第一章 夏のにおい 19


   19

 瞑想状態で思考を手放し、ただ身体の感覚に集中していると、時間の経過が不思議な感じになる。あっという間に一分がたったと思うと同時に、とても長く感じることがある。時間が一定の速度で進んでいるという思考的な感覚ではなく、実際には相対的に速度が変化し、伸びちぢみしていることを体感する。
 真衣のスマートフォンが「ピピピピ」と鳴る。
 真衣があわてて目をあけ——どうやら目を閉じていたらしい——指が電子音を止める。ふうーと大きくため息をつく。
「どうでしたか?」
 私がたずねると、真衣はこまったように笑みを浮かべる。
「全然だめでした。無理です。なにもかんがえずにすごすなんてこと、できません。かんがえないようにしても、つぎからつぎへといろんなことをかんがえてしまいます」
「でしょうね。私も最初はそうでした」
「練習すればできるんですか? 全然できる気がしないんですけど」
「あなたはまだ、自分がいろいろかんがえてしまっていることに気づけただけましです。ふつうは自分がなにかをかんがえていることすら気づきません。気づかないまま、つぎつぎといろんなかんがえが頭のなかをめぐっている。いまここに生きている自分自身の存在そのものにはまったく注意がはらわれていません。つまり、そこにいながらにして、いない状態なんです」
 真衣の目がすこし大きくなる。
 そういえば、真衣は眼鏡をかけていない。コンタクトレンズをつけているのだろうか。
「わたし、いつもそんな状態ですごしてます。いつもそこにいながらにしていない状態なんですね」
「たいていの人がそうですよ。でも、たまにはいきいきしているときもあるでしょう?」
「わかりません。どんなときですか?」
「おいしいものを食べているときとか、友だちと楽しく会話しているときとき」
「よくわかりません。そういうときでも、自分自身に気づいているとはいえないような気がします。どうしたらできるんですか?」
「一番簡単なのは、自分の呼吸を観察することです。ちょっとやってみましょう」
「はい、教えてください」
「いまから呼吸を一回だけします。ゆっくり吐いて、それからゆっくり吸います。一往復だけでいいですよ。そのとき、空気が自分の鼻を出ていき、またはいってくるようすをしっかり観察してみてください。空気の温度や湿度はどんな感じでしょうね。空気が流れるようすを鼻の内側で感じることはできますかね。さ、やってみますよ。いっしょにやりましょう」
 私たちは呼吸を合わせて、いっしょにゆっくりと吐き、そしてゆっくりと吸う。

「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演@明大前キッドギャラリー
「沈黙の朗読」に「音楽瞑想」がくわわり、来場の方にある種の「体験」を提供する、まったくあたらしいハイブリッドなパフォーマンスとなります。8月21日(金)20時から。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?