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書くことが癒しになっていた

ここ数ヶ月ありがたいことに比較的自由に過ごせる時間が多くあった。

一度全てを失い、立ち止まり、考える時間が与えられた。

自分と向き合う貴重な時間。

これからどんな風に生きたいのか、何をしたいのか、何が好きで、何をしている時が楽しくて、何がしたくないのかということを初めてちゃんと考えた。

その中でずっと胸の内にはあって、でも恥ずかしいと言う気持ちが大きくてできなかったことの一つが、自分を表現することだった。

今でこそ人と普通に会話できるようになったが、昔はかなりの人見知りで、人を介して人と話すというような時期もあった。

知って欲しい気持ちと知られて嫌われたくない気持ちがせめぎ合い、自分の話をするよりも、他人の話を聴いている方が楽だった。

でも他人は他人に、良い意味でも悪い意味でもそんなに興味がないんだと知り、だったら伝わる人にだけ伝わればいいと思ったら気持ちが軽くなってできるかもしれないと思った。

そして私が今できそうなことで自分を表現する方法が「書く」ことだった。

いつからか文章を読むことが好きになり、書ける人に憧れていた。

でも“憧れているままじゃなくてやってみよう”とやっと思える時が来て、やるなら時間がある今しかないと、
自分の話や、家族の話、日々のあれこれと日常感じたことや思っていることなど、いろんなことをnoteに書いている。

そしたら書いていくにつれ、意図せず自分自身の心が軽くなっていることに気が付いたのだ。

私にとって「書くことは癒し」なんだと思った。

書き続けられそうだと思った瞬間であった。

もうひとつ、表現として書くことを選んだきっかけを紹介する。

私は幼い頃から漠然と高校を卒業したら東京に行くと思っていた。

姉が二人いて、二人ともかつて東京の学校へ進学していたので、
東京へ進学することは自分の中で疑いようのないことであった。

ふわりとした憧れはあったもの、こうなりたいという夢も持ち合わせていなかったが、東京で働きたいという思いだけは持っていた。

実際東京に来てみて、憧れと希望と絶望といろんなものを見て、感じた。

ありがたいことに東京で働けることはできた。

ただ一度、全ての生きる気力、熱を失い、生きることに否定的だった時期がある。

だけどそんな時、最後に救ってくれたのはいつも「言葉」であった。

苦しく感じるたびに「言葉」をそこらじゅうで探していた。

本のタイトル、本の中の一文、歌詞、ブログの中の一文、誰かの発する言葉、街中のポスターのキャッチコピー。

いろんなところに救ってくれた言葉があった。

どん底まで落ちていた時に、
たった一言の言葉が生きる希望となったことが何度あるだろう。

そんな体験があるからこそ、言葉に救われた私がこれからやれることは、今度は自分自身が言葉を書いて、発信していくことだと思った。

言葉を探し続けたい、そしてそれを伝えるべく書き続けたい。

それはメモの端っこの殴り書きのようなものでもなんでもいい。

それがいつか何かの瞬間に色が変化し、希望が見えるかもしれない。

そしてたったひとりでも誰かの希望になれたら嬉しい。

私を救い出した言葉たちをくれた沢山の人たちのように。

「言葉は本当のことだけを伝えるものではない。」

「言葉は時に嘘を含む」

「それをわかっていながらも、それでもそこに救いがあるならそれでいい」

というようなことをおっしゃっていた作家さんがいた。

この先も試行錯誤を重ねながら、そしてそれを楽しみながら書き続けていきたいと思っている。

これまでの道に感謝を。
これからの道にほんの少しの勇気を。


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