第二章 秋のおと 9


   9

 真衣がダイニングの食器棚からワイングラスを二脚持ってくる。

 サイドテーブルに置かれたそれに、私はワインを注《つ》ごうとする。ワインボトルの底のほうを持ち、口をワイングラスに向け、ワインを注ぎはじめる。
 すこし注ぐが、最初から手が震えて、ボトルに口が不安定に揺れるのを見て、真衣がすぐにボトルに手をそえて、いう。

「わたしがやります」
 私は彼女にボトルをまかせ、手をはなす。
 真衣はボトルの胴体をしっかりとつかんで、ワインを注ぐ。もちろん、ワインの注ぎ方など知っているはずもない。しかし、私はなにもいわず、彼女に任《まか》せておく。

 それぞれのワイングラスにたっぷりと半分ほども注いでくれる。自分もそのくらいは飲むつもりなのだな、と私は思う。
 彼女がボトルをテーブルに置きもどしたのを見てから、私は自分のワイングラスを手に取る。たっぷりすぎるほどワインを注がれたそれは、いまの私には重すぎるほどだ。彼女のほうにもおなじくらい注がれている。
「乾杯、といいたいところですが、なんに乾杯しましょうかね」
 真衣は困ったような顔になる。

「私とあなたが初めていっしょにお酒を飲むこの夜に乾杯してもいいですかね?」
「……はい」
 困惑したまま、真衣がうなずく。

「では、乾杯しましょう」
 重いグラスを差しだし、真衣のグラスと合わせる。ギンと鈍い音が響く。

 私はグラスを口元に運び、ひと口飲む。ブルゴーニュの軽めのワインだが、悪くない。真衣を見ると、ちょっとひと口飲んでから、ぐいっと大きく含んで飲みこんでいる。

「ワインは好きですか?」
 私の問いに、真衣はまったくちがう返答をよこす。

「先生が身体を壊されたのは、どういういきさつなんですか?」
 私はちょっとびっくりする。そのことについては、真衣は西田教授から聞いているはずだとばかり思っていた。

「聞いてないんですか?」
「なにを、ですか?」
「私がこのような身体になった事件のことを」
「事件? いえ、なにも聞いてないです」
 それは本当のようだ。とぼけているようには見えない。彼女は本当に知らないのだと私は思う。
「聞きたいですか?」
「はい」
「けっして愉快《ゆかい》な話ではありませんよ」
「そうなんですか。でも、聞きたいです。知りたいです、わたし」

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