第二章 秋のおと 14


   14

「そういえばわたしも最初は、なんのために絵を描くのか、なんてかんがえていなかったような気がします」
「でも、いまはそうじゃない?」
 真衣はしばらくかんがえてから、ゆっくりと話しはじめる。

「絵を描くのが好きで、小学生、中学生と絵が得意で、先生にもほめられて、何度かコンクールで入賞したりしました。高校にはいったときに、大学は芸術系に進みたいと思って、美術の先生にも相談したら、入試のための準備をしましょうといわれて、デッサンの練習をはじめたりしました。デッサンも好きだったけれど、それは好きで描いてるんじゃなくて、大学にはいるために練習したんです。大学にはいるのは、専門的な教育を受けてプロに近づくためで、絵描きとして食べていけるようになるために芸大の受験をしたんです。そのときに描いていたのは、好きな絵ではなく、自分が絵描きになるための手段としての絵でした。そしていまの学校にはいったら、今度はプロの絵描きになるためにはどうしたらいいか、ということばかりかんがえて絵を描いている……なんだかかんがえてばかりですね」
 真衣はふっと息を吐き、自嘲するように笑う。

「なにしてるんだろう、わたし。ほんとはただ好きなように絵を描いていたいだけなのに」
 ひとりごとのようにいう。私は初めて彼女の素顔を見る。
 沈黙をたもって見ていると、彼女の顔にさまざまな表情が浮かんでは消える。彼女のなかにいろいろな思いが去来しているのがわかる。
 私はいう。
「私の話ばかりしてしまいましたね。今度はあなたの話を聞かせてください」
「わたしの話……ですか?」
「はい。あなたはどんなところで生まれ、どんな家族を持ち、どんなふうに育ったんですか」
 一瞬、彼女の顔を苦しげな表情がよぎる。それを見逃さなかった私は、つぎに彼女がその問いをそらしても追求しない。
「わたし、いま、ここにいなかったです」
「はい」
「なんか、ずっと、いまここにいるわたしではなくて、どこか別のところとか、いまではない昔のこととか、そんなことにとらわれていました」
「それに気づいたんですね」
「はい」
「短時間でずいぶん学んだんですね」
「わかりません。でも、いまここにいたいなって思ったんです。わたし、いまここに……先生といっしょにここにいる自分をちゃんと感じていたいです」
「はい、そうしましょう」
「手を持ってもらっていいですか。この前みたいに」
 真衣が自分の手を、手のひらを上に向けて、私のほうに差しだす。

横浜共感カフェ(10.2)
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