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大待機列ミュシャ展最終日

ミュシャ展最終日に並んだ。
アホかと言われれば、アホです。なぜもっと前にいかなかった!

朝10時に乃木坂駅では50分待ちとでていて、チケットを買ったら90分になり、実質110分くらいは待った。
乃木坂駅ではメトロの職員さんがチケットを売っていたみたいで、「90分並びますからね!返金できませんからね!」と何十回もくぎを刺していた。

ある程度待つ覚悟があったので、行きにペットボトルとおにぎりひとつをコンビニで買って、つば広帽子とサングラス、日よけと冷房よけの長袖カーディガンに日焼け止め多めに塗って、日焼けと熱中症との兼ね合いを見つつ、おにぎりをもぐもぐしながらひたすら並んだ。

待機列は、なかなか面白い。
とにかく謎の布を頭や顔に巻きつけている人続出(手ぬぐい、ハンカチ、タオル、カーディガン、その他)
途中で給水所が設置されている(やさしい!)
一瞬、大声でケンカっぽい事があった様子だけど、特に大きな混乱はなかったみたい。
あの新国立美術館のまわりの坂を何往復もさせられた挙句、建物内に入ってからがまた長い。

並んでいる人たちの服装は、新国立美術館らしく流行のスタイルの女性、オシャレボーイ、アート気取りのおじさん、と思いきや山にでも行くんですかというアウトドアハットにザックに手甲(日よけのアームカバーだけど)のおばさん、一転して高級そうなツイードのツーピースに大珠真珠ネックレス(南洋珠と見た)をつけている老婦人、若くてデザインが凝っているブラウスにパールの二連ネックレスをしている人はたぶんイミテーションかきれいな淡水パールだろう(お手頃価格)。
アールヌーボー風味の模様の日傘をさしていたり、それっぽい雰囲気のペンダントをしている人も結構見かけた。
小さいキャリーカートを引っ張っている人や楽器のケース持っている人もいた。外国人は少なめ、最終日だから駆け込み日本人ばっかり。

大待機列発生には絶対の法則がある。
それは、みんな知ってるものってことだ。

阿修羅像が東京に来た時も、若冲が来た時も、ダイオウイカが出てきたときもそうだ。(若冲は、福島まで観に行ったので、東京で見るのはやめた。でも地方遠征するなんて結構なもんかもしれない)

どれも教科書に載っていたり、ミュージッククリップで目にしたり、CMで見たり、子供の頃の学研漫画みたいなやつに出てきていた。
みんな知っているものだ。

ミュシャは、もうまさにその条件にぴったりと合う。

でも、今回はちょっと違っていたと思う。
みんなが知ってるパリ時代のミュシャ、アールヌーボーのミュシャじゃなくて、大作がくるってことで。

もちろん、私もパリでポスター作ってたミュシャくらいしかしらない。
列の後ろでは「セーラームーンのプリンセスセレニティのドレスや表紙絵がミュシャに影響受けてる」っていう話をしてる女の子ふたり。
「お母さんが、武内直子(セーラームーン作者)と小学校いっしょだったんだよねー」「へーー!」

最終日なので大待機列過ぎて、音声ガイドも長蛇の列。オリジナルグッズ販売のレジも会場の外まで。

(写真可ゾーンがありました)

入場すると、圧倒される。こんな巨大な絵が、何枚もあった。

でかい、とにかくでかい。
これほど巨大だったのか。もはや建築物じゃないか。
物理の勝ちだ。

それと同時に、これだけのものを作ろう、作り上げよう、という考えが誰かの心の中に生まれたという事と、実際にそれを作り出したという事実を目の当たりにして、口をつぐむ。
(まあ、ひとりだから最初から話す事はないんだけど)

映画みたいだなと思った。
巨大なスクリーンに映し出す映画。ここまでくると、絵は動かなくてもいいのだ。音がしなくてもいいのだ。

最終日という事で音声ガイドなんか借りられなくて、入場パンフレットさえもらえなかったので、手元の情報があまりに弱くて、アホさ全開だったんだけど、物理の大きさに圧倒された。

これだけのものを作ろうっていう事が、そもそもすごいじゃないか。
製作場所も、飾る場所も、なければだめなのだ。
もし作れるだけの資金があっても、画力はあるか?
それ以上に、描きたいだけの、そして存在を望まれるほどのテーマは、あるのか……?

彼にはあったのだろう。
戦争、民族や人種、貧しさと豊かさ、誇り、祖国。

チェコに行ってみたいと思った。
プラハ。

この大作のほか、いくつか小品も並んでいて、パリ時代の作品はとにかくそれ以外のものはとっても良かった。

実際のミュシャの描く絵は、ほんと可愛い。超かわいい。可愛すぎる。

壁画の下書きとか、線画なんか猛烈にかわいかった。
写実と、理想的な美しさの人間の姿が最高の地点で組み合わさって生まれる、現代のイラストレーションにとても近い雰囲気があった。
いわゆる神絵師的な感じ。

女性的で、清潔で、装飾性があって、それでも死屍累々の戦場の絵を描かざるを得なかった魂の存在。

この絵が祖国に戻ったら、もう一度見せてもらいに行けたら、と願う。

そう異国の地の人間にさえ願わせるような、強い祈りのような、簡単には消化できない大量の透明な物質が、あの巨大な絵画の空間には厳然としてあった。
異国の地で、見慣れない人種たちが群がっている中でも、スラブの祈りは強烈に存在した。
それが、あの巨大な絵。

あれは、印刷しても意味がない。あの空間こそが、あの絵だ。
祈りに満ちながら、その裏には憎しみや苦しみや悲しみがあって、それを乗り越える誇りや慈しみがあったし、これを作ろうという意志が(それは16年という長い時間や、資金という形でも)はっきりと存在した。

絵は、たまに「そこに人がいる」ことがある。

絵を描いている人が、そこにいる。
そういう気配がたまにあるのだ。

その気配を、おそらくはあの大きさと、テーマと、その筆で、意図的に増強したのが、スラブ叙事詩。

そこには、人がいて、見ている人がいて、作った人がいて、この裏にこの絵を描かせた多くの人がいて、それがこうやって海を越えて運ばれてあまりに多くの人たちの前に現れた。

人がいる絵。
誰かの目に触れて、なにかの感情を引き出す役目を背負っている。
その使命は、異国の地でもくっきりと発揮された。

いつか、この絵が帰った時に、この国へ行こう。
スラブ叙事詩は、すべての人にそう訴えるのだろう。



こんな大きな絵を運んできたのは、やはり並大抵の事ではない。
関係者の皆さんの大仕事はこの後も続くと思いますが、どうぞ無事にすべての会期を終えられますように。
(韓国や中国、アメリカをまわるらしい。中国でこれだけの大きさの作品を展示できる実績のある美術館がないので破損等を心配してミュシャの遺族がプラハの美術館相手にいろいろストップかけるように言ってたというのが日本にまで漏れ伝わっている)

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