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時間を”消費”し合う相手

年末年始の帰省で思ったこと。

帰省して予定を立てて会った友達、12人くらい…?
地元に帰っても12人も自分に会ってくれる人がいるという安心感。すごく幸せ。
ってことで前置きはこれくらいに…。



やっぱり会うまでの過程ってある程度、面倒の連続ですよね。それでも、会おうっていう熱量の方が高いからようやく会える。
そんな相手がいるのは、すごく幸せなことです。



私は大抵の場合、
「その人とどれくらい仲が良いか」は、最初の相性のポテンシャルよりも、過ごした時間の方が遥かに重要です。たぶんそれなりに誰とでも仲良くなれるんだと思います。
だから、その人とどれだけの時間一緒にいたか、どれだけ多く関わってきたか、どれだけ多く言葉を交わしてきたか、が仲の良さにほぼ比例します。


「言葉を交わす」
良い言葉ですね。ノンバーバルも含意する”コミュニケーション”ではなく、体験や場所、時期の意味も含まない、”「言葉」をお互いに交換し合うこと”
だけを言いたいときには、この言葉が適切すぎて、他の表現方法が分からない。

書きながら思ったこと。笑


今でも会ってくれる人たちと一緒にいると、私がこの人たちと過ごしてきた時間の塊を見ている感覚になります。過去の自分の時間の使い方が体現されたものみたいな。
伝わるかな。笑
なんかその感覚がすごく幸せで。


「時間の長さ」はお金にも、何をしたかの密度にも、敵わない。

自分の意志によらないものをどれだけ共有してきたか、費やしたか。なんかすごく素敵なことだなぁと思うんです。


意識的に費やしたくて費やしたとしても、惰性で一緒にいて費やしてしまったとしても、同じ重さで大切な感じがいいなぁって思います。


だから、これまでの出会いはすごく大切にしたい。そして、これからの自分の時間も、人に費やしたい。そう思ってしまうんです。


…ちなみに、しっかりデメリットもある。
1人の時間ってもったいないな、って思ってしまうこと。1人の時間も同じくらい楽しめたらいいんだけど。1人時間苦手でね、克服しなきゃいけないんだけど、どうしていいものか。だれか教えてください…。笑


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