僕という人間が”書くこと”の価値を考える
真剣に(何度目か)僕自身の「書くこと」の価値ってなんだろう?と考えてみました。
このnoteで、読んでくれる人たちがいて、そしてブログを読んでくれる人たちがいて。
その読んでくれる人たちに対して、ありふれた「単なる情報」ではなく、またなんとなく面白いだけの「日記」でもなく、僕自身が書くことで提供できる「価値」のことです。
そもそも今の時代、情報なんていうのは溢れかえっているわけです。
例えば、単なるハウツーだったら、僕という人間が書く意味がない。だって、それぞれの領域においては、すごくわかりやすい本やネット上での情報というものはたくさんあります。
それでもなお、例えば「書くこと」を通して、世の中に何かを発信したいと思っている(僕のような)人間は、控えめに言って図々しいのだと思うのです。
なぜか。
それは、「何かを書いて発信したい」ということは「いま、世の中にある情報よりも、自分が書く”何か”の方がいい」と思っているわけです。
そうですよね?笑
現代の”書くこと”は「新たな情報」ではなく「体験」が価値になる
これだけ情報が溢れかえっている世の中で、何か「新しい考え方」や「新たな情報」が価値であり続けるのは至難の技です。そうではない。
例えば、小説もビジネス書もそうですが、文筆家の人たちにとって、あるいは特に新参者の人たちにとって、世の中へ提供できる価値は「新たな情報」ではなく「例え話」です。
要は、情報そのものは新しいものというのは(余程のことがない限り)ほとんどなく、その旧知の情報を「例えば」で展開していく力のことです。
有機的に教養の広がりを持って、色々な事象を「例えば」で繋いでいくことだということです。
これは「書く」という仕事を「ビジネスとして」出版業界を見つめるとわかること。
こういうことを書くと色々物申したい人たちもいるとは思いますが、編集者や出版社の方々、そして「プロとして」物書きをしている人たちにとっては、常識だということです。
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これはこうしてブログやら何やらでものを「書き続ける」ためにも必要なことだと思っていて、
一時的に風穴をあけるには「キャラ(個人がいかに際立つか)」と「わかりやすさ」です。これは大事。
ですが、それを継続するには、その人の実力が必要になります。
そしてその両方(「風穴を開ける=実績」と「継続」)に必要なのは、本人の「体験」であるわけです。
翻って、僕という人間が何かを書いたり表現したりして、それが誰かにとって「価値のあるもの」となるためには、どういうことを考えれば良いのか。
ということを、しばし懸命に考えていたわけです。笑
方法論は溢れているからこそ
「裏・方法論」に価値を見出す
たとえば、僕という人間の今と今までを切り取った時に、大学生活や就職活動、キャリアの軸、あるいは20代にしてコンサルタントとしてマーケットに価値を生み出していく方法論などなど。
それはそれでわりかし読まれると思うし、それなりに書きたいこと、伝えたいこと、表現したいことはたくさんあります。
でも、果たしてその(言うなればハウツーのような)方法論的な情報でいいのか?
と立ち止まった時に、実はそれらを生み出す行間の考え方、思考習慣というような裏・方法論こそ、僕が本当に書きたいことで、かつ、僕が書くべき内容なのではないか、と考えるようになりました。
僕はもともと、物理学を専門にしていたからもあると思いますが、あらゆることの原理・原則を見出すことがモチベーションの源泉です。
いうなれば、「方程式を作り出すこと」ということです。「方程式を使って問題を解くこと」でも「方程式の使い方」でもないのです。
そんなことは、僕ではない誰かがやってくれます。
物理学者の仕事は、方程式をつくるところまでです。
その後の作業は、スパコンに投げれば、ガチャガチャっとやってくれるわけです。
だから世の中の理論物理学者というのは、事象(物事)を見つめ、その中から「原理・原則」を見出そうとし続けるのです。
なぜならば、さらにその源泉にあるのは「知りたい」という知的欲求だからです。
長くなりましたが、僕がやりたいのは、そういうことです。
僕が書きたいのは、そういう一つ一つの「裏・方法論」(=「裏・方程式」)を言葉にして発信していくことです。
やります。
以下、僕の人生の捉え方と、読んでくれる人の参考になればという思いで
1)自分自身に与えられた「才能」の見つけ方
2)自分のタイプは「職人気質」か「チャラ男気質」か?
3)10代、20代は自分なりの「辞書」を作る時代
4)選択の軸を作り上げる
について書きます。よかったら読んでみてください。
1)自分自身に与えられた「才能」の見つけ方
「gifted(ギフテッド)」という言葉があります。
英語で「gift(ギフト)」という言葉は「与える / 授ける」という意味です。
「gifted(ギフテッド)」という言葉は「天から授けられたもの / 才能」という意味の言葉ですが、
自分なりのgiftedを見つけよう、ということです。
自分自身に天から与えられた「才能」を見つけましょう、ということが僕のベースの考え方にあります。
僕は基本的に「素質論者」です。
言うなれば「才能論者」ということ。
人は誰しも何かしらの「才能」(「役割」と言い換えても良い)があると思っていて、それらは
「遺伝子」+「幼少期の環境要因」+「20歳までの教育環境」
で決まるというのが僕の論。人生の考え方のベースにはこの論があります。
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