第二章 秋のおと 11


   11

「きみは私のファンだという。それはありがたいが、だからといってきみは自分の絵を私に似せて描くことはない。きみは売れるような絵を描きたいんでしょう?」
「そうです」
「だったらなおさら、私の真似なんかすべきじゃない。自分の絵を売りたかったら、自分にしか描けない絵を描くべきだ」
「でも、先生の絵は売れていますよね。そしておれは先生の絵が好きだ。おれが好きな売れている絵を模倣すれば、おれの絵も売れるんじゃないか。ちがいますかね」
 私はため息をついた。それは全然違う。この男はまったくものごとの道理をわかっていない。しかし、そのことを彼にわからせるにはどうしたらいいのだ。私は絶望的な気分になるのを抑えられなかった。
 ともあれ、私は彼に、絵を売りたかったら画商に見てもらいなさい、私に見せてもなんの役にも立つことはできない、ということをくりかえし伝えた。そうするしかなかった。押し問答のようになったが、私はただくりかえしそう伝えた。
 その日はそれでしぶしぶ彼は引きさがった。しかし、どこでどう調べたのか、今度は直接、アトリエに押しかけてきた。画商を紹介しろと迫られ、私はやむなく、知り合いの画商の連絡先を教えた。
 そのあとすぐにその画商に連絡し、事情を伝えた。
 男は画商のところに行ったようだ。そして、絵を売ることを断られた。彼は私が、自分の絵を断ることを初めからわかっている画商に紹介した、つまり自分を追い払うことが目的でそのようなことをしたのだと思いこんだ。
 ある日、なにかの用事で外出していた私が、夕方近く、アトリエにもどってきたとき、待ちかまえていた男に襲われた。金属バットを振りかぶった男の顔が目の前に見えたことは記憶している。頭に衝撃を受け、記憶はそこでとぎれている。
 意識を取りもどしたのは、一か月後のことだった。私は病院の集中治療室にいた。頭蓋骨陥没と損傷、頚椎《けいつい》の圧迫損傷、肋骨、腕、膝、その他数か所の骨折。
 男は私を襲った数日後、秩父山中で首をつっているのを発見された。もちろん私には知るよしもなかった。
 私はとくに頚椎の損傷によって、全身麻痺《まひ》に近い障害を受けていた。医者からは奇跡的だといわれたが、麻痺はゆっくりとだが何年もかけて徐々に回復し、やがて身体を起こしたり、歩けるようにまでなった。
 私は暴力によって世界から抹殺されかけ、また暴力によってこの世界に再生したのだともいえる。

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