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clubhouseを3日目で消した話

今話題の音声SNSのClubhouseを招待してから3日目で消して、いまのところ入れる気がしない(招待してといわれてログインしてすぐ消すのと、カウンセラーに説明するためにインストールして消したはやったけど)ということについて、自分の現時点の視座を消えゆく言葉ではなく、残る文字として残しておくためにこのnoteを書いておく。

Clubhouseは一週間ぐらい前に爆発的に広まったアプリで私も招待をされて割と日本では早いタイミングではいった方だと思う。入ってから二日間ほどは、「コロナ禍で失われた人々の緩い出会い」を求めていろんなところに出入りして繋がった(特に他大学の社会人大学院と話せたのはよかった!)けど2日目の夜に、「著名人」と「それのフォローワー」と「聞く人」という「乗り越えられるけど乗り越えてはいけない壁」がある Roomが見られるようになったところでアプリを自発的に終えて寝てしまった。

3日目の消した日は、朝から軽いランニングをしていたらApple Watchに通知がきまくってウザイので「もう嫌だから消してやる!」ということで消してしまいました。私は思索をするために一人になりたいんだよ!!!

ポイントになってくるのは「乗り越えられるけど乗り越えてはいけない壁」だと自分自身の思考を見つめています。少し前にあった「KY」というのが「空気を読む」ではなく「空気を読まない」という言葉の略であったということ。それを人に向かってなげつけて、「KY」というレッテルを貼るという風習(奇習?)だとおもっている

個々で思い出すのが、バーバラ・バイン「煙突掃除の少年」という本であった「新参者を排除するゲーム」という話。「輪になって隣の人にハサミを開いてか閉じて『開』『閉』と宣言して渡す」というゲームが出てくる。これは、このゲームを始めてやる人がいくらやっても「違う」といってダメだしをされてしまう。実は「開」か「閉」を決めるのはハサミではなくて、膝だったというオチなんだけど、これは「コミュニティーにきた誰かを歓迎」するものではなく「コミュニティーにきた誰かを排除する」ためのゲームである。ゲームのルールが新参者が思っているより外側にあるということだ。

「KY」というレッテルはこのように、人を排除するためではないかとおもっている。Clubhouseでは、「誰がモデレーターで誰がスピーカーか」で「KY」な行動をしてしまうと、当然排除をされてしまう。でもそもそも緩く聞きたい、例えて言うならルノアールの隣にすわっていて面白いことをやっているプロ営業の会話を聞いていたいぐらいの乗りである。なのになんでこんな「KY」にならないように注意しなきゃいけないんだろう?

clubhouseの仕組みが「手をあげればスピーカーになれるかもしれない」という「薄い壁」があることで余計に「壁」浮き立っているのではないかとおもう。

これを「『空気を読めない』といけないという空気を読まないといけない」と名付けたい。そしてそれをするには私には十分に余力がなさ過ぎる。私にはまだ読まないといけない本が無限にあるのだから。

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