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「ゲート」は閉まったの?

私だけ?シリーズ


「ゲート」
いわゆる門は
ある意味境界線を意味し、閉めたり開けたりしてその隔たりを表すもの


内側にいると感じれれば
それは心地よいことであり

外側にいると感じれれば

ざわざわするものである
たとえそれが開いていたとしても



この記事を読んでくださる方には何の話かきっとお分かりだと思います
最近こんな話が一般的になってきたことに喜ばしく思う今日この頃

その反面

事実なのか、信条なのか、願望なのか
人によって定義の異なる話題


だからこそ


非常に多彩な意味合いを持ち
適応状態も異なり
また受ける反応、結果も
ありとあらゆるものとなる話題



それゆえ
ここに記すことは
ほんとうに「私だけ」のひとり言
と思っていただけると
安心して読んでいただけるのではないかと


「口コミに弱い」という我が人種

歴史的影響なのか、それとも社会的
もしくは人類そのものの特徴なのか



長年「外側」にいる視点から
新しくやってきた人々を見ると
どのように彼らが新しい生活環境になじんでいくのかが
手に取るようにわかる


いかに情報の入手手段と情報の質が影響を与えるか
その重大さを感じる


だが、それもまた、その過程の醍醐味でもある



新しい知識は
すでにあるものの上に蓄積され
新しい意味を形どる


それが、何とかして現状の上にのせるのか

一部取り外してつけ直すのか

それとも基礎まで取り壊して作り直すのか

それもまたその時々によって異なるだろう


常に普遍であることは


二元性は常に同時に存在し
その二元性の間には
全てのものが存在する


そして
自分がどこに位置するかは


自分次第


ゲートが開いていても
閉まっていても
中にいても
外にいても


今ここにある自分は


感じるまま

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