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三日間の幸福

『三日間の幸福』を読んで私が考えたこと。


自分の寿命を売れるとしたら、あなたはどうしますか。
物語は、こんな突拍子もない(と言えば聞こえは悪いが)問いかけから始まる。主人公の彼は、生活に困って本やCDを売りに行った先で“寿命を売れる店”の話を聞き、その場所を訪れた。
査定価格、30万円。「買取最低価格で、一年あたり10000円」と応対した女性が言う。主人公の寿命は残り30年と3ヶ月。その3ヶ月を残し、彼は30年を売った。
監視員である“ミヤギ”と主人公の3ヶ月を描いた物語。


私の寿命に人並みの価値があれば良い、と思う。残りが僅かだったとしても、それなりに何かを成し遂げて、誰かの生きる糧になっていれば良い。長く生きることはさほど重要ではないから。
そうは言っても、それだけの価値があるとも思えないのだけれど。誰かの役に立つどころか迷惑をかける気しかしないし、生きる糧になるような何かを持ち合わせている訳でもない。

もし寿命を売れるとしたら、もし売れるだけの寿命が残っているのなら、3年くらいは残していたいなあと思う。残りの時間は売ってしまって。
何が出来るだろう。3年を残した寿命は、残った時間を好きなように過ごせるだけの価格になるのだろうか。

もし、3年間を自由に使えるとしたら?
会いたい人に会いに行く。
もう一度登山に行く。
住む場所を変える。
会えない人には手紙を書いて、直接会える人には伝えたいことを伝えに行く。
親友のところに行って、気が済むまで話す。

『三日間の幸福』の世界線に私がいたなら、寿命を売るのは確実だと思う。どれだけ残すかは別として。
終わりが見えない限り、私は自分の命を愛せそうにないから。

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