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映画「窓ぎわのトットちゃん」を見てきた。変わりゆく世界の中で、個人の悲しみは顧みられない。

映画「窓ぎわのトットちゃん」を見てきました。
大変良い映画でした。楽しめました。娯楽作品として面白いかと言われると、わからない。
太平洋戦争が始まる直前の時代、トットちゃん(黒柳徹子さんのあだ名)がトモエ学園で過ごした数年間(主に低学年時の描写が多い)を描いた
物語です。
原作を読んだことがないので原作での描写されている時間はわかりませんが、映画作品だとトットちゃんがトモエ学園をいた期間を切り取って作品にしています。戦争による疎開によりトットちゃんはトモエ学園を離れることになります。教室が電車なのはユニークですね。
東京への空襲でトモエ学園は焼かれ、無くなります。トットちゃんが疎開先に行くための電車の描写で物語は終わります。戦争のみを主に描いている作品ではありませんが、一つのテーマとして「戦争」がある作品で、戦争の終わりを見せずに作品を終わらせるのは珍しいと思います。「トモエ学園」での日々が作品の核となっているので、これで良いとは思います。

「面白いかと言われれると、わからない」といったのは、この作品に強いカタルシスのようなものがある作品ではないと思ったからです。落ち着きがないトットちゃんがトモエ学園の中で成長してはいきます。何かがあって「成長」する、それは物語のカタルシスとなると思うのですが、それを劇的に演出してはいません。それよりも、あるがままを受けいるれるトモエ学園にいたからこそ、トットちゃんは自分でいられる。トットちゃんの成長はあると思うのですが、自分が自分であるからこそ、トットちゃんは優しく、成長して変化して優しくなったわけではないように思えます。
トットちゃんの変化よりも、作中では一番友人として描かれる小児麻痺(片手、片足が不自由)の泰明ちゃんの成長のほうが強く描かれています。
校長先生に「君はいい子(優しい子だつけ?)」と言われ、トモエ学園の中でありのままで生活できたトットちゃん。泰明ちゃんもまたトモエ学園にいたのだから、ありのままで受け入れられていたとは思いますが、それでも病気で臆病になっていた。その泰明ちゃんにありのままであったがゆえの優しさが、泰明ちゃんを変えていくことになります。その象徴として木登りが描かれます。象徴と言っていますが、自伝なので本当にあったことなのでしょう。作品の中で、そのエピソードが象徴として選ばれたということであって、実際にはそれだけで泰明ちゃんが変わったとは思いませんが。あとプールの描写などもありましたね。
変わっていった泰明ちゃんが時にトットちゃんに勇気を与えくれもします。
トットちゃんが飼っていたひよこが亡くなった時、「トットちゃんといられてひよこも楽しかった」と言います。これは泰明ちゃんが自分にも重ねていたのでしょう。
そして戦争が始まり食べ物がなくなってきた時、歌を歌ってそれ紛らわせようとしますが、大人に怒られとっとちゃんは泣きます。そのとき泰明ちゃんはリズムで歌を表現します(学園の授業でそういう場面がありました。それが、ここに活きます)。

トモエ学園の描写とともに、直接ではありませんが戦争が近づいて来ることが示唆されます。トットちゃんのトモエ学園での楽しい生活と、戦争という二つの構造で物語は進みます。
軍国主義に変わっていく町、いなくなっていく男性(改札で切符を切る人が、途中でいなくなります。徴兵された描写はありませんが、それを想像させます)、貧しくなっていくトットちゃんの弁当。トットちゃんの家庭は、相当な裕福な家庭だと思われます。そんな家庭でも日々の食事に困るのかと思いました。トットちゃんのお父さんは音楽(バイオリン?)を仕事としています。食事をもらえるのに軍歌を弾くことを拒むので、政府に対して協力的ではないとはいえ、裕福でない人と同じように食事に困ります。例え、それが政府に協力的であっても同じでしょう(よほどときの権力者に近ければ別ですが)。現代であっても非常事態においてはお金は過多で待遇の違いはあまりないのかもしれません。もちろん、元からない人にはもっと過酷な待遇になるとは思いますが。
あまり戦争を題材している作品で、没落を描くのではなければ裕福な家庭の描写などはないように思うので、自伝なのでありのままを描いたと思うのですが、戦争を描いた他の作品との違いがあります。
ある時間に年を経た時、飼っていた犬がいなくなるのも、映画見ている時は「亡くなったしまったのか」と単純に思いましたが、人間が食べられない時、犬は飼えませんよね。作中では語られないのでわかりませんが、寿命や病気とは他の理由でいなくなったのかもしれません。

トットちゃんに本を貸したまま、泰明ちゃんは亡くなります。トットちゃんは悲しみで街を走る中、街はより軍国主義の色が濃くなり、大歓声で兵隊を送る、兵に憧れる男の子、片足をなくしている男性の描写。トットちゃんの個の世界と、社会の世界が対比して描かれます。
この場面はどう考えればいいのでしょうか? この場面は映画を作った方の描きたい描写だとは思うのですが、難しい場面です。
泰明ちゃんが戦争の犠牲者であればわかりやすいと思うのですが、泰明ちゃんの死について詳しい説明はありません。体が弱かったので、元々の病気で亡くなったのだとは思います(戦争がなければ助かった命かもしれませんが)。
何かこうだと断言できるような、自分なりの答えが私には思いつきませんでした。ただ個の悲しみと、社会という大きな世界の対比が何かを考えさせようという強い力になっているは感じます。
あと一つなにか、説明するような要素があれば何かしらの答えは出るのかもしれませんが、この作品ではそれしません(私が気づいてないだけかもしれませんが)。
人の心には時に、簡単に説明できなような感情が湧くことができます。それを理解しようとするのでなく、ただ感じるだけでいいのかもしれません。トットちゃんも、泰明ちゃんの死について言葉では語りません(大事な借りていた本を落としてしまいます)。過剰な演出でトットちゃんが泣くこともありません。ただこの演出が、トットちゃんの悲しみが複雑なものであることが伝わります。人間の感情の複雑さを描いている、のかもしれません。大きな世界の中で、この悲しみは顧みられないことを描いいるのだろうか。
色々、考えさせられて素晴らしい描写と感じました。

卒業式のような形で、トットちゃんとクラスメートは

最後に泰明ちゃんの死という劇的なことはありますし、トモエ学園は空襲で亡くなります。
ただ物語としては、たんたんとトモエ学園の生活を描いているだけです。劇的に動くわけではありません。時に入る、ミュージカルのような場面(トットちゃんや、泰明ちゃんの幻想)は見ていて楽しい動きがある場面もありますが。ドラマとして感情が激しく動くような作品でもありません。創作の物語と自伝では違いますし、きちんと飽きないように演出はされているとは思います。私が面白いと思っている形とは、別の形の作品です。しかし、私は楽しめた。
「物語の面白さって難しいな」と思いました。人物への興味で魅せているとは思います。トットちゃんは個性的ですしね。私は「黒柳徹子さん」に対しての興味はそれほどないので、純粋にトットちゃんの魅力が作品で描かれていたのだと思います。トットちゃんや、泰明ちゃん以外のトモエ学園の子供たちも個性的で良かったです。校長先生については作中でそれほど魅力は感じませんが、「考え方」については興味を持ちました。子供たちの「ありのまま」を受け入れているので、あまり怒ることもなくドラマも生まないんですよね(トットちゃんの担任の教師な怒っている場面はありましたが。あと、戦争ついても)。トモエ学園がなくなる描写と同時のセリフから前向きな人だとは感じます。

自伝なので、アイディアがあってそれ起点に考える創作の物語とは違いますね。自分の生涯からどこを切り取って何を伝えたいのかが大事になると思います。トモエ学園の素晴らしさ、そこでの生活で楽しかったこと、それをなくした戦争理不尽などが描きたかったのだろう、と思います。
当時として(今でも)異質な考え方をしているトモエ学園という存在が、この自伝を物語としても特徴的なもにしているのだと思います。
良い作品でした。おすすめです。


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