素晴らしく、引き込まれる話であってもその魅力を文字にするのは難しい

研修など人前で話をする機会をいただくと、自分の人間性や、拠って立つ哲学が対峙する場にそのまま出てしまうことを感じます。

よく、何をするか(doing)ではなく、どうあるか(being)が大事だと言われますが、人と向き合う仕事は、半分くらいはスキルや言葉ではなく自分自身の在り方が仕事をしてしまうというくらいに思えます。

私は学生の頃、授業を受けながら、ある先生の授業は、雑談が多くて落ち着きのない時間なのに、別の先生の話は、引き込まれるようにぴりっとした雰囲気に包まれ、あっという間に授業が終わるというように、授業中に起きる場の雰囲気の違いを不思議に思ったものです。

それは同じ科目で、同じ教科書の内容を話したとしても、生徒がとる態度や授業の雰囲気は大きく異なります。

もちろん内容を面白く、わかりやすく教えているかどうかの違いも一つでしょうが、それだけで説明がつかない、その人の持つすべてが、その場に現れて教室を包んでいるように感じていました。

同様に、社会人になって、経営者に取材して原稿をつくるときに、対面してお話を聞いた時は、社長が創りだす雰囲気や言葉が素晴らしく、引き込まれていくように魅了されるのですが、その内容を後で原稿に文字でまとめてみると、必ずしも他の方と異なっていたり、特別魅力的で独創的であるお話内容というわけではなく、あの魅力がなぜうまく文字にのらないのだろうと悔しく思ったり、悩んだりということがありました。

こうした経験からも、私たちが魅力に感じて、引き込まれるのは、その方が話す内容だけでなく、それを使う人の持つ人間性なのだと思います。

それは、たくさんのことを経験したり、深い知見があるということで磨かれていくのか、あるいは天性の何かが元々備わっているのかはわかりません。

いずれにせよ、人前に立って感じたのは、そのように意識せずに私が場に与えている影響に気づくことです。

自分自身が場にどんな印象を持たれたり、影響を与えやすいタイプなのか、ということは無自覚であることが多いように思います。

このことをきちんと理解して、自分の特徴とうまく付き合うということは大事だなと思います。

また来月もよろしくお願いいたします!

VOL54 2014/11/30                                                                                         sakaguchi yuto

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