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「高貴」な人間の自己肯定

親や教師は、子供が「孤立」しないように「社会性」を身につけさせようと必死になりますが、それが人間性に歪みを生じさせる原因となります。社会性のない人間は欠陥のある人間として見られがちですが、むしろ社会性のある人間の方が本当の人間性を失っているように思われます。

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子供が孤立しないように社会性を身につけさせるのではなく、「孤立しても全く問題ない」という考え方を持つ人が教育者になるべきでしょう。社会性が身に付かなくても全く問題なく生きていけることを教えられる教育者が必要です。

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自己啓発系の本は非常に道徳的です。高い社会性や行動力を要求します。そのため、社会性を身につけることが難しい人にとっては、自己否定を生む可能性があり、有害な本になり得ます。同様に、愛と調和を説くスピリチュアル系の本も同じ理由で有害な本になり得ます。

一方で、ニーチェの『道徳の系譜』は自己肯定を促す効果があるのでおすすめです。この自己肯定は、自己啓発系やスピリチュアル系の本がよく言うポジティブ思考とは全く異なります。「高貴」な人間の自己肯定の思考を学ぶことができます。

すなわち、「よい」という判断は「よいこと」を示される人々の側から生じるのではないのだ!却って、「よい」のは「よい人間」自身だった。換言すれば、高貴な人々、強力な人々、高位の人々、高邁な人々が、自分たち自身および自分たちの行為を「よい」と感じ、つまり第一級のものと決めて、これをすべての低級なもの、卑賤なもの、卑俗なもの、賎民的なものに対置したのだ。
『道徳の系譜』「第一論文」

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自己啓発、成功哲学、スピリチュアル系の道徳的で甘ったるい説教にうんざりしている人は、毒舌で塩気の効いたニーチェの著作や臨済録を読むことで、爽快な気分を味わえるでしょう。

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孤独でも行動しなくても幸せになれます。孤独を愛する人にはニーチェの『ツァラトゥストラ』をおすすめします。これは孤独を讃美する本であり、ツァラトゥストラ自身、10年間山に引きこもっていましたが、魂は充実していました。

ツァラトゥストラは三十歳のとき、故郷を捨て故郷の湖を去り、山に入っていった。そこで彼はおのれの精神と孤独を満喫し、十年もの間、倦むことがなかった。
『ツァラトゥストラ』「ツァラトゥストラの序説」

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他者との共生が幸せであり、孤独は不幸であるという価値観が世の中には暗黙のうちにありますが、それは孤独の価値を知らない人たちの価値観です。充実した自己を持つ人には、他者も会話も必要ありません。

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他者に受け入れられたい、理解されたいという欲求は、満たされることはありません。他者を理解することは原理的に不可能だからです。他者との会話は基本的に誤解の上に成り立っています。

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他者に受け入れられたい、理解されたいという欲求を自分に向けてください。もっと自分を受け入れ、もっと自分を理解するのです。自分で自分を満たすのです。自己満足という言葉は印象が悪いので、自己充足と言いましょう。神は自己充足している存在ですから、神のような存在になるということです。

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