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在野研究者における「非人情と距離感」の取り方

本棚を整理した。結構読み終わったり、正直おもしろくないけどとっておいたりした本があったので、処分したりminikuraの本棚サービスに送りつけたりしたことで、本棚の容量が160%ぐらいだった状態から92%ぐらいまで減少することができた。とはいえ予断は許さないのであることは間違いない。

でも割と近々によみたい本が床に積み上がっていて、そこから読書用のソファーに辿り付けないという地獄のような状況は解消され、一気に読書が進んだ。

Amazonでタイトルをみつけた瞬間に予約をして、そのことをスッカリ忘れて本屋でみつけて買って、一気にに読みきってしまった。ちはる塾おとな学部に参加してるメンバーとしてはこのタイトルに惹かれないわけがないのです!大学内での研究を「在朝」とみなし、それ以外の場所である「在野」で研究を続けることのメリット・デメリットから始まり、「自分達たのしい!」になっているのが伝わってきた。

ところが、この本にかいてる人はみな「大学院前期」いわゆる修士を終えている人達ばかりだ。つまり「研究の作法」については熟知した上で、「研究をする場所」の話がメインになっている。しかしこれを読んで「在野」の研究者になろうとする人は「研究の作法」がわからない。ここについて触れていない、いやそもそも作法がわからない人間は研究できないのだろうか?そのような疑問がふつふつと湧いてきた。

そう考えるとちはる塾おとな学部は「研究の作法を教える」ことで、スタートラインに立つことができるようにしてくれるのである。これはすごい。でもこのすごさはきっと「教える技術」でいう認知技能なので、知ってる人にはわかってもらえないし、わからない人には全く興味がないものである。悲しい。難しいものである。

話を戻すけど、この本ではともかくスピード感が溢れていた。高橋源一郎氏の作品について、内田樹先生がいきなりトップギアにはいるといった。それを彷彿とさせていた。ともかく在野にいることで語りたいことは一杯あるのだろう。新幹線の中で文章を書いているわたしもそうなのかもしれない。その中でも、山本哲士先生のインタビューが最高に面白くて読みながらゲラゲラわらってしまった。これだけでも一読の価値があります。

さて、そんな在野の研究者もどき?の私ですが、土曜日に開催されるアドラーフェストでポスター発表をします。

データーも取り終わったんだけどなぜか切り口がしっくりこない。仕方がないので詰んであった本や、読み返したい本を読んでいたら以外と答えは遠い所にあった。

文化人類学の切り口について読んでいたら最初の方に以下の記述があって納得してしまった。

調査対象の「近さ」と比較対象の「遠さ」。この「距離」が、文化人類学的想像力に奥行きと豊かさをもたらす。

対象が近いのは自分のフィールドでみることだが、なぜか近くの道具をつかってそれを計量しようとしてしまう。これが自分の経験が豊かになればなるほど、もってる道具が万能であると錯覚してしまうのだ。今回も自分が量的調査の結果について、いまいち面白みを感じなかったところに、フェミニズム論とかを導入することで面白い切り口がみえるかもしれないと突然思い立った。

で、本棚をとったのは「ルイ・ポナボルトのブリューメール18日」である。

お前いったいなにやってるんだという話もある。以前「非人情」に徹するためにクロード・レヴィ=ストロースはかならず論文を書くために繙読したというのを思い出したからである。正直革命が失敗したという結論から出発しているマルクスの草稿は新訳とはいえ読みづらい。でもこうなんというか、文体は疾走してるし、ともかく「非人情」になるためには「非人情」なテキストを読まないといけないという話に、直感的に惹かれたのである。

すると「非人情」とは「比較対象との距離」の話なのではないかと思い始めた。つまり、比較対象との距離が遠くに起き続けることが、自分に近すぎる対象を研究するために必要なのである。

さて開催まで3日切ってしまった。その前にも大きなイベントが何回かありそうだ。どうなるだろう。

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