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緊急時に分かったイロイロな事・人・未来

地震があって、いつでも外に出れる体制を整えて思った。
かばん3つに入るほどのもの。
緊急とはいえ。
そして、ここ数日で見えた「いくつか」


  1. モノ

  2. そして


「人」

地震ということで、何人かの人からのメッセージ。
安否確認、安否確認プラスα、安否確認からのオンラインでの会話
メールのやり取り、やり取りからの気づき、勇気づけ、
未来への展望とアドバイス。

3日間、誰にも会わなかったけれど、
勇気づけ、気づき、学び、今後の行動へのステップに繋がるマインドなど
いろいろなものを得ることができた。

幸いに、ライフラインに影響はなかったけれど、
頻繁な余震に緊張感と不安を覚え、
睡眠不足でもありながら、気持ちが持ちこたえられたのは、
「人」の存在だった。

元々、どちらかといえば、大勢でわいわいするより、
適度な距離感を保って、ひとりひとりが個として揺るがず存在できる空間が好きな私。
そんな私の交友関係は、狭くて深めな感じ。
でも、ちょっとづつ、ちょっとづつ、そんな関係性の人が増えていて、
そうでない関係性は、無くなっていってる。

そんな今の自分の居心地が、人生の中で、一番と思えるくらいにいい状態。

これからは、自分が意図する未来に、
その意図を共有できる仲間が現れて、
ともに同じ位置に安んずることなく、
新たな価値を生み出して、新たな世界を見たい。


「モノ」

結構、捨ててきたつもりだった。
別人ならぬ、別部屋くらいに変化した私の部屋。

「モノ」がなくなって、床に置くものがなくなっていって、
いい感じになってきたって思えてたけど、
今回の地震で、整理するものは、まだまだあるように思えてきた。

そこで思ったのは、捨てるだけでなく
今、あるものの再利用、価値拡大。
いろいろある中で、こんな風に使ってみたらどうなるかと思って
使い方の方向性を増やしてみた。

これは、これだけにしか使わない、
この使い方だけしかしないというのではなくて
別の使い方を考える、別のフィールドを与えてみる。

人からもらった「ショート丈のコート」を部屋着にしてみた。
綿入りだけど、もこもこはしてなくて軽くて保温性が高いから、
光熱費の節約になる。

水分を発熱させて熱を生む布団は、こたつに使ってみた。
最初に電源を入れたらすぐに熱くなって、
その後、電源を切るとしばらく温かい。

1つのモノに、1つの利用法だけとなると、モノが増えてしまう。
1つのモノに限りなく性能を求めた先には
いくつもの商品が競り合った世界があり、
そこで、いかに安く、いかに性能が良くて、いかに自分が楽できるかという思考になって、楽さを求めて、モノが増えていく。
そのモノに別の価値を付けて使えたらいいけど、
あまりに特化してしまうと、別の利用方法が見えなくなったり、
実際に別では使えなかったりする。

あまり特化されてないモノに、自分なりの使い方を考えてみるのもいい。


「そして」

落ち着かない日々ながら、
部屋にいて、「100・0」の思考を置いて、
少しでもいいから、できることを。

ちょっとだけもたついた空間を紐解き、
紙類の整理。本の整理。PCの中のデータの整理。

そして、なぜか紙と本を重ねた山の一番上に
無意識に置いた1冊の本が、私の視界に現れた。
買っておきながら、きちんと読めてなかった本。
たぶん、数年経過している。

以前聞いた、あるコーチの言葉を思い出した。
読んでない本の中に、実は答えがあるというような内容。
本を手に取り、なぜか最後だけ読んでみた。
そこには、知りたかった事が書いてあった。
なぜ、読まなかったのか

違う。
当時の私には、たぶん、読めなかったのだ。
この本を読んで理解できる私ではなかった。
私の次元が、追いついてなかった。
そんな風に思えた。

あの時、そのコーチは、なぜ読まないのかという理由は言われなかった。
だから、私の中に「問い」として、
その事が存在し続けた。何年も。

そして、その問いの答えを見る機縁が揃った。
これって、
私だけの変化だけじゃなくて、環境をも必要とするという事かもしれないって思った。

よく、自分が変化すれば現実が変わる。
現実を変えるかどうかは自分次第とかいう話もあるんだけど、
私は、それだけじゃないと思う。

環境を変えることがきっかけになって
気持ちが変わって、前よりうまく行くという事はある。

環境だけ変えても、自分が変わらなければ、
現実は変わらないは本当だろうか。

自分が変化することも、環境を変えることも
どちらも結果を変える因子となり得ると思う。

その因子の質や大きさ、別の因子と合わさるタイミングなど、
多角的に考えれば、簡単な方程式のような事は言えない。

私が学んだ薬膳は、中医学や古代中国哲学が基盤となっていて、
その食材にこんな効能があるから身体にいいとは、言わない。
食べる人の体調、体質、生活状態、季節など、
食べる人と、その周囲環境、時を考えて、
何をいつどんな風に食べるといいのかを考える。
同じ人であっても、その時、その場によって考えられたレシピが
効果を発揮し、継続する事で「質」まで変容させていく。

「簡単に・すぐに・楽に」に飛びついてしまいがち。
そんな情報に溢れているから。
でも、人間は考える葦であり、
頭がいいとか悪いとかでなくて、
自分の知性を老いさせては、
自分が不幸になってしまう。そんな風に思った。

人の幸福・不幸って何だろう。
その問いを、心に頭に留めておこう。

残りの人生がいつまでかなんて分からない。
いつどこで何が起こって、最後となるか。
だから、今日という1日を、昨日とは違う1日としたい。
条件反射に完全支配されず
何かほんのわずかでも違う選択を
読めてなかった本を1冊、手に取ったことから
昨日まで知らなかった世界が拡がることがあるから。

でも、その機会を捉えられるかどうかは
自分の成長と
時間や空間や出来事など
幾重にも重なった
その瞬間に気づけるかどうか、動けるかどうか

そして、
もしかしたら動かされるかどうか
そんな要因もあるのかもしれない。





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