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巨人が踊っている

僕たちは幼い子供のように紐靴のかかとを踏みながら、聞き取ることのできない中国語をかき分けていく。煤に覆われたビルディングの2階で、時代遅れのタランティーノの映画が流れているから。朝日が昇るまで終わらないレイトショーの、不愛想な光の中でどこまでも漂流を続けられるような気がしていた。

吸殻を夜に向かって高く弾く。その火が紺青を引っ掻いている間だけ、僕たちはインディアンのように高らかに奇声をあげる。それは夏の花火のように、つまり命の儚さのように、とどめられて、それ故に美しいものだと信じているみたいだ。けれども、ひとりのタイタンが地をならし、天幕が別たれ分厚いカーテンのように揺れると、僕たちはただ夜に縫い付けられた羽虫だった。街中のコンビニで百円ライターと花火を万引きしてまわった。

季節性のインフルエンザのような宗教を口遊んで、取り返しのつかない熱に侵されていく。輪になって、手を取り合って、隣の子供のうでがぽろりと捥げる。もっと素早く、もっと軽快に踊らないと大切な身体が腐り落ちてしまうから、隣の子供の腕を引っこ抜き、ぶつかり合う肩が豆腐のように崩れる。

すべてのタイタンが踊り出す夜に、ミニチュアの街とただ純粋な光であるはずのネオンが砂礫とともに崩れ落ちていく。ほろほろと、窓枠に降り積もった雪が朝の陽ざしのなかで柔らかな音を立て消え去っていくように。聞こえているのは、その崩落のなかで子供たちが熱に浮かされ乍ら幻を唄っている微かな声。



初出
金澤詩人第17号(http://bach2.sakura.ne.jp/kashi17.pdf)

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