虫取り_没頭_

没頭することの大切さ

没頭。それは今の子どもたちに最も足りていないものかもしれません。

本来、遊びというものは時間的、空間的に制限のない状態が理想とされていますが、そのような環境が今の子どもたちに提供されているでしょうか。時間的にはどうしても社会で生きる上で制限ができることが多いし、空間的にも「やっちゃダメ」なことが多すぎてむしろやっていいことの方が少ないのが現状です。そしてそれらの制限は多くの場合、“大人の都合”です。子どもにやりたい放題やられると困る(と感じる)大人が多いのです。ある側面ではそれは仕方のないことだとは思いますが、やはり大人になるためのステップとして制限なく没頭するという経験がどうしても必要になるのではないかと私は感じています。

ある発育発達学者によれば、子どもの身体面、情動面での成長はシャンパンタワーに例えられるそうです。上のグラスが満たされると、自然とその下のグラスを満たすようになります。そうした連鎖がピラミッドの形でどんどん広がっていきます。子どもの成長においても同じようで、ある一つの物事に満足すると、自然と次のステップへと進むそうです。逆に満たされていないと、“ヌケ”ができて、成長過程のどこかで歪みができる。そしてそのヌケは実は後から満たすのはなかなか難しいとか。そうした没頭体験なく育った子どもが、好きなことを突き詰めて頑張りなさいと後から言われたところで、“ヌケ”のせいでポカーンとなるのがオチでしょう。

少し話は逸れますが、「好きこそものの上手なれ」という諺もあるように、あれこれ指図せずとも、好きなことはどんどん成長を遂げていくものです。先日引退したイチロー選手も、好きなことをみつけ、それに向かってとことん没頭する大切さを説いていました。他の成功した多くのアスリートも同様のことを述べています。いつからか好きなことなのに制限が設けられたり、または大人に“やらされる”作業になってしまったりということがしばしば見られますが、これはとてももったいないことであると同時に、大人の罪過とすら言えると思います。

話は戻りまして、没頭の大切さは無意識的集中という言葉で、かのマリア・モンテッソーリ氏も述べています。そうした環境を整えることが大人の役割であるとも。遊育くらぶではできるだけ制限を設けず、子どもたちのやりたいことをやりたいだけさせてあげられたいなと思っています。

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