第二章 秋のおと 6


   6

「おもしろい……」
 真衣がひとりごとのようにいう。

「先生の手があることで、かえって私の身体が見えてくるような気がします。まるで……壁に手を突くことで、壁があることと同時に自分の手があることに気づくみたいに」
「それでいいんですよ。最初はなにか対象があるほうが、自分の身体を感じやすい」
 それは現代人の〈病《やまい》〉といってもいい現象だろう。なにか対象がなければ、自分自身のリアルな存在を把握できない。なにごとをするにしても自分の身体を使ってやるほかはなかった昔の人は、常に自分の身体に注目が向いていただろう。しかし、現代社会では、洗濯するにしてもスイッチひとつ、蛇口をひねれば水が出る、スイッチを押せば明かりが灯《とも》るし、パソコンを開けば世界につながってどんな調べものでも自由自在という環境がある。
 リアルな自分の身体、すなわち存在そのものが、バーチャルなイメージになってしまっている。鏡に映った自分を見て、これが自分だと認識しても、それは自分の形状であって、実体としての感覚からはかけ離れている。そのことに気づきにくくなっている。
 なにかするときも、バーチャルな自分がおこなっている。絵を描くときもそうだ。
 私は自分の身体を一瞬失い、そのとき、自分が観念で絵を描いていたことに気づいた。身体を取りもどす過程で、観念ではなく実体として、虚ではなく実として、正直に誠実に絵を描いてみたいと思った。切実にそれを渇望した。
 真衣のてのひらをすこし押しさげるように力をくわえながら、私はいう。

「自分の身体が見えてきましたか?」
「よくわからないけれど、さっきとはちがう感じがします」
「私の手は気にせず、でもこの感覚から自分の身体を見て、それからどう動きたがっているのか感じるんです。かんがえるのではなく」
「あ……」
 真衣の手がぴくりと動く。

「いいですよ、動いて。筆はどう動きたがっていますか?」
 真衣の右手の筆がすーっと動く。

 一直線に右に向かって動き、とまる。
 紙からはなれ、線はそこで終わる。
「勝手に動きました」
「あなたの線です」
「これが……」
「あなたの観念や、捏造されたイメージではなく、あなたの全身が教えてくれたいまのあなたの線です。あなたの存在はその線にあらわされていますよ」
 はっと真衣が私を見る。それから、自分が描いた線を見る。

 もう一度私に視線を向ける。
 その眼の下の瞼《まぶた》に見るみる水分があふれて、こぼれる。

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