「耳をすませば」に対する日本図書館協会の抗議

先日、実写版の「耳をすませば」を観ました。スタジオジブリの「耳をすませば」が好きで、その続編と聞いていたので、実写版も気になっていました。観た感想は今回は書きません。

この作品(ジブリのほう)が公開されたとき、日本図書館協会から抗議があったそうです。今回は、そのことについて思うことを書きます。


図書館協会の抗議概要

「耳をすませば」の主人公は読書が好きな中学生の女子で、自分が図書館で借りた本の貸出カードに、いつも同じ名前が書いてあることに気づき、その人物に興味を抱くところから話が始まります。

この本に挟んだカードで貸出を管理するシステムは、プライバシー侵害の懸念があり、アニメ版の映画が制作された当時からすでに東京都の公共図書館では使用が中止されていたそうです。そのため、「耳をすませば」の描写が事実と異なると抗議があり、映画のDVD化の際にはテロップが入る結果になりました。

「抗議」という表現は、ぼくが読んだ文章から引用しています。具体的にどんな意見や行動があったのかは知らずに書いています。

貸出カードによるプライバシー侵害のリスク

映画を観た方ならわかると思いますが、単に「作中の図書館がまだ古いシステムで運用していた」という問題ではありません。主人公が貸出カードから他の利用者に興味を持ち、特定しようとするのです。

映画を観た人が、「図書館で本を借りるのは怖いかも」と感じても不自然ではない内容です。借りた本の内容によっては、名前や嗜好だけでなく、持病などのよりセンシティブな情報が漏れるリスクがあります。そういった背景も知っておくべきでしょう。

明らかな嘘には苦情が出ない

超能力や宇宙人が登場するフィクション作品は多いですが、それに対して「事実と異なる」と怒る人はいません。それは誰もがフィクションと理解しているからで、現実と混同されるリスクが小さいからです。

一方、「耳をすませば」の図書館という舞台は、観客の日常に近く、事実と異なる描写が現実世界の認識に影響を与えるリスクがありました。実際の図書館の利用に影響する可能性があったのです。

影響力の大きい作品は抗議されやすい

「耳をすませば」の原作は、「りぼん」という漫画雑誌で連載されていた同名の作品です。しかし、検索した限り、原作のほうには抗議はなかったようです。

日本図書館協会が原作には抗議しなかったのは、原作を知らなかったという可能性もありますが、おそらくスタジオジブリほどの影響力はないと判断したからでしょう。スタジオジブリに抗議したのは、特別な感情があったからではなく、影響範囲による違いだと思います。

フィクションに対する抗議の正当性

フィクション作品が嘘を含むのは当然のことですし、創作や表現の自由は認めるべき、というのが僕の基本的な姿勢です。しかし、「耳をすませば」に対する日本図書館協会の抗議は正当だったように思います。

映画の内容は、現実の図書館の運用方法やプライバシー配慮を誤って理解させ、利用者に不安を与える可能性がありました。そのため、日本図書館協会は、誤った情報が広まらないようにメッセージを発信する必要がありました。念の為に断っておきますが、これは原作者やジブリが悪いという話ではなく、両者は異なる立場にあったというだけのことです。

「抗議」という言葉にネガティブな印象がある

こういうとき、「抗議」という言葉だけを聞くと、反射的に「野暮なことを」と思ってしまいます。「創作の自由を認めてあげるべきでは?」「フィクションと現実はみんな区別できるだろう」と。

しかし、実際には制作側の自由や権利は認めつつ、丁寧に自分たちの立場を説明する対話が行われていたかもしれません。日本図書館協会側が誤った情報が広まらないように発信や行動をすることは正当な行為ですが、「抗議」という表現によって、ネガティブに受け取られてしまうのは残念なことです。

繰り返しますが、具体的にどんなやりとりがあったかは知らずに書いています。言葉の印象で決めつけるのは良くない、ということが書きたいだけです。

制作側にストーリーを変更する義務はない

対して、抗議を受けた側は「変更させられた」と解釈されがちです。しかし、どのような要求があったにせよ、創作や表現の自由は認められているので、変更の義務はありません。

スタジオジブリは、抗議があったから仕方なく変更したのではなく、社会的な影響に対する責任感や配慮によって、自発的にテロップを追加するという決定をしたと受け取るべきでしょう。「抗議に屈した」と考えるのは失礼で、見くびっていると感じます。

まとめ

個人的には、「耳をすませば」にテロップが入るのは邪魔ですし、そんなことをしなくても、図書館が貸出カードを使っていないことは知っています。しかし、それでも図書館協会は抗議すべきだったと思いますし、ジブリがテロップを入れる判断をしたことは素晴らしいと思います。

抗議に似た表現に、「反論する」「異議を唱える」などもありますが、これらもネガティブな印象を持たれがちです。しかし、利害関係の異なる立場と対話をして、お互いを尊重した決定をするには、立場の違いを明確にするプロセスは必要で、本来はネガティブなものではないはずです。こういうアレルギー的な反応は気をつけたいと思います。

いつもは「です・ます」調で書かないのですが、今回は間違えてしまいました。特に意味はありません。次回から「だ・である」に戻ると思います。

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