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私が身代わりになれば

 「私が犠牲になればすむ。
  この地獄が終わるかもしれない。」 
 小学生の私が考えたことです。

 父は小さなことで、感情を爆発させ、執拗な暴力を始めます。

 例えば、
 「このヘアピンを落としたのは誰だ!」 
 「流しに落ちてたこの髪の毛は誰のだ!」 
 「トイレの電気を消し忘れたのは誰!」
 と始まるんです。

 でも、私達は母と4人姉妹、これって、誰のものか判明させるほうが難しいんですよね。

 誰もが父の暴力を受けたくないばかりに、押し黙ります。その間も父の怒りはヒートアップします。

 母と私達4人を立たせて、何時間でも、夜中になっても、開放してくれないのです。
 その間中、私達は延々と父の暴言、罵声を浴びせられるのです。

 時にはひとりずつ順番に殴られることもあります。白状させるための拷問です。

 そんな状況を繰り返すうちに、私の心に芽生えたのが、冒頭に書いた言葉です。

 父の怒りに触れた原因が、誰のものかわからない時は、延々と虐待が終わらないので、その地獄のような状況を終わらせるために、

 「私だと思います」
 というのです。
 けれど父は、その答えでは許してくれません。
 「…と思います??」
 「どっちだ!お前なのか!」
 とまた責め立てられます。

 私は無駄な抵抗をやめ、仕方なく
 
 「私です」

 そう言ったら最後、
 私はほうきで嫌というほど殴られます。
 髪を引っ張り引きずられます。

 そして、なぜそうなったか理由を、父が10カウント数えるうちに、的確な答えを必死で探すんです。

 うまく答えられなければ再び、さんざん殴られます。そして殴られた後もすぐに直立不動し、また始まるカウントダウンの間に、父が納得するまで答えを探すんです。
 
 これが延々と続くのです。
 周りに助けてくれる人はいません。
 父の気が済むまでは終わりません。

 それでも「犯人」が決まれば、終わりがみえているんです。

 だから、「犯人」がわからない場合、私は自分から名乗り出ることにしたんです。

 だたただ、少しでも早く父が怒り狂ってる状況を終わらせたかったのです。

 地獄のような時間を少しでも早く終わらせるために、幼かった私がひとりで考えたのが、「自分を犠牲にすること」だったのです。

 ただ、私がこれを続けていくうちに、様々な粗相(?)は、全て私のせいになっていきました。

 「また、ゆうかか!」
 「また、お前か!」
 「なんでいつもおまえは!」
 「おい!これゆうかか!」
 「ゆうかはだらしないな!」

 ということになってしまったのです。

 本当の地獄はここからでした。

 我が家では、誰がが怒られると、連帯責任と言われ、「犯人」以外の全員がお説教されるのです。

 誰もかばってくれないどころか
 私は
 「また、ゆうかのせいで怒られる」
 と思われているのではないかとさえ思うようになっていきました。

 その思いは、今でも消えていません。
 
 家族のために、地獄を少しでも早く終わらせるために、小学生の私が考えた方法でしたが、それが嘘だったのにも関わらず、

 私は大人になった今でも
 「私のせいでみんなに迷惑をかける」
 という呪いに囚われ続けることになってしまいました。

 
 

 

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