舞台「Arcana Shadow」備忘録ⅶ(最終回)

腰を据えて画面と向き合う時間がなかなか取れず、前回の更新からだいぶ日が経ってしまった。まだ一幕の感想しか書き終わっていないというのに、このまま尻切れとんぼになることだけは避けたい。そこで、今回を最後に感想を纏めきろうと思っている。
幸か不幸か時間が空いたことでだいぶ頭が冷えたので、改めて全体のストーリーを振り返りながら語り残している二幕の内容に触れていく。もう今はどこにもないあの物語の色彩が、少しでも誰かの記憶に残る手助けになれば幸いだ。

因みに、何かのご縁で突然この回に迷い込んでしまわれた方も安心して欲しい。久し振りにここを覗いて下さる方でも、ゆっくりと、けれど確実にあの世界観に還って行けるよう今回だけで一通り完結するように構成するつもりだからだ。もしも、この記事を読んで興味を持って下さったなら、覚えている限りのことを書き込んである前回までの感想も読んでみてほしい。


西田大輔氏が演出した舞台、『Arcana Shadow』
上演期間は2023年7月1〜9日。全12ステージのうち2公演が中止になっているため、上演されたのはたったの10回。今となっては本当に幻のような舞台だったと思う。

史実からの考察


改めて、歴史嫌いの私が今のところ定説とされている日本史について調べてみた。
物語の舞台となるのは平安時代。道長の治世となる全盛期を迎える直前であり、また劇中で兄の道隆が没していることからも、西暦995年前後の話であろうと予想される。

また、道長の前身であるフジについてだが、守天の刀が藤原氏に語り継がれていることから、後に藤原氏となる豪族の長であると考えられる。しかし歴史上の祖とされる藤原鎌足(中臣鎌足)は飛鳥時代の生まれであり、空白の354年間とされる古墳時代にはまだ存在していない。それらしい人物を探してみようと宮内庁の国書データベースなども眺めてはみたものの、日本史に関する知識ゼロの私には到底理解が及ばなかった。大変面目ない。
そもそもアルカナシャドウにおける空白の354年間とは、邪馬台国の卑弥呼が親魏倭王という号を受けたと魏志倭人伝に記録の残る西暦239年から、聖徳太子が摂政に就任する593年までのことである。実はこの間に起こったことについては日本最古の歴史書とされる日本書紀に記載があるのだが、そもそも日本書紀自体の成立が700年代のことであり、特に大化改新以前の出来事に関してはほぼ推論で書かれていると考えられる。それ以前の文献ならば古事記があるではないかという話もあるが、古事記の編纂当時には歴史書として出来事と年代を合わせて記し残すという概念が無かったために、いつ何が起こったのかという情報が不明瞭なのである。以上のことを纏めると、歴史上の確かな記録も考証すべき資料も乏しいとされるのがこの作品の肝となる〝空白の354年間〟になるわけだ。

そして、ヤマトについて。名前からは日本武尊が想起されるが、日本武尊は3世紀くらいに生きた人物であるとされているので基本的には別人ではないかと思っている。劇中に名前だけ登場した蘇我氏と物部氏の争いが激しくなるのは古墳時代から飛鳥時代にかけての過渡期で、世を統べる者の象徴でもある守天の刀がヤマトからフジへ託されていることからも、劇中で描かれた戦は空白の354年間の中でもかなり最後の方であると考えられるからだ。

結局のところ、やはり以前に書いた通りキャラクターの設定は実在した人物像を強く準えたものではなく、後の世の平安時代までもを含めて史実をオマージュしたフィクションとしての要素の方が強そうである。丸三日かけて調べたことがほぼ役に立っていないことには愕然とするが、永きに渡る因縁で結ばれた二人が〝空白の354年間に君臨したとされる大和朝廷を象徴する存在だから〟ヤマト、〝平安の治世を築く藤原氏の祖となった存在だから〟フジと命名されたのだとしたら、難解な作品の多い西田氏にしては、珍しく分かりやすいヒントを下さったものだなと改めて思ったりするのである。

託された希望

さて。
前段で、敢えて守天の刀は〝託された〟と表現した意図に気付かれた方はいらっしゃるだろうか。
これは劇中における最大のミスリードだと捉えているのだが、恐らく守天の刀は戦利品として奪われた訳ではない。
むしろ、かの戦いにおいて勝利したのはヤマト側だったのであろうと私は考えている。根拠は道長が追い詰められ、十六夜童子に守天の刀を取り上げられた際、側に控えていた貴人が「あの時と同じ光景ですね」と発言しているからだ。〝あの時〟とはいつか。それこそ、空白の354年間の結末の再来だったのではないだろうか。

では、戦に勝利したはずのヤマトは、何故フジに刀を託したのか。それは、当時の政権は既に混乱を極めており、ヤマト自身がその支配体制に限界を感じていたからではないかと考えられる。だからこそ、心から信頼するフジに国を治める者の象徴たる守天の刀を委ねた。結果としては戦になってしまったものの、弟と共に一族を説得し、争いを鎮めようと尽力したフジの実直な心根に未来を託そうとしたのではないだろうか。そうして自分たちは世の理を外れ、成り行きを見守るために妖の姿を借りることにした。以上が私の推察である。
しかし永き時が過ぎるうちに、美しい国を望んだフジの意思を継ぐものは居なくなり、十六夜童子となったヤマト自身も、そしてその部下たちも次第に人としての自覚を失っていった。そうして訪れるのが物語の舞台となる990年代なのである。

あらすじのおさらい

一幕

ここで今一度、物語を最初から振り返ってみよう。
冒頭、印象的なのは透き通った鈴の音。望月の顕現によって過去と現在(我々にとっては平安時代も過去の話だが、舞台上の人物の感覚に則ってこう書くことにする)が結ばれるところから始まる。
時は平安。藤原道長が関白となり、平安京が咲き誇る直前の話。
場面は蘆屋道満と藤原伊周の陣営から始まり、伊周は強欲に世を統べようと画策する叔父・道長と器量比べをしたいのだと言う。それを受けた道満は、まず空を暗闇に変える術をかける。
これを受けて京は大騒ぎになり、近頃の妖騒ぎの犯人ではないかと疑われ捉えられていた賀茂忠行が朝廷に引っ立てられ、道長の尋問を受けることになる。全ては自分の所業ではないと言う忠行に対し、道長は「ならばこれだけの術を使えると考えられるのは蘆屋道満だけであろう」と、忠行に道満捕縛を命じ、野に放つ。

伊周を幇助する道満、道満を捕らえる命を帯びた忠行、そして、強大な術を用いて暗闇を祓えと道長に命じられた晴明。三人の陰陽師を主軸に物語は大きく動き始める。
それぞれの目的を果たすため、晴明と道満はまず最強の式神と謳われる十六夜童子の召喚を試みるが、高位の式を喚び出すには相応のリスクが伴う。二人は満身創痍になりながら童子に呼びかけるが、あわや召喚が成功したかと思われたところで場面は道長と伊周、それぞれの拠点における合戦に移行する。
彼らは互いに刺客を放ち、それぞれの陣営で応戦するのだが、その最中、腹心であったはずの平致頼が道長を裏切って背後から斬りつける。道長は絶対絶命の窮地に陥るが、間一髪のところで召喚されたばかりの十六夜童子が現れたことで命拾いする。しかし十六夜童子は現世に顕現した喜びからか滅茶苦茶に暴れ始め、晴明も道満もそれを止めることが出来ない。再び窮地に陥った道長を、今度は不意に現れた望月が救う。望月と邂逅したことで何故か冷静さを取り戻した十六夜童子は、それを潮に一旦引き上げていく。

あらゆる策略を巡らせ、天下を手に入れようとする道長。そんな道長を敵対視し、器量比べを持ちかける伊周。飄々と術を使うも謎が多く、何か目的があることを匂わせる道満。道長の叡智に一目置き、忠実に従いながらも腹の底が見えない晴明。表舞台からは離れたところで暗躍する忠行。自分が何者かも分からずに顕現し、その記憶と言の葉、〝冬の音〟を探す望月。道長を一目見た瞬間に「お前のことは知っている気がする」と首を傾げ、次第に己を取り戻していく十六夜童子。
やっと物語の役者が出揃ったところで前半の幕引きと相成るのだ。

二幕

ここから先は前回までに触れていない内容になるので、多少考察なども入れながら思い出せる範囲で詳しく書いていく。
二幕冒頭、幕が上がると同時に『伊ちゃんの分かりやすい藤原家系図講座』が始まる。毎公演、だいたいボードに書かれている「伊周」と「道長」という文字のポイントの差を弄って笑わせてくるのだが、千秋楽では「この大きさでここに書かれていいのは西田大輔くらいだよ!!」という渾身のツッコミで腹が捩れるほど笑わされた。最初の方は自由に突っ走る安西氏に伊波氏が困り果てるシーンも見受けられたが、だんだん伊波氏の方から無理難題をふっかけたりするようにもなり、程良く気の抜ける幕間で毎回とても楽しみだった。

そしてガラリと雰囲気が切り替わり、道長と伊周の器量比べが始まる。一幕の終盤で望月に命を救われた道長は恩人として望月を宮中に迎え入れているが、伊周は道長に気に入られ〝紫〟と仮の名を与えられた彼女に興味を示し、器量比べの場に同席するよう命じる。その席で伊周は道長の気迫に圧倒されるが、結果的には「今後、優れた和歌を詠んだ方が天下を取れるという詠み勝負にしてはどうか」という紫の提案を受け入れ、その場は痛み分けとなる。
参考までに。望月は顕現した時点で道満を介して伊周と会話をしているが、まだ存在が希薄だったためかその時は声も容も伊周には認識することができなかった。故に、この段階で望月は一方的に伊周のことを知っており、伊周の方は単に道長の気に入りの女官と認識しているという構図になっている。

次に、とにかく好きだった道長と致頼のシーンが入る。先の戦いで道長を裏切った致頼は、実は十六夜童子が現れた時点で即座に斬られて重傷を負っており、放っておけば失血死していたであろうところを道長に救われている。その意図が読めず、追っての沙汰も来ないことから戦々恐々としている致頼だったが、そこへ突然道長が現れる。
「なぜ何も沙汰が無いのか」と問う致頼に対し、道長は「言ってないからな」と応じる。因みにここは日替わりシーンでもあり、道長は毎回菓子を食べながら登場するのだが、ある時はソフトサラダせんべい、ある時は雪の宿、またある時はじゃがりこと、何故か口中の水分を持っていかれるタイプのものばかり。会話に笑える所などひとつもないのに、頬張った菓子をもぐもぐしながら表情も滑舌も崩さない道長と場面のミスマッチに、こちらは毎度情緒を掻き乱されるのである。
因みにであるが、史実では道長の死因は糖尿病であるとされている。ひょっとしてそれを皮肉っての演出なのだとすれば、また「西田さん…」と言いたくなるわけである。

何故自分を助けたのだと詰め寄る致頼に、少し愉快そうに「お前は俺の部下だからな。部下を助けるのに理由が必要か?」と答える道長。致頼は俯く。藤原家の秘宝の刀を賜ったことで有頂天になって、もう用は済んだとばかりに背後から道長を斬ったものの、結果的にそのせいで刀は十六夜童子に叩き折られてしまった。それを思い悩み「守天の刀は…」と言いかけるが、道長は「ああ、あれは偽物だからな」といともあっさり言い捨てる。
自分の裏切りは、道長が想定する数ある可能性のひとつに過ぎなかったのだと知り、完全にコケにされたと歯噛みした致頼はその場から去っていく。

代わって現れるのは忠臣・頼信である。あの男は改心しない、放置するのは危険だと主張するが、道長は一言、「そのためにお前がいるのではないのか?」と告げる。はっとした頼信の「それは私がお守りすれば良いと…?」からの「そう言っているつもりなんだがな」というやり取りが最高すぎて、毎度拳を握りしめていた(私が)。その後に道長の前で己の無力を嘆いて、要らんことは言わんでいいとばかりに横っ面を叩かれる所まで含めて、いっそ頼信になりたいと思ったくらいである。片手に煎餅持った切れ者上司にビンタされるってどんな状況なんだ。ご褒美かな。
とにもかくにも、二度と自分に進言するなとまで言われて捨て置かれた頼信は、今のままでは道長の盾にすらなれないと晴明の元へ行き助言を乞う。晴明はそれを受けて「闇の力を使うことは勧められないが、心が決まったらまた来るように」と告げる。

そして伊周陣営。道長に迫力負けしたことを悔しがっている伊周。しかし一幕の後半から狂ったように暴れていた杠もすっかり元に戻り、一応は平和な様相を見せている。
そこへ道長の元を去ってきた致頼が戻ってくる。伊周と致頼は首尾を確認し合い、互いに道長に及ばなかったことを悔しがるが、途中、思い出したように伊周が十六夜童子の召喚は成功したのかと道満に聞く。道満は召喚には成功したが、多分主となったのは自分ではない気がすると答える。時を同じくして、晴明も道長にどうやら自分は召喚に失敗したようだと報告していることから、では結局十六夜童子を召喚したのは誰なのかという大きな疑問がここで生まれるのである。

場面は再び道長陣営へ。
薄暗い廊下を只ならぬ様子で進む道長。やがて辿り着いた部屋には、一振りの刀が鎮座していた。道長はそれを手に取り、月の光に翳す。
「守天の刀。このようなものが、何故藤原家に」
藤原家は代々天皇家に使える貴族ではあるが、大和朝廷の時代から世を統べる者の象徴と伝えられる刀が(ここについては深く言及されてはいなかったが、家伝にその謂れが記されているのではないかと思われる)天皇家ではなく藤原家にあるのか。恐らく道長はそのことに長年疑問を抱いており、その夜は刀の所在を確認しようとそこを訪れたのであろうことがこの台詞から伺える。
そこへ、血相を変えた兄・道隆が飛び込んでくる。
「その刀に触るな!!」
道長は言われた通りに刀を安置し、病床から這い出てきたのであろう兄を気遣う。刀に触れるなと譫言のように繰り返す道隆に、道長は手を伸ばす。
「ならば私は兄上に触れましょう。さあ、寝所へ…」
伸べられた手を、道隆は振り払う。「お前など家族であると思ったことはない」と拒絶され、道長は悲痛な表情を浮かべる。
「私も兄弟にございます!」
道長として感情の込もった声を聞いたのは、この時が最後かも知れない。道隆は刀掛けに安置された守天の刀に取りすがり、この刀も関白の座もお前には渡さない、既に自分が死んだ後は道兼に任せるよう手を回したと道長を跳ね除ける。
物音を聞きつけ駆けつけた頼信が、刀を抱えたままふらつく道隆を慌てて支えるが、道長は感情の無くなった声で道隆に問いかける。
「一つ、お聞きしたいことがございます。このような刀が、何故藤原家にあるのでしょうか」
「そのようなこと、お前は知らなくて良い!」
道隆は抱えた刀を抜刀して威嚇しようとするが、その刀を咄嗟に奪って道長が道隆の喉元に突きつけ、一瞥する。驚いて止めに入った頼信に、道長は氷のように冷たい声で「関白殿を寝所にお連れしろ」と命じるのだった。

この一部始終を物陰から見ていたのが望月だ。道隆と頼信が去った後、そっと姿を現す。
「傷付いておられるのですか?」と問われ、道長はそれには答えず「言の葉は見つかったのか?」と問い返す。望月は首を振り、二人は夜の庭に並んで語らうのだが、二回目に観劇した際は傷心の道長が月明かりに浮かぶ白い花を静かに愛でているようにも見えて、それはそれは美しい光景だった。
そこへ割って入って来るのが十六夜童子である。守天の刀を奪うのが目的ではあるが、道長と望月に対して理由の分からない因縁を感じていることもフラストレーションになっているらしいことがここで分かる。この時も、最終的には自らの意思で引き上げる十六夜童子だが、望月と再び相見えたことで己の中に眠る記憶の輪郭に気付き始める。そして、それは望月も同じで自分もまた何か大切な記憶を失っていることに初めて気が付くのである。

また場面は変わり、この時点で漸く十六夜童子を召喚したのが忠行であることが判明するが、童子はかつての自分の部下である貴人を喚び、大江山を拠点とし酒呑童子となって世に妖を放ち混沌を招けと命令する。貴人は過去から現在に至るまでの記憶を持ち続ける宿を持つ十二天将の一人であり、その片鱗から十六夜童子と道長との間にある浅からぬ因縁が浮かび上がってくる。十六夜童子は世に害をなそうとしているのか、そして忠行の目的とは何か。

※ここで酒呑(しゅてん)童子というワードが初めて出てくるが、この酒呑童子を斬った刀こそ天下五剣の一振りである童子切だという逸話がある。なので、ひょっとすると〝酒呑の刀〟という文字を当てるのかも知れないが、個人的には以前に考察した通り〝天下を守護する者の証〟という意味合いでその音を受け取ったので、この備忘録内では〝守天〟という漢字を使っている。

一方、伊周陣営。
道満でも、恐らくは晴明でもない術者(となると、残る可能性は彼らの師である忠行しか有り得ないだろうと予想はついているのだが)が呼び出した十六夜童子が好き放題暴れていているらしいと聞き及んだ伊周・道満・致頼は、人々の生活を脅かす妖たちを退治しにいく相談をしている。
道満は十二天将の一人・天后を喚び出す。天后は長距離の移動を得意とする式神で、空間を渡ることができる特殊な宿を持っている。その天后に、道満は忠行に向けた伝言を託す。
後に分かることだが、忠行は十六夜童子により壊滅させられそうな現世を守るため、引いては弟子たちを守るために術者自身の命を削る秘術を使おうとする。ならば自ら十六夜童子を召喚したのは何故なのかという疑問もあるのだが、恐らくはそれすらも二人の弟子の身を案じてのことだったのではないかと考えられる。要するに、十六夜童子の召喚を弟子たちに代わって成し遂げたものの、莫大な力を持つ童子を使役し制御することは出来なかった。そこで妖たちを須らく常世に隔離するための術を使うことにしたのではなかろうか。だからこそ道満からの言伝を聞いた時、忠行は膝を折るのである。

大江山に妖が住み着いたらしいと京が騒ぎになる最中、道隆は病床でいまわの際にあった。息子の伊周を呼び、自分の後任を託そうとしている。自分の後は道兼に任せたからお前は何も心配しなくていい、お前が関白になるのが私の夢だ、と息子に語りかける道隆は、半狂乱になって道長を拒絶した先程のシーンとは別人のようである。
「親父殿。俺はさ、親父の〝天下は人間のものではない。大地のものである〟っていう考え方が好きだったよ。例え関白になれなくても、普通の家の子供に生まれてさ…」
俯いて語りかける伊周がふと顔を上げると、道隆は既に息を引き取っていた。
「親父、…お疲れ様でした」

道隆の葬儀の折、道長は伊周に告げる。
「これ以降は次期関白たるお前の権力に取り縋ろうと有象無象が湧くだろう。俺の下につけ、それより他に道はない」
これに反発し、そんなに権力が欲しいのかと伊周は叫ぶ。欲しいのは権力ではない、天下だと道長は答えるが、それこそが傲慢だと捉えた伊周は完全に道長と袂を分かつことになる。

自分ではない誰かが召喚した十六夜童子。大江山に現れた酒呑童子。姿を晦ましたままの忠行、相変わらず目的の見えない道満、ある時点から常に道満の傍にいるようになった杠という式神。そして自分と道満がそれぞれに契約を結び、使役する十二天将たちの気配。これらの手掛かりから、晴明はあるひとつの仮説を導き出していた。
深いため息をつくと、晴明は自らが使役する四神以外の十二天将を喚び出す。
「お前たちに暇を出します。どこへでも好きなところへ行きなさい」
驚く十二天将たち。そんなことをできるはずがないと反論するが、晴明は静かに彼らを諭す。
「お前たちも、かつての主と戦いたくはないでしょう」
これを聞き、思うところのあるらしい彼らは俯く。実はこの時点で杠にはかつての記憶が戻りかけていることから、十六夜童子が顕現した影響で十二天将たちにも何かしらの変化が起こっているであろうことが考えられるのだ。
一人、また一人と晴明の許を去っていく式神たち。そんな中、六合だけは最後まで残り晴明に問う。
「しかし晴明様、四神だけで奴に太刀打ち出来ますかね?」
「なるようにしかならないものです。…行きなさい」
「…へい」
遂に六合までもが去ると、晴明はゆっくりと腰を上げた。かつての師と兄弟弟子、そして自らの主である道長。晴明には、彼らのために成さねばならぬことがあった。

遂に、決戦の時が来る。
道長は京へと攻め込んできた十六夜童子を迎え撃ち、また伊周は魔物が巣食う大江山に自ら攻め入っていく。
その最中、伊周が致頼に問う。
「お前、俺に隠していることがあるだろう?」
そんなものは何もないと答えながらも、どこかに迷いがある致頼の様子を見て、やはりなと一瞬したり顔をした伊周は叫ぶ。
「ここは俺だけで十分だ!道長を助けに行け!」
はっとして伊周を見る致頼。
それが部下を思っての言葉なのか、それとも京で窮地に陥っているであろう道長を案じてのことなのかは分からないものの、伊周は飄々とした外見からは一見想像もつかないような何かをその胸中に抱えていることが伺い知れる。迷う致頼。しかし。
「行けぇ!!」
弾かれたように、致頼は走り出す。
「すまない…!あんたに賭けた、平家の未来は明るいぞ!!」
それを聞き伊周は満足げな表情を浮かべるも、最後には敵に囲まれて一斉に切られ、力尽き倒れるシーンで照明が落ちる。

一方で、晴明や道満が使役する十二天将たちも戦いに明け暮れていた。
晴明と刃を交える杠。しかし己の使役主である道満と同等の実力を持つ晴明に歯が立つはずもなく、徐々に追い詰められて、とうとう言の葉を奪われそうになる。 
「道満が側におく式神の中で、あなただけは十二天将ではない。恐らくは道満が過去で出会った想い人、といったところでしょうか。奴が与えそうな言の葉はーー」
それを奪われれば、式神は外形を失ってしまうため、そうなれば死と同義である。
「道満ーーーー!」
悲痛に叫ぶ声に、救いの手を伸べたのは忠行だった。杠を庇い、晴明の攻撃を引き受ける。
「行きなさい」
ボロボロの身体を引き摺るようにして逃げる杠を、晴明はもはや追おうとはしなかった。

晴明は、師である忠行に道満の才について問う。忠行は時間を遡り過去へ旅する秘術を使うことが出来るが、道満にも同じことが可能なのではないかと。
忠行はそれを認めた上で、さらに道満が永遠影也(とわかげとなりて)という禁術を使っていることを晴明に告げる。永遠影也。それは己の命を消費して結界を張り、すべての妖が常世から現世に渡れないようにする術だった。通常は現世で力を失った妖は常世で回復して復活することができるが、この術により現時点で顕現している妖も消滅してしまえば二度と喚び出せなくなる。それは彼らが使役する十二天将であろうと例外ではなく、要するに陰陽道の終焉を意味していた。
初めて道満の思惑に確信を持った晴明は納得し、静かに頷く。そして、今まで教えを受けたことに対して礼を述べ、忠行の許を去ろうとする。この世から陰陽術が失われるというのに何故そんなにも冷静でいられるのかと問う忠行に対し、晴明は「陰陽道は、祈りでいい」と静かに告げるのであった。

他方で十六夜童子は道長が守る藤原の屋敷に攻め入っていた。守天の刀を奪うためである。道長自身も武器を取り戦うが、最強の式神と謳われる十六夜童子には到底歯が立たない。道長を守っていた頼信も既に倒れ伏している。
刀を弾かれ、道長が斬られそうになった時、飛び込んで来たのは致頼だった。
「致頼か!?」
驚く道長。
「守天の刀を取りに行け!」
童子がなぜ守天の刀を執拗に狙うのかといえば、唯一妖を斬ることができる刀だからである。この場へ刀を持ち出すのは危険と紙一重だが、同時に人間が妖に対抗するための唯一の手段でもあった。
道長の前に立ち塞がり、自らが十六夜童子を引き受ける致頼。さらに満身創痍で起き上がれずにいる頼信に「這ってでも追いかけろ!」と叱咤する。
「ここは源氏に花を持たせてやるよ」
「致頼殿…!」
たったこれだけのやりとりだが、犬猿の仲でありながらも互いの実力を確かに認め合っていた彼らの関係性が窺い知れて、とても熱いシーンだ。
二人を逃し、刀を構え直す致頼。「ここは人の世だ、妖風情が出しゃばってくるな!」と吠えるが、絶大な力を振るう十六夜童子を相手に長くは持ち堪えられず、切り伏せられてしまう。
致頼が最後まで口にし続ける「めんどくせぇ!」という言葉は、様々な思惑が渦巻く権力争いに対してであり、斜に構えようとしたところで元来性格が真っ直ぐなせいで不器用にしか生きられない自分に対してでもあり、今作における平致頼という人物をよく表していたと思う。

致頼にとどめを刺した十六夜童子は、すぐさま道長に追いついて守天の刀を奪おうとする。
妖が何故この刀に執着するのかと問う道長に、童子は答える。
「その刀は、もともと俺のものだからだ!」
はっとした道長の意識に流れ込む景色。

いつの時代か、それが何処なのかも分からない。ただ、空には煌々と満月が輝いている。とある屋敷の中庭、武装し決起する集団が見える。
中心には〝ヤマト〟がいた。
十六夜童子と同じ容貌をしているが、妖ではなく確かに人である。ヤマトを護るように取り囲む部下たち。彼らは道長もよく知る晴明の式神、十二天将たちに似ていた。
「ヤマト様!裏切ったのはフジの一族です!」
「蘇我、物部も既に蜂起した模様!」
部下たちは口々にヤマトに告げる。
「奴らが攻め込んでくる前に、どうか決断を!」
いきり立つ部下たちに対して、ヤマトは静かに微笑み、かぶりを振った。その指先は、どこかで見た覚えのある樹の枝に優しく触れていた。
「…皆、もう少しだけ待ってくれ。この木は、俺とあいつで植えたんだ。もう一晩だけ、あいつを信じて待とう」
「しかし…!」

いつの記憶なのか。
誰の記憶なのか。
その景色を、道長は呆然と眺めていた。そして、がっくりと膝をついて、声を絞り出す。
「裏切ったのは、私なのかーー?」

場面はまた変わり、暗闇に浮かび上がるのは足を引き摺るようにして歩く伊周の姿。生きていてくれて良かったと思ったのも束の間、不意にそのまま倒れ込んでしまう。そこに手を差し伸べ、支えた者がいる。望月だ。
「紫か?…何故ここに」
望月が微笑む。
「それは私の本当の名ではありません。私は以前、あなたに助けてもらったことがあるのですよ」
だから恩返しに来たのだと。望月に支えられた伊周の目に、遠い昔の記憶が映る。

舞台中央、蹲って座る伊周の姿。
この一瞬、彼が発する気配だけで、それが〝彼ではない誰か〟なのだと客席側は悟らされる。そして御簾の奥、正面から道長が現れるが、彼もまた〝道長〟ではない。
「立て。これより戦になる」
厳しい面持ちで告げた兄に、弟は激しく反抗する。
「ヤマトと戦うなんて嫌だ! 兄さんはどうして平気なんだ!」
これまでずっと一緒に国を作ってきたんじゃないか、この大地が、美しい木々が全て燃えてしまう、と彼は兄に縋って叫ぶ。
兄は拳を握り締め、弟の激昂を黙って受け止める。しかし、ある瞬間にふつりとその糸が切れてしまう。その場に崩れ落ち、地面に拳を打ちつける兄。
「お前と一族を守りたい。けれど、ヤマトとも戦えない。…選べない。どうしたらいいか分からない」
はっとした弟は、声を震わせ嗚咽する兄を抱き竦め、その背をさする。
「…話し合おう。それでもし駄目だったら、二人で謝ろう。許してもらえるまで、何十年、何百年かかったとしても」
この間、望月は彼らの様子を傍でそっと見守っている。否、その時の彼女は式神の〝望月〟ではなく、フジとヤマトが美しい国を夢見て共に植えた花木であった。
これを理解した2回目以降の観劇では、伊波さんの立ち姿が美しい枝振りの樹木そのものに見えて、西田氏が構築する世界観が美し過ぎることにため息をついたものである。

回想が終わり、伊周と望月のシーンに戻る。
「…ずっと、それが知りたかった」
感慨深げに呟いた後、急に立ち上がり覚束ない足取りで何処かへ向かおうとする伊周。
「伊周様、どこへ!?」
慌てて望月が追い縋る。
「決まってんだろ? 道長をぶっ倒しに行くんだよ!」
冗談めかして答えるも伊周は力尽き、その場に倒れてしまう。
「…あー…でも駄目だこれ、死ぬナァ」
諦めたように、けれどどこか楽しそうに独りごちる伊周。その隣に、望月は跪く。

「誰もみな 消えのこるべき身ならねど ゆき隠れぬる 君ぞ悲しき」

最期の歌を詠み、伊周は満足げに笑った。
「これで…あいつに勝てると思うか?」
「ええ、きっと勝てますとも」
震える望月の声は、もう伊周に届くことはなかった。

舞台は再び、道長と十六夜童子の対決へ。
俯いていた道長が、顔を上げる。その眼には鋭い光が戻っている。
「伊周の季節が届いた!」
その季節に乗せられた言の葉が、道長にかつての記憶を蘇らせている。己が何者であり、フジとして何を為したかったのか、藤原道長として何を成そうとしているのかをはっきりと自覚し、道長は守天の刀を取り上げた。
「譲れんよ、この刀は」
ボロボロに傷付いた身体を奮い立たせ、迫真の気合いで刀を抜き放つ。
その様子を見て十六夜童子は満足気に頷き、そして自らも大刀を抜いて、両者はもはや何度目になるのか分からない剣戟を交わす。
しかし、元より人間と妖の力の差は歴然である。数撃の後、とうとう膝を折る道長。
奪った守天の刀を天に掲げ、十六夜童子は咆哮する。それに応えるように声を上げる、かつての部下たち。その様はまるで狼の群れの遠吠えのようで、彼らが既に人ではなく、妖と成り果ててしまっていることを否が応にも感じさせる。

「あの時と同じ光景ですね」
十六夜童子の隣に控えた貴人が感慨深げに言う。
「そうだな」
童子は手にした守天の刀を道長の喉元に突きつける。そして、振り上げた刀を返して、あろうことか貴人の胸に突き立てた。
初見の時には、ここで何が起こったのか分からなかった。無論、道長自身も驚いて顔を上げる。
「悪いな、先に逝っていてくれ」
十六夜童子が穏やかに語りかけると、貴人は満足げに頷いた後に倒れ伏し、消滅した。
鞘に収めた守天の刀を道長の前に突き出し、十六夜童子は高らかに叫ぶ。
「この現世は、人間であるお前たちのものだ。我らは永き眠りに就こう。今一度問う。この天下を負う、お前の名は」
束の間、沈黙。
やがて十六夜童子の、否、ヤマトの意図をはっきりと理解した道長は、正面から童子を見返し、姿勢を正して応える。
「フジ!」
十六夜童子は守天の刀を道長に託し、集ってきた部下たちを次々と眠らせていく。
そうして最後は道満の手によって、自らも永遠の眠りに就くのであった。

暗転。場が静まり、道満の前に淡い光を帯びた望月が現れる。
「…もう、いいのかい?」
優しく問いかける道満に、望月は微笑んで頷く。
「私が探していた言の葉は、」

〝美しき花よ、木蓮〟

瞬間、望月の姿は眩い光に包まれ、舞台は再び暗転する。

エピローグ

鳥が囀っている。春先の穏やかな昼下がりといった風情の庭に、道長は一人腰掛けていた。
そこへ、ほうぼうを探し回ってきた様子の頼信が現れる。
「道長様、こんな所におられては困ります。昇進の儀がございますので…」
しかし、道長は意に介さない。
「放っておけ。だからこそだ」
「いや、しかし」
「このような時間も大事なのだ」
「それは分かりますが…」
「下がれ」
「…は、」
全く腰を上げる様子のない主に、ため息をついて引き下がる頼信。

再び一人になり、様々な想いを巡らせながら静かに筆を取る道長。
その様子を、木蓮の大木に宿る太古の光たちが優しく見守っているーー

* * *

以上が、大まかなあらすじである。
どうだろうか、あの華麗で壮大な世界観を憶い出して頂けただろうか。時系列を分かりやすくするために端折った場面もあるし、私自身「この台詞大事だったはずなんだけど前後を覚えてないぞ!」という部分もあって、触れられていないエピソードもいくつかある。記憶違いもあるかも知れない。しかし、その辺に関してはどうかご容赦願いたい。何と言っても三回しか観劇できなかったのである。記憶力の限界はあるというものだ。
本当に、あらゆる事情が赦すのならば全通したかった。そして円盤が欲しかった。未だに心底そう思い続けている。

道満によって紐解かれる因縁

さて、まとめに入ろう。
まず、物語の軸が成り立つための要素として、時空を渡ることのできる蘆屋道満の存在は必要不可欠である。
以前の感想でも述べているが、陰陽師は平安の世においては官職であり、基本的には貴族の出自である者が就くことになっている。その中にあって道満は、平民の出でありながら師である賀茂忠行に見出されて陰陽道を学んだ異例の経歴の持ち主であるために、天皇家に取り入り天下を牛耳ろうとする貴族が蔓延る社会をかなり斜に構えて眺めていたのではないだろうか。恐らく、そんな世の中に愛想を尽かしていた彼が過去へと飛んで目の当たりにしたもの。それが、ヤマトとフジの物語だった。
卵が先か、鶏が先かという話になるが、ヤマトの部下たちが依代としている十二天将は陰陽道においてはごく一般的な象徴体系である。つまり、道満が過去に旅をする以前、既に彼らを使役していた可能性は十分に考えられる。ひょっとしたら、自分の式神にそっくりの人間が過去に存在していることに最初は驚いたのかも知れない。劇中では、道満がどうして過去に生きた彼らを永らえさせて現世に喚び出したのか、全くと言っていいほど詳細が語られていないため、その心中は計り知れない。しかし、ひとつの国、あるいはひとつの時代の終焉に立ち会った道満の裡に生まれた何かしらの感情が、過去と現在の因縁を結び、彼らの物語を完結させる決意を生んだのは間違いないだろう。そして、自らとは違う時間軸を生きる人間と関わりを持ってはならはいという禁忌を侵し、全てを一人で背負い成し遂げようとする道満の心を支え続けたのは過去に於いて出会った想い人であった。彼女の仮名が世代の移り変わりを表す〝杠〟という音であることが、私は大層美しいと思うのだ。

最後の砦となる頼信

最後の戦い周辺ではエピソードが目白押しだったため、あらすじの途中で触れることが出来ず申し訳なかったのだが。道長が守天の刀を取りに向かった時点で頼信は瀕死の重傷を負っており、既に立ち上がることさえ出来なかった。戦いの最中、致頼が道長のために命を賭ける様を目の当たりにし、決意した頼信は叫ぶ。
「晴明殿、今こそがその時、私に闇の力を!」
それに応え、晴明は頼信に十二天将最後の一人〝天空〟を依代として与える。これにより式神としての力を手にした頼信は道長の大きな助けとなる。
ここで頼信が得る仮名が天空であることに、私は希望を感じずにはいられない。十六夜の月の名を冠した十六夜童子も、そして太古からの縁そのものである望月も、天に内包されるものの象徴である。想いを託され、これからの世を創り戦い抜いていくであろう道長にこそ付き従う、最後に残された式神の名が〝過去から現在へと続く時空〟〝道長が治める天下をも包容する万象〟という二つの意味を持つ〝天空〟であることが、熱いを通り越してもはや浪漫でしかないのである。
あの戦いを生き抜いた信頼には、どうか末長く道長を見守って欲しいものである。

兄弟の絆

道長の中に最初から最後まであるのは「この美しい国を守りたい」という想いであり、揺るぎない使命感である。ただし、才無き者が治めたところで大平が訪れることはないと考えている一面もあるため、〝藤原の一族を皆殺しにしても天下を取らなければならない〟という業も抱えている。フジとしての記憶の片鱗は無いものの、権力に執着するあまり将来的に反乱分子になるであろう輩を徹底的に排除しようとするのは完全に前世からの経験則であろう。
しかし本来、道長の「治めたい世」の中には、自分の兄たちも含まれているのである。それなのに比類ない才覚を持って生まれたために兄弟間では疎んじられ、爪弾きにされている。実際のところ、今作における藤原道長という男は、元来関白という役職には拘っていなかったのではないだろうか。己の才を生かし兄の許で泰平の世を創る手助けをすること、それこそが彼の本懐だったのではないだろうか。「私も兄弟にございます!」と血の繋がる兄に訴えた、あの悲痛な叫びが今でも忘れられない。もし『私が選ぶArcana Shadow名場面10選』が存在するなら、ランクイン間違いなしである。

結果的に道長は、天下を自らの手中に収めるため覇道を突き進むことになるのだが、これに強く違和感を抱いているのが伊周なのである。
一度目の観劇の際は『栄花物語』に書かれているような「権力こそが全て」という価値観の人物で、既に政治的に頭角を表し始めていた道長に反感を抱いているのかとも考えた。少し話が逸れるが、個人的には栄花物語は道長贔屓に書かれているように思うので、伊周が本当にそういう人物であったか否かは実のところ定かでない。さらに、今作における伊周像はそれらのイメージとは全くの別物であり、実際のところ彼の胸中はもっと複雑なのである。
伊周は恐らく、道長の中にかつての兄であるフジの面影を見ていた。道長の所業だけを追えば、その血も涙もないやり方に反感を覚えるのは至極当然だ。しかし、心のどこかでそんなはずはない、道長がそんな人間であるはずがないと否定する自分がいる。伊周は、そんな理由の分からないフラストレーションをずっと抱えていたのではないだろうか。

そして最期の刻。道長の中に眠るフジの真実を望月の記憶を通して思い出した時、伊周は「ずっと、それが知りたかった」と呟いた。それは、道長の本心のことだったのではないかと思う。
伊周が遺した句は『栄花物語』によれば妹・定子を降りしきる雪の日に葬送した時の歌である。しかし定子が登場しておらず、詠まれた状況も異なる今作の世界線では少し不自然な気もする。

〝あの頃共に生きていた者たちは皆死に絶えてしまった。そして、私も兄を一人残して逝かねばならないことが悲しい〟

死にゆく妹に向けた言の葉を、死にゆく自分から兄に向けた言の葉に置き換えてみると、こんな意味になるのかも知れない。少々文法を無視しているので飽くまでも意訳、私の想像である。


果てない縁の物語

さて、冒頭でも述べた通り、この作品は果てない絆の物語だと思っている。
空白の354年において託された願いと希望が、何百年もの時を超えて平安時代で実を結ぶ。

ところで、木蓮は世界最古の花木と言われていることをご存じだろうか。そして、木蓮の花言葉は「自然への慈しみ」「持続性」である。
ヤマトとフジが生きた時代、連綿と続く美しい大地の象徴として植えられた木蓮が託された想いを運び、平安時代まで流れ着いて友と兄弟の縁を再び結んで奇跡を起こす。西田氏が丁寧に織り込んだのであろう経糸と緯糸を陽に透かし、眺めれば眺めるほどにその奥に美しい色彩が浮かび上がってくるのは、本当にどういった仕掛けなのだろう。

途中で触れ損ねてしまったので最後に書き留めておこうと思うのだが、十六夜童子は恐らく、縁の象徴たる木蓮の枝そのものを依代にして式神となったのではないかと私は考えている。根拠はいくつかあって、まずは木蓮そのものの式神である望月と衣装のカラーリングがよく似ていること、そして十六夜童子と望月は互いに影響し合って記憶を取り戻していくことなどが挙げられるのだが、実際のところそんなものは関係なく、ただ永きに渡る縁の在処を信じたかっただけなのかも知れない。

Arcana Shadowとは、在りし日の面影を回顧する壮大な絵巻物である。
あの美しくも苛烈な世界観を目の当たりにした私たちに、いのちとは何か、今をいきるとはどういうことかを切々と問うてくる。まさに観衆に創り手の想いを託す歴史ファンタジーとして異彩な光を放っているのだ。

おわりに

軽い気持ちで備忘録を書き始めた当初、こんな長編になるとは思いもしなかった。ただ、私の魂を揺さぶった景色をどうにかして書き留めておきたかっただけだった。何故こんなことになったのか、終章まで書き綴った今となってもよく分からない。
ただ、この作品から受け取った色彩は今も私の中で消長し、あるいは転化を繰り返し、あの夢のようなまほろばを創り上げている。拙い文章ではあるが、その一端でも伝わるものがあれば幸いである。

最後に、製作陣の方々、そして延々と続く備忘録を読み続けて下さった方々に御礼申し上げて締め括りたいと思う。
そして、台無しだと言われても最後にこれだけは叫ばせて欲しい。

鈴木勝吾さんの道長様は、本当に天才でした!

白木蓮の大木 2023/3 湯河原にて



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