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能登半島地震から1ヵ月

時系列や記憶が曖昧な部分もあるけれど
この1ヵ月で体感したことを素直に綴ります_✍🏻
ほぼ日記です📖
でも読んでいただけたら嬉しいです🤝🏻

◆1月1日
私は金沢の実家でお正月を過ごしていました。
突如、地震アラートが鳴り響き
大きく揺れ始めた。震源地はまさかの石川?
その後さらに大きな揺れが襲った。
やばい家が潰れる!と急いで外に出た。
東日本大地震の東京で感じた揺れよりも揺れの幅が大きく回るような感覚、母と支え合いながら立っているのがやっとだった。

実家は海から2キロほど離れたところ。
さすがに津波は来ないと思うよ、と両親。
けれど、こんな大きな地震は初めてだし何が起こるかわからないからと避難することに。
避難所は近くの小学校や公民館だったけど、家にいるのと変わらない環境だと思い、もう少し内陸でかつ建物の崩壊リスクがない広い駐車場、物資が揃っていることを考え、イオンへ向かうことに。

猫3匹をケージに入れ、防災リュック、食料(おせちのお重、お茶等)毛布、バッテリー、日用品等、その時に思いつく範囲の荷物を積め込み出発🚗

幸い、イオンまでの道は渋滞や事故、地面の隆起などもなくスムーズに移動できた。
イオン周辺のライフラインは問題なく、店内では瓶などが割れた様子はあったが、営業してくれていた🛒ありがたい。ここでさらに必要な物を購入。

駐車場でしばらく情報収集📺🤳🏻
この先どうすべきか考える。
数時間後、一旦家に戻ることに。
家のライフラインは問題なく、一安心。
またすぐに避難できるような状態で一夜を過ごした。

◆1月2日
能登の被害状況を見て唖然。
母の友人で輪島の朝市近くに住む夫婦から連絡があり、震災時は県外へ出かけていたため無事とのこと。この先家族がいる輪島へ帰るつもりでいると。輪島にいる息子さんは被災者が増えるだけだから来るなと、安全な場所にいてほしいと言ったらしいが、正義感の強いお父さんは帰ることを決意。

金沢に停めていた車で輪島まで帰ると知り、母と物資を集めることに。
水、灯油、食料、日用品、ガスボンベ等、災害時に必要とされる物を購入、翌日1月3日、物資を受け渡し、見送った。

金沢ー輪島🚗通常2時間かからないところ、10時間ほどかかったとのこと。
無事に辿り着けて本当によかった。
自宅はかろうじて倒壊をまぬがれたようでしたが、朝市にあるお店や親族のお家は倒壊。変わり果てた輪島の町の写真が母の携帯へ届いていた。

8年くらい前、私は月に数日、石川へ出張ネイルに通ってた時代があったのだけど、その内の1日は輪島にも行っていた。朝市の雑貨屋さんのお二階をお借りして3〜5名の方を施術させてもらっていた。そのお店は倒壊してしまったそう。馴染みのある場所、お世話になった輪島のみなさんを想うと、本当に心が苦しくなる。

自分にできることは何だろうと考える。
SNSにはいろんな情報がとびかっていた。
自治体や国が動くのには時間がかかる、その前に動けるのは民間「支援物資集めます、現地へ物資を届けます」とすぐに行動している方々がたくさんいた。
それと同時かその後すぐか、一般の方の移動により渋滞がおき、緊急車両が現地へ行けない。人命救助優先、一般の移動は控えるべきとの情報が。損壊した道でパンクやガス欠等、二次災害のリスクが高い。今すぐ助けに行きたい気持ちはわかるけれど、冷静な判断が求められていた。その中でも経験者の方々の行動は迅速かつ素晴らしいものだった。

被災地からは、「孤立しています、助けてください、水も食料も底をつきます、拡散希望」
助けを求める声が溢れていた。

拡散してあげたいけど、私が拡散することが本当に意味のあることなのだろうか?と考える。

第三者からの消防や行政への通報は混線をまねき、本当に必要な助けや情報の妨げになるうるということ。無闇やたらに拡散、通報すべきではない。そりゃそうだ。そして驚くことにこんな時にデマ情報を流す人もいた。

情報を集めて現状を知れば知るほど、結局今の自分にできることはほとんどなく、逆に今は何もすべきではないという結論に至る。

テレビの報道に至っては、本当に必要で知りたい情報は少なく、いろんな違和感を覚えた。報道することの必要性はもちろん理解できるが、現場との温度差というかギャップというか、とにかくいろんな場面で違和感を感じることが増えた。きっと大勢の報道陣の車両も渋滞の原因になっていたのではないだろうか。

母の故郷の珠洲には親戚のおばぁちゃんが2人、
孤立地域いるはずだった。
安否がわからない中、Twitterでその地域の情報を発信してくれているチームを発見。その避難者情報におばぁちゃん達の名前があり無事がわかった。

◆1月3日
Twitterにて、おばぁちゃんたちがいる馬緤地区に自衛隊が入ったことがわかり、本当に安堵した。この一連の情報を発信拡散してくれていたご家族ご友人のみなさま、本当に素晴らしい連携プレーをありがとうございました。若い力に感激しました。陰ながら頑張りをずっと見ていました、いつか彼女たちに直接お礼を言いたいな🙇🏻‍♀️

それから、
震災直後から人命救助に尽力くださっている消防救急、自衛隊の方々、医師看護師の方々、そしてそのご家族、支援物資を集めたり運んでくださったり、ご自身が被災しながらも炊き出しをしてくださった方々。現地の情報をSNSで発信拡散次なる一歩を先回りして準備してくださった方々、その他大勢のみなさま、本当にありがとうございます。私は当時何もできなかったし、今後も現地で直接お役に立てることはなかなか難しいと思うので、本当にお礼だけでも伝えたいです。感謝しています。


◆1月4日
東京へ帰る🚄
新幹線の復旧は早かった。
東京にいた旦那さんに最寄駅に着く時間を伝える、迎えにきてとは言わなかったが、この状況であれば心配して迎えに来てくれるかな〜と淡い期待を抱くが、駅にはいなかった🙂笑
ずっと張っていた気持ちが切れるのが自分でもわかった。涙を堪えながら帰宅。玄関にかけよって出迎えてくれるかと思いきや、ソファに横になったまま、いつものテンションで「ゆかちゃん、おかえり〜🦭」と手を振ってきた旦那。
日常がある安心感、
怒りながら笑いながら泣いた🥲

被害のなかった場所にいた私でさえ、こんなに苦しく怖い日々なのだから、被害に遭われた方はどれほどつらい毎日だろうか。お亡くなりになった方々、大切な人を失った方、住む場所がなくなった方…当たり前だった日々が急になくなるなんて。自分が死んじゃったことがわからないまま魂が彷徨ったりしていないかな…どうか亡くなった方々が成仏しますように。いろいろ考えると涙がでてくる。

テレビやSNSの情報を見続けてきた数日間、徐々に自分の心がもたなくなり、一旦情報をシャットアウトした。
暖かいお家、美味しいご飯を食べられて、大切な人がそばにいる幸せ。それが当たり前じゃないということ。生きていることに感謝して、周りの大切な人に感謝して、優しく元気に過ごさなければと思う🤝🏻

◆1月6日
氏神様と明治神宮へ参拝⛩️
被災された方々が早く安心して暮らせますようにとお祈りした。

後日、お客様から聞いた話。
能登の地震直後、テレビでは東日本の地震を思い出してください!早く避難してください!と伝えられていたようだった。それをみた熊本の人が熊本の地震が忘れられてると感じたそう。おそらく津波警報がでていたから東日本を思い出してと言ったのだと思うから、誰も悪くないのだけれど、それを聞いてすごい考えさせられた。

正直私も熊本地震について、あまり覚えていなかった。どのくらいの被害だったのか、その後どんな支援が必要だったのか、自分には何ができたのか…

災害が起きた時にもっと当事者意識で物事を捉え学んで記憶していたら、きっと今回いかせることがたくさんあったんじゃないかなと反省した。

初めて身近なところで起きた震災。
自分事として捉え考えた。
この震災のことを忘れてほしくないし
無駄にしてはいけないと思った。

今の自分にできることは、寄付。
支援金と義援金の違いについて調べた。
いろんな団体の中から自分で選択し寄付できる時代だけど、できることなら、自分と関わりのある大切な方々に直接届けたいと思った。
石川出身の自分だからこそ、できることがあるのではないかと。

そして、この記憶を何か物に残しておきたいと考えるようになった。

私、チャリティーグッズ作りたい!!!

チャリティーグッズを通して集まった寄付を直接私の繋がりのある大切な方々へ届けたい。
それと同時に、賛同してくださった方の記憶により残り、この先も思い出すことで明日は我が身と防災の意識が高まればいいなぁと。

私に関わってくれている人みんなにこの気持ちを素直に伝えたいし、繋がりたいと思う。
そしてこの先も助け合って支え合って生きていきたい。
私の周りの大切な人を大切にしたい。
みんながみんな自分の大切な人を想えば
きっと幸せが繋がっていくんじゃないかなーって。理想論かもしれないけど、素直にそう思うのです。

◆1月6日
中学のお友達、通称まりちゃんにチャリティーグッズ制作の協力を仰ぐ📨
まりちゃんも何か自分にできることはないかと思っているところだったと快諾してくれた🤝🏻
本当にありがとう🥹

また能登に遊びに行きたいという願いを込めて

Noto Ramble Club
(能登お散歩くらぶ👩🏻‍🤝‍👩🏼)

という活動名にしました。

この先、能登の町が復興したら、チャリティーに参加してくださったみなさんと実際に能登を訪れたい🚌地震の被害を直接知る事も大事だと思うし、能登の自然の美しさを見て感じて、美味しい物食べて、地元のみなさんと交流して、能登っていいところだねって、石川っていいところだねって、日本って素晴らしいね、ってみんなで感じ合えたらいいなぁって。最終目標はここ🤝🏻
自分がチャリティーに参加したことで、微力かもしれないけど、能登の人たちの力になったんだなって直接実感できたら、本当に意味のある記憶、繋がりになるかなぁって🤝🏻

この想いがどのくらいの人に伝わるかは全然わからないし、すでにクラファン等で何千万と集まっている状況をみると、私がやる意味あるかな?って正直何度も弱気になったし、本当に微力なのはわかってるけど…この1ヵ月私なりに考えた自分のできること、そしてやりたいことがこれでした☺️
この気持ちが少しでも伝わったら嬉しいです。

チャリティーグッズの売り上げから制作にかかる費用や送料を差し引いた金額を全て寄付します。
寄付の詳細は随時SNSでお伝え致します。

Noto ramble club 能登お散歩くらぶ👩🏻‍🤝‍👩🏼の一員になってくださる方がいたらとても嬉しいです🤝🏻

詳細は今後こちらで発信していきますので
フォローしていただけると嬉しいです🙏🏻
グッズ第一弾は、スウェットです👕♡

https://www.instagram.com/noto_ramble_club?igsh=MzZ2YXZmc25wamdv&utm_source=qr

どうか1日でも早くみんなが安心して過ごせる日々が戻りますように。
そしてみんなで能登の町を楽しくお散歩できる日がきますように。心から願います。

そして明日は我が身。
備えを見直したり、防災の知識をつける
私たちにもできることはたくさんあると思います。

本当に長くなりましたが、
読んでくださり、ありがとうございました。

今日も一日感謝して🌏🤝🏻明日も頑張ります☺️


ユーネイル🎀ゆか

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