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サイコパスに憧れて

"したいことはする、したくないことはしない"が自然とできる人が羨ましい。


僕は、今までにやりたいことを比較的やってきた方だ。一方で、無駄にあれこれ考えてやりたくても諦めたこと、やる必要もないけどやったことも沢山あった。

今年の4月から社会人となり、自分の意思や欲に背いて行動することがより増えた。言い訳としては、(時間や周りの目から)制限されることが増え、それに伴って消極的になってしまった。自らをハンドリングしきれていないのが現状だ。 


「やらない後悔よりやった後悔をしよう」「やらない理由がないなら動け」とよく目・耳にする。そんなことはわかってる。理解してるつもりだ。それができないから苦労している。

自分の場合、どうしてもやりたいことはリスクを取ってまで"やる"と意思を固められる。なのに、日常的な些細な欲求は何故だか満たせない。例えば、面倒な頼み事を断る、思ったことをストレートに伝えるなどだ。

些細なことに関してはできない理由はわかっている。「これをすると彼・彼女はよく思わないよな」という自分勝手な共感能力が、自然にブレーキをかけてしまうからだ。また、やらなくても自分に大きな影響はないとも思い込んでしまう。勇気を出さず、少し我慢すれば済んでしまうのだ。

しかし、小さなことであってもチリツモだ。「あの時あーしとけば今頃は...」とタラレバになることは多い。複利的に回していけば自分にとってかなりの影響がある。(環境を選ぶ側と選ばれる側の違いはそこでも生まれてるのかなとも思う)


「もう学生じゃないんだから」「そんなのほとんどの人が我慢してるわ」と言われればそれまでなのかもしれない。それでも、精神年齢ガキんちょの自分にとって、思い通りにいかないのはムズムズしてしまう。

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「それじゃあ、ロボットと同じじゃないか!」
僕の心の中にいる少年革命家ゆた〇んが叫ぶ。

そんな革命児に触発されて考えた末、2つの方法を実行するようにしている。

まずは、自分がサイコパスだと思いこむ。

サイコパスは、利己的で結果至上主義。感情に執着がなく、手段を選ばずに行動することができる。結果を残してる人にサイコパス気質な人は多いのも事実だ。彼らは、残酷な一面を除けばかなり魅力的な存在である。ただ、サイコパスにそのままなろうと言うわけではない。「感情に執着しない」という要素だけを抽出して真似をしてみる。

「なんだか、自分に正直じゃないなぁ」と感じた時は、サイコパススイッチをどんどん押していこうと思う。


それでもダメなら、「自分の人生があと100日だとしたら?」と想像してみる。

数年前に、『100日後に死ぬワニ🐊』が話題になっていたが、あれを自分に当てはめてみる。

仮に自分の命が残りわずかであればどうだろうか?やりたいことを我慢するだろうか?

我慢するはずがない。結果はどうあれ後悔しないで終わりを迎えられるようやり切るに違いない。


こんな感じで、時にはサイコパスになり、また時には残りわずかの人生をイメージして、よりストレスフリーな毎日を送りたいと思う


P.S.
noteにやると宣言したことで、後に引けない状態してみました。自己満上等です。あくまで、自分勝手に振る舞おうではなく、自分に正直に生きてみようと思います。

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