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映画「バービー」を見てきた。人間賛歌。

映画「バービー」を見てきました。序盤は「何を見ているのだろうか?」と思いながら見てました。あまり見ないような物語だったので「どうなっていくのだろうか?」と途中から考えだして、楽しめました。
バービーは普通の女性です。と言っても、自分のやりたいと思うことを行なおうとしています(時に諦めそうになるけれど)。ヒーロ作品のヒロインのように何か特別な力を持っているわけではありせんが、それでも強い女性としての描かれています。素晴らしいですね。

物語はバービーランドにいるバービー(バービーランドにはたくさんバービーがいるが、この物語の主人公は定番型バービー)が、自らの異変の原因と回復のために人間界にいく物語です。
バービーランドという概念がよく分からないですが、バービーとその関連したおもちゃが自由に動ける世界とゆるく考えればいいのかな。そこらへんはあまり深く考えないことにします。
バービーランドは女性優位世界のようです(バービーは女性型のおもちゃで、人間の女性ではないですが、バービーランドは女性優位世界の象徴として描かれているので、バービーは女性として考えます)。女性優位というより、恋愛などを第一にしないで(そういう概念すらなさそうです)自分の行いたいことを自由に行なっている。その結果として、女性が能力を発揮している世界なのかなと思います。男性(ケンというバービーの恋人がいます。ケンはたくさんいます。あと、アランという存在もいました。物語の後半ケンがバービーランドを男性優位世界に変えますが、アランは男性なのに関わらずそれに反対のようでした。アランはゲイなのかな? と思って調べてみましたがそうでもなさそう。服も虹のような多様な色なので、LGBTの象徴と同じなのかな? なんて思いましたが、違うみたいです。ゲイでなくてもみんながみんな、男性同士の力の誇示みたいなコミュニケーションが苦手な人もいますしね。の割にはアラン格闘がものすごく強いですが)にとっては、女性に好かれることが第一のようです。
ただし、女性も強い女性でいるためには踵を地面につけてはいけないなど、男性でいう力の誇示のようなことは意識しないといけないみたいです。私は男性なので明言はできませんが、現実でもいい服を着るなどで張り合ったりしている方もいると思います(女性のみならず、男性でもそういう人はいますが)。
私は知らなかったのですが「セルライト」という状態があるんですね。
セルライトや踵が地面につく、死を考えてしまうバービーは自分の異変を回復させるために、現実世界に行きます。

ここまではトロピカルな映像とバービーの美しさで見せているような気がします(女性の現実世界での在り方などをテーマとしている作品で、こんな感想いうのも良くないような気がしますが、バービーの美しさで作品通して見てしまった気もします。あまりこんなことは思わないのですが、ほぼ常に笑顔だったので微笑ましくみられたのでしょうか?)。異変にどう対処するのかも、楽しみですね。現実世界に行く途中でケンがついてくることがわかるのですが、私はケンがついてきたことに対して、バービーが喜ぶ、もしくは表に出さないまでも内心一人での旅にならずホッとする思いましたが、バービーは全く嬉しそうでもなさそうです。守る存在、ヒーローとしての男性がついてくるとなったら、女性(少なくとも物語上の女性)は喜ぶものだと、自分は考えていたんだなと思いました。考えを改めさせるられる瞬間があるのは良いですね。
ついてくると決まれば「楽しく行こうぜ」の精神で、バービーは受け入れしまいます。その感じもいいですね。
バービーが現実世界に行く描写は、全く価値観が違う世界に行き困惑するSFのような物語となります。現実世界の歪さを、架空の世界と比較した形で描きます。そこで向けられる目線は、バービーにとっては不快なものであり、ケンにとっては賞賛の目と感じます。
それ以外も現実世界は女性にとっては辛い側面が、男性にとっては良い側面がこれでもかと描写されます(女性目線の描き方は私にはわからないので「女性にとっては現実の世界で生きることの大変さ」を考えさせますが、男性目線の描き方はかなり戯画化されているなとは思いました)。
バービーは自分の異変の原因の要因となる女の子サーシャ(と言っても学生。女性と女の子の間の年齢を表す単語はなかったかな。男性で言えば青年という単語のような)を見つけますが、バービーが女性の地位を落としているとまで言われます(バービーランドでは女性優位だったので、バービーのせいというより現実世界での女性が役割を押し付けられているからの問題のような気もしますが)。
この後はバービーがマテル社に捕まったり、逃げたりがあり(マテル社の役員は全員男です。調べましたがバービーだけの会社ではないのですね。なら、男性だけ役員の可能性もあるかな、女性のおもちゃ専門なら男性だけが役員はあり得ないと思う。それにしても、バービーの宣伝になるとはいえ、会社を少しディスる描写をマテル社はよく許したな、と思いました)、バービーとバービーの異変の原因となったサーシャとその母親グロリア(バービーの変化は本当はグロリアが原因。出会ったことで、バービーの異変は治ったのか?)と共に、バービーランドに戻ります。この親子は仲がよそよそしい感じでしたが、物語を通して心を通い合わせていきます。この二人の物語も、一つのテーマかなと思います。二人が仲良くなっていく、子が親のことを考える(これも母としての女性の問題かと思います)ようになっていくのは良い展開ですね(一緒に歌を歌う場面など見せて、心の通いあいがわかる)。

バービーランドに戻ると、そこは男性優位世界になっています。現実世界で男性優位の世界を体験したケンが、現実世界の理をバービーランドにも持ち込んでしまったのです(「なんとかドージョーランド?」ややこしい名称を何度もケンが言うのは面白かった)。バービーたちは、男に好かれることを第一に考えるようになっていました(これが全面的に悪いとは思いませんが、自立して生きれるということが選べることが前提であればですが。日本でいえばですが、現実世界ではまだまだ女性が自立した生き方を選べる割合は低いかと思います。男性でも自立して生きてる人なんで少ないと思うかもしれませんが、比較すれば女性の方が少ないでしょう)。
ここからが物語として面白くなってきますね。こんな解決が見えない問題を、どう解消するのか。
解決方法は、現実世界からきた女性が、自立した女性の姿を訴えるというかたちでした。
物語のなかにとけこませながら、テーマを暗喩ではなく直喩で伝える、なかなか新鮮な形でした。直喩だと説教くさくなってしまうところもありますが、暗喩で「何となくこういうことを言いたいだよ」という形も、考えされるという点で面白くはあるのですが、直接言われとパワーが違いますね。
バービーランドを男性優位世界に変える選挙の日を、男性同士の争いで反らせるというのは「男性のお互いの力の誇示」を戯画化していて面白いですね。争いと踊りはなかなか楽しくみられるのですが、だんだん「男ばかり見せられるな」なんて思っちゃいました。
バービーランドはもとに戻ります。

マテル社の人もバービーランドに行くんですね。ケンがバービーランドを支配してしまったので、現実世界ではケンの人形の方が売れてしまって、これは問題とバービーランドに向かいます。マテル社の人は自由にバービーランドに行けるんですかね。ここら辺は適当なのかな?
この人たちが面白くもあるんですけれどね。

バービーはもうバービーランドに残ることを選びませんでした。人としていきたいと望みます(ここら辺はちょっと記憶が曖昧です。作中で「変わりたくない」と言っていたので、心が変化していますね)。
バービーを最初作った人と出会い、人ととして生きることの辛さを伝えながらも、映像として女性として生きることの素晴らしさが流れます。ここは感動しますね(感動はしましたが映像が流れることによって女性に対してのものと感じられなくもないです。まあ、そういう映画ですが。映像が流れるまでに少しためがあります。その間、わたしは頭の中で「人間の素晴らしさ」を想像していました。想像させて素晴らしいとも思ってました。映像はなくても感動はできたと思います)。女性に限らず、人間として生きる素晴らしさを伝えているようにも感じました。まさに「人間讃歌」。
人と生きることを選んだ(変化した)ことからも、人として生きること(成長し、老い、死に至る)自体の、変化すること自体の素晴らしさをうたっています。
現実世界で堂々とバービーが産婦人科で通う場面で物語は終わります。
「産婦人科」というのは象徴なのでしょう(物語としては産婦人科に行くのは人間としての、女性としての自分の確認でしょう)。「産婦人科」に行くと妊娠したなど、そういうことばかり言われ、居心地が悪い感じもしたのでしょう。それ以外にも行くことはあるのに。そういう人が多いなか、どうどうと「産婦人科」に行くバービーは女性の希望としての存在として、物語の中でサーシャに「女性の地位を落としている」という言われ、そういうイメージのバービーから変化していますね。
作中の人物自体に変化はないですが(人間になることを選んでいるので内面に大きな変化はありますが、見た目など他者から見た時の変化)、周りの評価が変わるという珍しい形の作品ですね。こういう形もありなのか。

テーマは何でしょう「現実世界での女性について考える」ということになるのでしょう。それをバービーという、架空の世界の中だけでは女性優位な設定のおもちゃを主とすることで、現実世界の歪さを見せるというSFのような設定が素晴らしい。
おもちゃの視点から見た現実世界を見せることによって、世界の見方の違いを感じさ楽しませる。
バービーランドでは、色彩豊かな映像。実際は人間が演じているわけですが、どこか異世界を感じさせる(常に笑顔)演技。踊りとかも見ていて楽しかったですね。まあ、正直現実世界に行くまでは「何を見ているんだ」とは思いましたが。
そして、バービーランドに戻ってからは(戻るまでに少しカーチェイス)、この男性優位になった世界をどう戻していくのかと、楽しみに思わせ、その過程の痛快さ(うまくいきすぎにも見えますが。作品としてはコメディですし、いいんじゃないでしょうか)。男性の争いの場面も少し長いですが、見ていて面白いです。
バービーランドがもとに戻って、ケンが「バービーを目に入れている、時が幸せ」(全ぜセリフ違うと思うけれど、こんなこと言っていた)というのは、印象的ですね。ケンはおもちゃとして役割を演じていてそう思っている。
バービーが人間になる選択するところは感動します。涙は流さなかったですが、この感動は「本物の感動」と思いました。
サーシャとグロリアの関係から、親子や母としてのテーマも見えますね。
SFと考えても面白い。異質のものと出会い、バービーは違和感を感じ、ケンはその影響で生きていく世界を変えてしまう。コメディなので、少しおかしい感じに描かれていますが、この設定でもっと残酷にも描くことは可能ですね。
異世界に行ってそこでの工程を主に描くのでなく、そこから持ち帰ったもので変化してし待った世界を描くというのは珍しい形の物語ではないでしょうか(異世界に行く過程はよくわからないですが。映像も含めて、面白くみてました)。

バービーが人形ということで、現実世界に行けば、そこには「必ずしも受け入れらないかもしれない」という可能性が、バービーの見た目上の動きとともにあり、見ている人を飽きさせません。バービーランドに戻れば、そこは今までと違った世界。そこにも「受け入れらない」可能性が生まれています。ケンにも動きがありますしね。多層的な動きを感じると、面白く感じますね。
これは、面白くする技術のひとつで、一番は「何か新しいことを見せてくれる期待」だと思います(そういう期待がないと「見たことあるな」と思ってしまいますしね)。

ケンは妙に馬にこだわっていけれど、そういう設定なのかな?

冒頭の女の子が赤ちゃんのおもちゃを壊すところは、壮絶でしたね。そして巨大なバービー。興味は持たせられると思いますが、少し残酷に思いました。

日本ではSNSでケチがついたとはいえ、世界興行収入今年一位なんですよね。そして、世界的に有名なおもちゃであるバービーを題材に使っての作品(日本だと人形はリカちゃんが強いのかな。最近だどバービーは日本で売られてない?)。話としても面白い。作品が、日本だと動員ランキング初週八位のようです。どんなに有名でも、宣伝文句が強くても売れないこともあるんですね。難しい。

面白い作品でした。男性であればSFとしてみれば楽しめると思います。


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