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学校に行く意味

人間知は、(中略)他者と交わる対人関係の実践から学んでいくしかないものです。その意味において(中略)学校は、家庭以上に大きな意味を持つ教育の場だといえます。

『幸せになる勇気』p37
(岸見一郎・古賀史健著,ダイヤモンド社,2016)


最近、「出会い」の大切さを感じています。

いい友人に出会う。
いい先生に出会う。
いい本に出会う。

この「出会い」が、学校に行く意味だと僕は思います。

「出会い」から、他者との関係ができ、アドラーの言う「人間知」が生まれます。

自分とはどういう人なのか。
「あなた」はどういう人なのか。
人間とはどういう存在なのか。
そして、自分はどのように生きていけばいいのか。

「人間知」はとても深い意味を持ちます。

この「人間知」を得るために、学校は大きな役割を果たします。


学校に行くのは、「自分のことを知る」ために、手っ取り早い方法の一つだと言える気がします。

アドラーは、「人間知」は他者と関わることによって学んでいくしかないとしています。
僕もそう思います。
他者と関わることができる、関わらざるを得ない、というところも、学校に行く大きな意味だと感じます。


ただ、「出会い」や他者との関わりにも様々な種類があります。
良し悪しもあると思います。

僕は、子どもたちと出会って、関わって、子どもたちが良い方向へ歩いていけるようサポートしたい。

その意味で、僕は、「いい先生になりたい」
「いい先生でありたい」


僕と子どもたちとの「出会い」によって、自分も子どもも楽しくなれるように。


僕は最近、人との出会いがあまり無い分、本や物語との出会いの機会が多いです。


自転車旅の本が目に留まって。
自転車に乗って色んなところに出かけてみようかな、と考えています。

自転車旅一回目はパン屋さんへ、カレーパンを買いに。ザックザクで美味しかった。

次は川沿いをひたすら走ってみようかな。

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