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OMO7大阪 | 食べて、笑って、いつまでも

人生で2回目の大阪。わたしの家から大阪へは、飛行機のほうが近くて安い。超早朝に近所の友人に成田空港まで送ってもらい、わたしたちの大阪旅が始まった。(いつもありがとう!)

眠い目をこすりながら関西国際空港に到着した。1時間ちょっとのフライトは一瞬意識を失っていたらあっという間だった。今回の旅は、淡路町、新世界、USJ。OMO7大阪を拠点に満喫する予定というコースだ。

関空から淡路町へ。淡路は淡路でも淡路島のことではない。大阪にある下町のこと。そこで友人のおすしさんと待ち合わせ。おすしさんは、イラストレーターで、とってもかわいいイラストをかく。結婚式にはおすしさんに本のしおり風の席札を作ってもらった。今回の旅の目的のひとつはおすしさんにお礼を言うこと。おすしさんに会って「ありがとう」を言うこと。おすしさんのイラストはあたたかくて、優しくて、わたしはおすしさんの表現するものが大好きなのだ。

そんなおすしさんに連れられてやってきたのは「カフェレストランりん」台湾料理屋だった。大阪1食目が台湾料理って!(笑) でも、こういうのがいいよね。地元の人だからこそ知っているとっておき。期待に胸が膨らむ。

カフェレストランりん

台湾出身のりんさんが営んでいる。本場の台湾料理がおぼんに並ぶ。八角の独特な香りと、パクチーの異国を思わせる香りで、もう自分が今どこにいるのか分からなくなった。りんさんはわたしとおすしさんよりも早くご飯を平らげてしまった夫に、「足りた?」と聞いた。夫が「まだまだいけるっすね。」と言うと、ご飯を追加で持ってきてくれた。優しい。どれも本当に美味しかった。

お腹いっぱいになったところでおすしさんの相方よっしーさんのお店へ。お店の名前は「とある珈琲」。古い古い古民家の急な階段をあがった屋上にある「とある珈琲」。屋上に建てられた公衆トイレくらいの小さな小屋。よっしーさんの好きが詰まった空間だ。いくつかあるお豆をひとつひとつ丁寧に説明してくれた。「この豆はね、あそこの国のなんちゃらっていうおじさんがね…」「紛争中も15haの場所だけ守り続けてな、…」「この豆は今朝挽いたから落ち着いてなくてな…」好きなんだなあ、と思った。愛してるんだなあと思った。豆、一粒一粒愛してるんだなあ。

飲食で生計を立てていくことはすごく難しいと聞く。でもよっしーさんは、珈琲だけで、自分の心地よい範囲の営業時間だけで、行きたいイベント出店だけで、命を守っている。好きを仕事にする、ということを体現している数少ない大人だ。お金を払ってジムに行って、プロテインを飲んで、健康食品を食べているひとよりずっとずっと健康的だった。好き、は人を健康にする(恋愛はそうとも限らないかもだけど)。わたしは初めて聞いた国名の”ブルンジ”のお豆を選んだ。

外はとても暑かったけれど、屋上は風が吹き抜けて、涼しく感じた。よっしーさんが淹れてくれた冷たくて、苦みと、酸味のバランスのよい珈琲が体にどっしりときた。でも決して重くはなくて、その味はまるでこの夏のようだった。ぎゅっと詰まって、でもさっと駆け抜けていく。気づいたら、心の奥にじんわり優しい想いが残る。目を閉じれば、何度だって思い出せる。

🇧🇮

あ、ちなみに大阪では冷たい珈琲のことを「レーコー」というらしい。冷珈。カフェラテのことは「ミーコー」ミルク珈琲からきている。言葉ひとつとっても、同じ日本でだってこんなに違う。旅はおもしろいなあ、とやっぱり思う。

楽しい時間はあっという間で、わたしたちはふたりに別れを告げて、ホテルへ向かった。おすしさんが駅まで送ってくれて、「滅多に会えなくてもちゃんとどうしてるかな?って頭に浮かぶ人たちだよ、君たちは。」と伝えてくれた。また胸がじんわりとなった。会えて本当によかったなと思うし、これからも会いたい。”いつも”は無理でも、できるだけたくさん。1回でも多く。元気かなってちゃんと自分で確かめたいな、って思った。生きている限り。

東京にはたくさん友達がいて、学生時代の友人が近くでたくさん働いている。でも、だからといってみんなに会うわけでもない。近くにいても、離れてしまうひともたくさんいる。忘れてしまうひとも。忘れられていることもきっとたくさんある。それは自然なことで。

だから、遠くにいても、なかなか会えなくても、心に浮かぶひとたちのことをもっともっと、もっともっと大切にしよう、と思った。おすしさんとよっしーさんとは大人になってからの出逢いで、大人になっても大切に思えるひとができるなんて考えてもみなかった。

そんなことを考えながら阪急電車に揺られ、わたしたちは新今宮へ向かった。宿泊するのはOMO7大阪。そして、ここでわたしの両親と待ち合わせ。今回はそう、両親も一緒に、である。

両親との旅行はひさしぶり。夫も交えては初めて。とてもとても楽しみにしていた。父は、分刻みの予定表を考え、着る服をリストアップし、準備万端で迎えていた。父は今回の旅に名前までつけていた。「YYハッピーツアー」。わたしと夫の名前の頭文字のYと「わいわい」の音をかけている。

合流した両親と、OMOレンジャーによる「ほないこか、ツウな新世界さんぽ」に参加した。OMOレンジャーのおっくんとスコールが降ったあとの晴れやかな空の下、新世界へ歩きだした。途中、いくつかのクイズと、ご近所さんの紹介、飲食店のおすすめを教えてくれた。

10年前の新世界の姿を知っている父は、観光客がたくさん来ていたことにとても驚いていた。労働者の街だった新世界は一転、大阪の文化が詰まった魅力的な街になっていた。

市場を通り、大阪のイメージのひとつ動物柄のTシャツを着て、おばちゃんにあめちゃんをもらい、今夜はなにを食べようか、のどをからからに乾かせながら街を歩いた。

ほな、いこか~~
ベストショット2連チャン!

OMOレンジャーのおっくんと別れてわたしたちは串カツ屋さんへ。超がつくほどのメガジョッキをごくりと飲み干す酒豪の両親。夫も必死についていこうとしていたがとてもついていけるペースではなかった。しこたま飲んで、しこたま食べて、しこたま笑った。薄暗くなった街を歩いて、ホテルへ戻った。

OMO7大阪でも夜の時間帯に会津屋さんのたこ焼きが食べられる。西成に醸造所がある「Derailleur Brew Works」のクラフトビールと一緒に焼き立て熱々のたこやきを。

こうして1日は終わりを迎えた。翌日はいよいよ人生で初めてのUSJへ。USJのお話はまた次回。

ピカピカナイト

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