成長していくときの残業と、停滞しているときの残業

今回は残業について書いてみたいと思いす。

皆様は若いうち(今でも?)どれくらい残業をしてますか。

私自身の話をすると、一緒に働いたことのある同僚はよく知っているのですが、20代は日付が変わるということも週に何回か、土日も朝はゆっくり起きるものの、昼からは企画書をつくったり、日常業務ではできない調べものをしたりと自他ともに認めるワーカホリックでした。

今でも、私のスタイルは本質的には変わっていません。
労働時間の総量は減ってはいるのですが、やはり考え方として仕事が中心の
生活を今も続けています。

これだけ働き方改革が言われるようになり、残業規制も厳しくなりましたが、自分の行動の結果を引き受けるのは自分であるので、会社の判断だからと無目的に時間で仕事の時間を切るということはしていません。

私は何かを追求することが好き、もっというと自分の性質にも近いと感じていまして、自分らしさを保つために、あるいは自分の喜びのために時間の許す範囲で知りたい、追求するというスタイルを維持するようにしています。

同時に、私のようなタイプでない人がいて、いい悪いや優劣がないということも、無理なく今は理解できるようになりました。

ここでも書いたことがありますが、以前、マネジメントで失敗したときは、自分の価値観を相手に押し付けて、非常に職場に悪影響を与えました。

https://note.com/yutosakaguchi/n/n484fd2cea592

人に自分のように働くべきだという感情を持つことは、相手に否定的な感情として伝わるものです。そのことが本質的に職場をよくすることにつながらないと身に染みてからは、楽になりました。

私より上の世代、いわゆる経済が成長していた時期はもっと皆さん働いていたようです。

土曜も半日勤務が通常、終電帰り、タクシー帰りという話も聞きました。
ですが、今のように残業が憎むべき悪のようなイメージではなかったようです。

もちろん過労死やうつ病などの深刻な問題を無視するわけにはいきませんので、許されない過酷な労働もあったに違いありません。

しかし、時代の空気として、あるいはそこで働く人の感覚として、
忙しかった当時のことを楽しそうに、充実感とともに語られることもよくあります。

今の残業がその時と比べて違う風に感じるのはなぜなのか。
私はそこを、価値観の違いだけで説明できないと感じています。

同じ残業でもその仕事の中身が後ろ向きで、意味を感じにくいもの、あるいは評価されないものになってきているということはないでしょうか。

以前は儲かっていて、供給が追いつかないからもっと働くという種類の残業
が多かったのではないでしょうか。顧客に求められ、それが企業の成長、給与や昇進につながっていく実感が得られたものでした。

一方で今の残業は損失をカバーしたり、今の売上、利益を落とさないように
無理をしたり、今のままではダメだからと新しく試行錯誤して苦しんでいるということの中で起きているものかもしれません。

成長していくときの残業と、停滞を抑えるときの残業はまったく違う経験だと思います。

前回、マネジメントの難易度が上がっていること、そのために現場のコミュニケーション強化をどう行っていくのかが人事トレンドの一つになっていることをご紹介しました。

私はこれは、経済が縮小している時代に、どうやって若手に仕事の中で
成長できる実感を感じてもらうか。学び、自分の将来がつながっていく感覚を得られるかが課題となっていると感じます。

たくさん働き、量でカバーした先に充実感のある仕事経験が得られるという時代は全体としては終わり、その可能性は減りました。

その意味でも仕事のやり方そのものを見直すことが必要になりそうです。

また来月もよろしくお願いいたします!

2018/12/31 VOL102                                                                                sakaguchi yuto


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