに幸せなのかな。
ただ誰かに面白いと思われたいという承認欲求のために僕は生きてるのかもしれません。

こんなにも暗い気分になるとは想像していませんでした。漫画「おやすみプンプン」の雄一おじさんが電車にひかれて死のうとする時の気分を今味わいました。何が生きることの支えになっているのかを今知りました。
だからこそ、たくさんの人の前で笑いをとるまでは死ぬことができません。(そもそも「ワンピース」が完結するまでは死ぬつもりはありませんが。ワンピースの結末を知らずに死んでいった人たちはかわいそうすぎますね。)
笑いをとることだけを考えます。ピン芸人として頑張ります。ピン芸人もぉ~漫才。(カウス師匠風)

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