記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

映画「ゼロ・ダーク・サーティ」をPrime Videoで見ました。9年間を描く。

ウサーマ・ビン・ラディンの隠れ家襲撃するまでの経過を、CIA分析官マヤを中心に描いている。

冒頭、映像はなしで9.11で被害にあっただろう人たちの声を聞かされて、「これから始まる物語は現実にあったことなのだろう」という気持ちになった。見ているうちにだんだんと「映画作品自体はフィクションだよね」という気持ちに変わっていく。とはいえ、9.11は事実であり、ビンラディンの襲撃も事実であるので、ドキュメントを見ているような気持ちになる。

ビンラディンの隠れ家襲撃が2011年5月で、この作品公開が2012年12月らしい、ずいぶんと早い。9.11については、その当時もすでに成人だったので、現在(2020年)でも、第二次世界大戦を思うように歴史という感覚はない。なので、この作品も現実と地続きとして私は見ていたのだと思う。

物語はマヤがCIAパキスタン支局に配属された2003年から始まって、ビンラディン襲撃の2012年に終わる。特徴的な出来事があった時代の冒頭に年を見せて、描いていく。年代記的に見せていく。ドラマのタイトルのようなものを見せてもいる。

人質に対し拷問(「身体を欠損させたりしないんだな」。なんて思ったが、「国がやっているのだからそんなことしないよな」と見ていて思った。拷問自体が問題になることも劇中で語られる)などしているのにも関わらず、ビンラディンの手かがりはなにひとつ見つからなかった。ビンラディンに近いと思われる、連絡係の情報を知らされる。

マヤは執拗にその情報を追うが、他の協力は芳しくなく、ビンラディンに近づく確定的な情報は得られない。そして連絡係の死を知らされる。

連絡係は死んでいないことを知り、また捜査を始め、ついに隠れ家を見つけるが、ビンラディンがいるという確定的情報がみつからず、隠れ家を見つけてから襲撃まで2年かかる。

実際の捜査はこのぐらい時間かかるんだなと考えさせられ、マヤの忍耐力、理解されないことを信じて続けることは信念には驚嘆させられた。テロ組織と戦う、ということの物理的な危険さ。劇中では、女性であることに対して、男性の同僚や作戦実行者から侮蔑的なことを言われることは一切ないのだが(捕まえた男を裸にして、マヤに見せる場面はあった。これはセクハラにあたるかな)、女性でありながら暴力を伴う現場にいることの大変さを想像させられる。

最後、ビンラディンの死体を確認した後、マヤは飛行機に乗る。涙を流すマヤの顔のアップを長時間映す。任務を全うした喜びだろうか? 任務の中で死んだ人々を思い出しての涙だろうか? それともすべてが終わって虚しさなどを感じたのだろうか? いろいろ考えさせられる。良い終わりかだだった。心情の変化も表しているよね(緊張からの解放とも取れる)。


更新情報はtwitterにUPしてます! フォローお願いします!

https://twitter.com/yuto_mori_blog

テーマを探求を中心とした映画ブログ書いてます。リンクは下記です。


映画の感想や、小説風の日常の記録でみなさんを楽しませたいと思っています! よろしくお願いします! 楽しめたら「スキ」「サポート」など頂けたら嬉しいです!