舞台「Arcana Shadow」備忘録ⅴ

前回の更新から少し空いてしまった。
今週に限って山積みの小テストに追われて忙しかったのもあるが、少しずつ言葉が出てこなくなってきている。たった二週間前の記憶なのに、日々のあれこれに追われて徐々に記憶が薄れているのだ。いつまでも余韻に浸っていることは、どうやら許されないらしい。

ふと考える。歴史に残らぬ空白の時、確かに存在したはずの人々の記憶は、こうして消えていったのだろうかと。そう思うと些か恐ろしくなる。

これは備忘録ゆえ、描ける限りは書き続けようと思うが、少しずつ精度は落ちていくかも知れない。
元々は自分用の記録ではあるのだけれど、ここまで一緒に振り返り続けて下さっている方のためにも頑張りたいと思うので、どうか最後まで書き切れるようそっと応援していて下さると嬉しい。

◆伊周陣営〜十六夜童子の召喚バトル

さて、その頃の伊周陣営は。
道長が差し向けた源氏の兵が到着し、まさに戦が始まろうとしていた。
兵たちの装束を見て「頼信か」と呟く伊周。この時、既に十六夜童子召喚の儀式を始めようとしている道満はその場にはおらず、代わりに預かったのであろう霊符に伊周が息を吹きかけると杠が姿を表す。
道長陣営が終始ピリピリした空気なのに対して、伊周陣営は伊周本人が場を引っ掻き回しているので大体しっちゃかめっちゃかになっている。兵たちと戦っている杠が「(戦う相手を)殺しはないわ、決してね」と宣言しているにも関わらず一人が絶命してしまったのを伊周が揶揄し、それに対して杠がその辺にあった石を拾ってきて「打ちどころが悪かったのね…」と本人のせいにしたりなど、殺陣が続くシーンでさえとにかくシリアスになりきることがない。
そこへ怒髪天を衝く頼信が登場する。

「伊周殿!!!!」

天下泰平のため首を頂戴する、と大義名分を唱えはするものの、道長を害そうとした伊周に対して怒り心頭、要するにキレている。そんな頼信に対して、伊周は様々な言葉を投げかけては、その忠誠を揺るがそうとする。道長は何故天下を欲しがるのか、お前は何故道長に従うのか、道長が目的を達成し絶大な権力を手にしたならばお前など切られるぞーー
最後の問いかけに対し、「そんなことはない!…いや、たとえそうでも構わない!」と強く言い切った頼信を、伊周がほんの一瞬眩しそうな目で見たのが印象的だった。「それこそがあいつの才能か」と独りごちるように呟いていたことから、伊周自身、道長の中に人を惹きつけて止まない光を見ていたことになる。史実によれば、叔父甥の間柄ではあっても二人の歳の差は八年ほど。もしかしたら、幼い頃には弟のように可愛がられていたのかも知れない。しかし、いつしか孤独に覇道を歩み始めた道長のことが理解できなくなった。だからこそ、その本心を知るために器量比べをしたいと申し出たのではないだろうか。作中ではここまで語られてはいなかったが、伊周が道長を嫌う感情の裏側に、過去の因縁も含めて無意識にその存在を慕う気持ちが隠れていたのかも知れないと思うと、とても切なくなる。

一方、京において何事かを察する安倍晴明。
五行の陣を記して十二天将の一人である六合(りくごう)を呼び出し、頼信を助けに行くよう命じる。
自分は戦闘向きの式神ではないと言い張る六合は、何やかんやと行くのを渋る。しかし晴明は、時間を稼ぐだけでいいと説明する。道満が十六夜童子召喚の儀にかかりきりになることで他に意識を向ける余裕が無くなり、空が常に闇で覆われている今、恐らくは術で抑え込んでいるのであろう杠の宿が逆転して暴れ出すことを見越し、さらに裏で道満と繋がっている可能性のある賀茂忠之がそれを解決する未来までを想定しているのである。
私は、晴明が天才であると言われた所以はここにあると思う。大局を冷静に見極め、あらゆる可能性を分析して先読みすることに抜きん出ているのだ。それは先々のことのみならず、空白の354年間についても検証し推論を立て、実際に目にしておらずともそこで何が起こったのかをある程度察している節がある。一方の蘆屋道満は、天才術師ではあるが何処か人間くさく、行動の原動力も己の思い一つといったところが強い。それ故に、賀茂忠之は道満に対して「お前は晴明には勝てん」と釘を刺したのではなかろうか。

そして、晴明と道満の召喚バトルになる。
十六夜童子とは今作における最強の式神であるが、契約して使役出来る術者は一人だけである。高位の式神ほど契約の難易度が高く、また式神自身が主を選ぶことから、どちらが童子を召喚できるかはつまり、晴明と道満の実力勝負になる。
鬼門の扉の向こう側、常世の奥底で眠る十六夜童子に、二人の術師が語りかける。

「現世に顕現して私と共に闇を払え」
「起きろ、永遠の安らぎなど何処にもありはしないのだから」

初見で不思議に思ったのは、晴明は一般的な契約の文言を唱えるのだが、道満はまるで既知の誰かに対して語りかけるような口調だったことだ。このことについては、後に晴明も「あの時(十六夜童子を召喚する時)道満は空白の時間のことを童子に語りかけていた」と忠行に詰め寄っている。
眠い、このままずっと眠っていたい、と取り合わない童子は凄まじい力で二人を何度も弾き飛ばすが、その攻撃があわや道満に直撃しそうになった瞬間、晴明が咄嗟に道満を庇う。童子はそれを見て、俄然興味をそそられる。
「お前たちは仲間なのか」
「いいや、私たちは全てをかけて互いを消し合うのだよ」
答える晴明に対して、さらに童子が問う。
「面白い!互いを殺すというのか?」

「そうだ!」

と晴明と道満が声を揃えて応じ、直後、十六夜童子は覚醒することになる。誰と言の葉を結んだのかは明確に分からぬまま。

◆十六夜童子と蘆屋道満

何度か述べている通り、十六夜童子の前身は大和王朝時代を生きたヤマトという人物である。人であった時の彼の心根は優しく、共に国を作ってきたフジを心から信頼していた。だから藤の一族がヤマトを裏切り、豪族をまとめ上げて奮起しようとした時も憤る部下たちを諌め、もう一晩待とうと説得する。
それが恐らく満月の晩だったため、戦が起こったのは恐らく翌日。全てが燃え尽き、灰になった大地で、道満は彼に十六夜(いざよい)の仮名を与えて式神とし、長い眠りに就かせたーー

道満。そこで何故道満が出てくるのかである。
賀茂忠行だけは過去へと遡る術を身につけていることが序盤で明かされるが、もう一人、この術を使うことが出来たのが道満である。しかも、師である忠行よりも遠い過去へ行くことが出来たと暗に示されている。
この能力で、道満は空白の354年間、つまり大和王朝時代を旅している。そこでヤマトやその部下たち、そして恐らくはフジやその弟とも関わりを持った。道満の感情の傾け方、そして道満を信頼し自らを式神として預けたヤマトの決断から、相応の期間は滞在していたものと考えられる。
では、何故道満は自らが生きる時代に十六夜童子を呼び覚ましたのかという話になるのだが、それには作中における大きなミスリードが関係してくるので最終段に近くなった時に改めて述べることにする。

◆十二天将について

一般的に十二天将というと陰陽術で使用する象徴体系の一つとされているのだが、Arcana Shadowにおける十二天将は式神の器に相当すると考えられる。
四神と言われる朱雀・青龍・白虎・玄武については神に等しい力が器に宿り、十二天将の中でも別格とされているが、残る八将のうち七将には大和王朝時代、ヤマトに付き従った七人の部下の魂が封じられている。
否、封じられているという言い方は正確ではないかも知れない。この世界においての式神は、何かしらの概形に言の葉という魂が宿ることによって成されるものだと考えられるからだ。故に、言の葉を奪われると式神としての〝概念〟が解けてしまい、存在が失われてしまう。

この十二天将たちは恐らく道満によって記憶が封じられているが、当段の最初で述べているように陰陽術の象徴体系の一つでもあるので、一部の者は晴明にも使役されている。晴明はいつからかこの事実に気付いており、十六夜童子との戦いが始まる前に彼らの使役の任を解いている。

◆杠という式神

さて、ここで今まで触れてこなかった杠について考察してみようと思う。
杠は道満が十二天将と別に顕現させ、側に置いている式神である。術をかけた対象の時間を巻き戻すという特技を持っているが、それは杠葉の花言葉〝若返り〟に由来すると考えられる。

そして、彼女が持つ昼と夜の宿。これが何かということについては様々な考察があることと思うが、恐らく道満は式神としての本性を夜の宿に閉じ込めたかったのではないかと私は思う。〝杠〟は彼女の式としての仮名であり、本来の名前は分からないものの道満が愛した女性の魂である。
元が人間であっても、魂魄が人の身を離れれば少なからず人の道理から外れて物の怪じみた一面が生まれる。これについては魂と魄の陰陽消長の問題なのかと思ったりもするのだが、流石にそこまで意図されているかどうかは分からない。軽く解説しておくと、魂は精神活動を行う陽のたましい、魄は肉体を主り、より本能に近い部分を支配する陰のたましいであり、そのバランスが人と式では異なってくるのかも知れないということだ。現に、十六夜童子にも慈悲深い王であった頃には見受けられなかった残虐性があり、多くの人間を殺してしまっている。
道満は、そういった式神としての残虐性を、杠の夜の宿に閉じ込めた。記憶は無くとも、昼の宿では天真爛漫で明るい彼女のままで側に在って欲しかったのではないだろうか。

作中では道満についての設定は深掘りされていないが、平安当時は陰陽師も公職の一部であったため出自は貴族であることが殆どだった中、忠行がその才を見出して育てた道満は平民の生まれであった。
その過程を考えると、道満は貴族社会をかなり斜に構えて眺めていたのではないかと思う。その道満が、大和王朝時代を旅することにより、その滅亡を目の当たりにする。そして、当時の人々の祈りを平安に橋渡しするわけだが、その根底で彼を支え続けたのが杠の想いだったのではないかと思うのだ。

杠は異世界からの旅人だという道満を、身分も才も関係なく無邪気に愛した。その想いが恐らく道満に変化を及ぼした。過去を旅して知り得た真実を未来へ届けることで、何かが変わるのかも知れないと初めて道満に思わせたのだ。事実、道満はそこに命を懸けている。そうして齎される誰かの心の安寧を、彼が〝冬の音〟と称したのだとしたら、それは何と美しい言の葉だろうか。

「会いたかったのは、こっちの方だよ」

最期に杠を見送る道満の言葉、ここに天才的な術師でありながら、優しく不器用な一人の青年であった道満の全てが集約されている気がして、この台詞を聞くたびに何とも言えない感慨が込み上げるのだ。

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やっとここまで来たか…という感覚はあるのですが、恐ろしいことにまだこれ幕間前なんですよ。
次回は一幕終わりまで書き切れるといいな!

つづく

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