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東京に馴染む

男は2種類に分けられる。朝起きた時に「シャワーを貸してくれる男」と「貸してくれない男」だ。

飲み過ぎで頭が鈍く痛む朝、再生速度が2分の1くらいで動く数十分間で見分けられる。

「シャワー浴びてく?」

この質問が出るか出ないか。あまりにシンプルすぎるリトマス紙だけれど、それがすべてだ。

きっと目の前の青年は自分がリトマス紙を当てられてることも知らずに眠りから覚める。窓の外を見ると、青白い近未来的なタワーが見えた。

墨田区に立つ東京スカイツリーという新名所は、世界で一番高いタワーらしい。刀をイメージしたデザインで和を意識してると聞いたけれど、住宅街から眺めるSF的な建造物は風景と合っていなかった。

「スカイツリーって景色から浮いてるよね。バベルの塔みたい」

ぼんやりと呟く。「あー、なんかわかるかも」と同意を得るものの、「シャワー浴びてく?」の言葉には繋がらなかった。

別に落胆したわけではない。リトマス紙が酸性かアルカリ性かを教えてくれるのと同じように、私たちはそういう関係で、そういう男で、そういう女なのだ。

最低限髪を整えて外に出ると、日光が眩しすぎてクラクラした。

あー……この場所、どこだっけ。馴染みのない街でフラフラと歩き出す。電線が黒くしなだれた空の向こう、遠くに見えるシルバーの塔を眺める。ここはどこかわからないけれど、あそこに向かえば家に着く。

2011年に私は社会人になり、スカイツリーの近くで一人暮らしを始めていた。

***

職場が新橋だったのでアクセスの良さで住処を探した。銀座線の沿線上で選んだのは田原町。少し歩けば浅草や上野、アメ横にも辿り着く。寺社とコンビニと下町文化が混ざったこの場所は、異界と日常が混在しているような奇妙な魅力を放っていた。

親からは絶対にオートロックのマンションを選べと口を酸っぱくして言われたので、選択範囲が狭かった。1991年に建てられた10階建てのマンションの6階。ドアを開けると大きな窓と隅田川が見える1Kだった。

内見に行った時「ここからはもうすぐ完成するスカイツリーも見えるんですよ」と言われて「はぁ」と返事をしたのを覚えている。この不動産屋はあの不気味な塔に私が飛びつくと思っているのだろうか。確かに隅田川はきれいだけれど、あの鉄塔は景色から浮いてるじゃないか。

興ざめしつつも、コンビニが家の向かいにあること、駅まで徒歩10分程度なこと、クリーニング屋が近くにあることなど、全く色気のない理由でこの部屋に住むことにした。

一人暮らしをしてわかったのは、給料の大半は家賃に消えること、髪の毛は想像以上に抜け落ちること、果物は高級品であることだった。社会人になってわかったこともある。化粧室ではメイク直しをしながら噂話がなされること、組織では政治力という謎の能力が必要なこと、デスクワークなのに異常に疲れること。そして額面と手取りの差は想像以上に大きいことだ。

生きていくのに精一杯。雑誌の白黒ページに載っている「みんなのお財布事情」コーナーで貯金の平均額が300万円と書かれているのを見てひどく焦った。私なんて定期を6ヶ月分買うのも躊躇してしまうのに。

毎日終電まで働いて、つまらない飲み会で苦笑いをして、ベッドとローテーブルしかない部屋で死んだように眠る。夜遅く帰ると、電気をつけるのすら億劫で、床に積んだ本を蹴飛ばして散らかしてしまうことも多かった。早送り映像みたいに時間だけが過ぎていく。

社会には、走り続けていないと置いていかれてしまいそうな雰囲気がある。それは学生の時には感じることのなかったものだ。

「生産」という2文字が頭に浮かぶ。

もっと速く、もっと多く。もっともっともっと……。「もっと」が積み重なってできたのがスカイツリーなのだろう。好きになれない理由がわかった。

7月にはテレビのアナログ放送が終わった。その日はちょうど27時間テレビの日で「笑っていいとも!」でSMAPがカウントダウンをしていたらしい。

時代は変わっていくのに、私には好きな家具を買う時間も余裕もなく、部屋は一向に完成しなかった。実家から持ってきた本たちは床に平積みされたままだし、テレビはもちろん電気ケトルすらなかった。

当初は少し張り切って自炊にチャレンジしようと思ったものの、習慣化しなかった。一人暮らしには自炊は高すぎるのだ。一食作っても余ってしまうし、突発的な飲み会や残業が重なって賞味期限なんてすぐに切れる。

普通の生活をするのはなんてハードルが高いんだろう。私が毎日なんとかやりくりする横で、同期は楽しそうな食事風景をSNSにあげているし、卒業してすぐに結婚する人までいた。一人だけおいてけぼりにされた感覚があった。

***

会社の飲み会の帰り、目を覚ますと浅草駅にいた。終電で寝過ごしてしまったらしい。とはいえ終点から10分も歩けば家にたどり着ける。身体は鉛のように重いけれど、たまには夜風にあたってみるのも良い。

足をひきずりながら歩いていると、左目の隅に青白く光るスカイツリーが見えた。柱の中央は星が散りばめられたかのようにキラキラしていて、展望台はクルクルと光が回ってUFOみたいだ。宇宙からやってきたようないで立ちは右手に並ぶ商店街の雰囲気とは相変わらず不釣り合いだった。

どういうわけか、塔にひきよせられるように隅田川へ足が動いた。

川沿いは綺麗に舗装されていてランニングする人も多いけれど、日付が変わった頃は流石に静かだ。夜風が頬にあたって気持ちがいい。

コンビニで買った缶チューハイをベンチに座ってあける。川の水がチャプチャプと揺れる中、プシュッという音が響いて消えた。顔を上げると隅田川の向こうにそびえるスカイツリーが静かに輝く。

ああ、なんて異質なのだろう。

東京タワーはあれだけシンボルとして愛されているのに、スカイツリーときたらダサいとか、不気味とか、そんな評判ばっかりだ。

突然、まっすぐ立ったスカイツリーがぐにゃりと歪んだ。

スイッチを入れたかのように涙が溢れたのだ。

異質。それは私じゃないか。

シャワーも貸してもらえない、家にはケトルもなければテレビもないし、会社では噂話にも混ぜてもらえない。社会に馴染めていないことをありありと実感してしまって、嗚咽が止まらない。こういう時はさめざめ泣きたかった。人生は本当にうまくいかない。

***

翌朝、ベッドの上でiPhone 4を開いてゾッとした。酔っ払った時はAmazonを開いてはいけない。意味がわからないものを買ってしまうからだ──。生活必需品はもっとあるのに、なぜか私は3,000円のトースターを買っていた。

購入画面を見て慌てふためいたものの、妙に冷静な自分がいた。その瞬間、潜在的にトースターが欲しいと思っていたことに気がつく。

家の近くには有名なパン屋があり、店の前を通り過ぎては「いつかここのパンを食べたい」と考えていたからだ。私が通る時はいつも営業時間外。こんなに近くに住んでいるのに手が届かない存在だった。

土曜日は早起きしてパンを買いに行こう。

これまで芽生えもしなかった欲が沸いた。酔っぱらうと本心が出るという研究結果がネットニュースになっていたけれど、私の素直な欲求は家でトーストを食べることのようだ。昨日はわんわん泣いたのに、こんな些細なことで少し前向きな気持ちになるなんて、単純すぎて笑えてくる。それから数日、土曜の朝が待ち遠しくてたまらなかったのは言うまでもない。

いざ土曜日。赤いテントが目印のパン屋の前には、8時前だというのに行列ができていた。この人たちは一体何時に起きているのだろう? そわそわしながら店内に入ると、せわしなくパンを作る厨房が見えた。売っているのはロールパンと食パンのみ。あいにくロールパンは予約分で売り切れらしく手に取ることはできなかった。並んでいた客たちは手慣れた様子でテキパキとパンをうけとっている。このリズムを崩さないよう、私は食パンを一斤買った。

少しこぶりだけど、ずっしりとした四角い食パンはビニールから出すとふわっと小麦の香りがした。コンロで炙った包丁をパンの耳にあてると手が止まった。

厚く切ろう。これまで食べてきた8枚切りではなく、もっと……5センチぐらいのトーストを食べてみたい。どれだけ厚く切っても怒られない。

パンが焼けるまでの時間を、これだけ嬉々として待ったのはいつぶりだろう。どうか焦げないで、厚く切ったから心配だ。ジジジジジ……トースターのタイマーが時間を刻んでいるうちに香ばしい匂いが部屋に漂った。焼き上がる少し前に一度パンを取り出してバターをたっぷりのせた。

きつね色に焼けたトーストは小さくて可愛らしい。思わずテーブルと平行になる位置にiPhone 4を持ってきていた。カシャッ。ついに私も「おうちごはん」を撮ってしまった。

バターが十分染み込んだトーストは耳がパリッとしていて、頬張ると小麦の香りが鼻にぬけた。もっちりと重みがあって身体に入っていく。ふと、窓から見える水色のスカイツリーが目に入った。

ベランダで食べてみたい。

お行儀の悪いことも許されるのが一人暮らしの特権だ。トースト片手に隅田川を眺める。頬に昼の風があたった。別に特別なことなどなんにもないけれど、はじめて暮らしを感じた時間だった。

週末のトーストは意図せず始まった習慣だったが、これをきっかけにゆっくり部屋ができあがっていった。コーヒーを飲むためにケトルをようやく買い、本棚は近所の中古家具屋で手に入れた。

相変わらずコンビニにお世話になることは多いけれど、「生活」というものを手に入れていった。働きかた改革の雰囲気ができあがり、かつてのような残業がなくなったことも大きかったのかもしれない。

***

2回の契約更新をしている間に部屋からスカイツリーは見えなくなった。目の前にホテルが建ったのだ。気がつけば、外国人渡航者が楽しそうに街を歩いているし、自分と同年代であろう若い夫婦も多く見かけるようになった。私自身、転職をして勤務地も変わったけれど、結局この地を離れられず、30代になった今も隅田川沿いのマンションに住んでいる。

「シャワー浴びたらお昼食べに行かない?」

起きたばかりの青年に向かって私は言う。

「え、いいの?」
「うん」

淡い不安が解けたみたいにほころぶ顔を見ていると、懐かしい気持ちになった。土曜の昼下がり、軽く身支度をして吾妻橋の前に来るとスカイツリーが太陽に照らされて青白く光っていた。

「スカイツリー、青空に映えるねぇ。令和っぽい」

そう言いながら、彼は立ち止まってiPhone で写真を撮る。私は「なにそれ」と笑って相槌をうつ。

周りを見渡すと、彼だけではなく大勢がスカイツリーに向けてピントを合わせていた。インド人、アメリカ人、日本人、5歳児に大学生のカップルに老夫婦。この場所に住み始めた頃、こんなにいろんな人で彩られる日が来るなんて思いもしなかった。もしかすると、あの不動産屋はこうなることを見抜いていたのかもしれない。

道行く人の会話が聞こえる。

「そういえば、もうすぐ2010年代が終わるよ」

2010年代のはじめ、スカイツリーは新しすぎたのだ。東京タワーと比べられ、疎まれたこともあったけれど、静かに街の変化を見守り、いつしか東京にしっくりと馴染むようになっていた。

「良い写真撮れた?」。iPhoneを覗き込むと、吸い込まれそうな青空に凛と佇むスカイツリーが写っていた。肩が触れると馴染みのある匂いがふわっと香る。私は恋人の手をとって、信号を渡った。


※この記事は、いい部屋ネット × noteの「#はじめて借りたあの部屋」コンテストの参考作品として書かせていただいたフィクションです。


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