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ライター目線で見る編集者の仕事(と、連載アーカイブのお知らせ)

cakesが8月末に終了することに伴って、2018年から細々と書いてきた「匿名の街、東京」も一緒に幕を下ろすことになりました。

思い起こせば「cakesクリエイターズコンテスト」に軽い気持ちで応募して連載が決まったという完全なるラッキー案件でした。コンテストに応募したくせに「エッセイは書きたくないんです」と申し出て、編集者を困らせたのも懐かしい思い出です。

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せっかくなので、編集者について自分の考えを書いてみようと思います。

「ライターと編集者」と聞くと、原稿を書く人とそれに朱を入れる人というイメージが湧く人も多いかもしれません。実際、その通りではありますが、もっと大きな違いがあると思っています。

私が普段お付き合いしている方の多くはWebを主戦場としている編集者であり、雑誌や書籍、新聞などでは編集者の役割は全く違うと思います。なので「編集」という広い世界のごく一部の話だと思っていただいた方がいいかもしれません。編集者と言っても、個々人でやり方も価値観も違いますしね。

私自身、もともとギズモードやハフポストでは編集者として働いていました。ただその後の転職先であるBuzzFeedでは「編集部員は全員ライター(記者)採用」だったため、仕方なくライターになった経緯があります。

その際、当時日経BPの名物編集者だった(現・東京工業大学教授)柳瀬博一さんに「ライターになるの嫌なんですよね」と愚痴を言ったのを覚えています。今思えばかなり生意気な発言ですが、柳瀬さんから「これからの編集者は文章も書けないとね。今後、編集者に戻るのだとしても、ライターの経験は生きるから」とアドバイスをもらい、キャリアチェンジを決めました。

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ライターと編集者、何が違うのか。簡単に言えば、記事を作るライターの仕事を点とするなら、それを線にしていくのが編集者の役割のような気がします。まずは私が編集者として習ったことの一部を紹介します。

まず、編集者はメディアが持つ文脈に記事をチューニングするのが大きな仕事です。例えば、ギズモードでは当時「下から目線(上から目線の逆)」を大切にしていたので、このトーンに合わせる作業がありました。

例えば、レコメンドしたいときの文末で「ぜひ堪能してみてほしい」というような言い回しは「上から目線」風なので柔らかいニュアンスにしていました。文末が「やっぱり最高だぁ」という主観で終わった方が「下から目線」のような印象になっているような気がしませんか…?

といっても、ギズモードのライターのはすでに「下から目線」を我が物にしている方が多かったので、私は逆にチューニングをライターの皆さんから教えてもらったと言った方がいいかもしれません。ギズモードが持つ親しみやすさは「弱キャラがテクノロジーを目の当たりにして我を忘れるほど興奮している」という設定から生み出されているのだと思います。

今は編集方針が変わったかもしれませんが、私の在籍時は「この文章は下から目線になってる?」という話を編集部でよくしていました。また、上司から「もし朱入れをして文章を変えるのであれば、たった1文字であったとしても必ず変更の理由を説明できるようにすべきだ」と教わったことがとても印象に残っています。

ハフポストの上司には「編集者は、ひとつの事象に対してどんな手段で伝えるのがベストなのかを考えるのが仕事。ライターはその手段のひとつである文章を書く人」と教えてもらったことがありました。

以前、雑誌のような構成で記事を作ったところ「これは縦スクロールで読むWebには適さない」と返されたこともありました。体験ごとに「良い文章」は違うのです。

Webメディアではいろいろな表現が可能です。動画なのかグラフィックなのか記事なのか、まとめ記事なのかインタビューなのか、フォトポストなのか。

例えば、私はよくiPhoneの記事を作っていましたが、Apple製品は文章で語るよりも、体験を視覚的に見せた方がダイレクトに魅力が伝わると思っていたので文字は極力少なく、gifメインで構成していました(gifは読み込みが遅いので体験性が低くなってしまうかもしれませんが…)。

素晴らしい素材を前に、どんな料理を作るのかを吟味するのも編集者の仕事のひとつです。

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ここからはタイトル通り、ライター視点で編集者の役割について説明していこうと思います。

文章の客観性を担保するのも編集者の大切な仕事です。ライターとして文章を書いていると、視野狭窄に陥り、自分本位な文章になってしまうことがしばしばあるのです。その度に書き手は壁にぶち当たってしまいます。

例えば、言いたいことがあるのに、適切な言い回しが思い浮かばない場合。文章のロジックが破綻したり、言語選択のミスで誤解を招きそうになったり。

そんな時に、編集者から「こうした方が良いのでは?」と客観的なフィードバックをもらうと、筆が進むのです。朱があるからこそ、ライターは安心して文章を書ける。少なくとも私はそうです。

ライターになって実感するのは、文章を書く難しさです。何かを書くにあたっては論文を検索したり、書籍をあたってみたり、人に話を聞いてみたり……とにかく情報収集が必要です。テーブルいっぱいに広げた情報を自分なりに整理して、筋道を立て、自分の話に落とし込み、ロジックを組み立てていくのは骨が折れる作業です。ただ、インプットで武装すればするほど、前述の通り視野狭窄に陥ってしまうこともあります。

加えて、何かを調べていると、つい知識を披露したくなりますが、度が過ぎるとうざったい文章になってしまう。その根底には「自分をよく見せたい」という気持ちがあるのだと思いますが、これはノイズでしかありません。知識をひけらかしてないかな、自己陶酔に入ってないかな……その匙加減は、編集者による「他者の目」で担保されることが多いです。

BuzzFeed時代は社員だったこともあり、編集者である上司たちにとても甘えていました。取材をした帰りには、上司に「こういう記事にしたいと思うんですが、どうですか」と、取材メモを共有し「ここが面白いんじゃない?」というフィードバックをもらっては、落とし所を探して記事を作ってきました。

例えば、ロケット団のお3方にインタビューさせていただいた時は、背景を踏まえて納得感を高めるための1本と、3人の温度感を伝えるための1本で、同じ内容でフォーマットを変えた2本を公開しました。

丁寧な朱入れは決して否定ではありません。むしろ原稿を丁寧に読み解き、より良い方向に導いてくれる羅針盤のようなもの。編集者はライターの「伝えたいこと」を理解し、導いてくれる存在なのです。

当初は「書きたいトピックなんてないし、文章を書くのはしんどい」と思っていた私ですが、素晴らしい編集者たちに朱入れしてもらい続けているうちに、書くという行為が自分の中でしっくりくるようになっていました。文章を書くことが好き……とは言い難いけれど、暇さえあればキーボードを叩き、ノートにペンを走らせています。

文章を書いていると「あーこれはつまらない、出す意味ないわ」と思うことが圧倒的に多いのですが、そのたび編集者の方々からは「大丈夫、面白いから」と励ましてもらい、なんとか今に至ります。

お礼を言えばキリはないのですが、連載を続けるにあたってたくさんのフィードバックと激励をくださった加藤さん、井澤さん、鳴海さん(そしていつも相談に乗ってくれる友人の編集者である坪井さん)には本当に頭が上がりません。

久しぶりに読む自分のエッセイは、青さや拙さもありますが、どれも編集者と一緒に一生懸命書いてきたものです。どうぞお楽しみください。

(トップ画像はこれまでお世話になった編集者兼上司たちです)

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