キャンプ孝行3

     日記より27-9「キャンプ孝行」3        H夕闇
                  八月十二日(土曜日)雨
 噴火口(カルデラ)に背を向けて腰を下ろすと、足下の駐車場とレスト・ハウス。その向こうで、小火口が噴煙を上げる。周辺は地肌が黄色い。硫黄(いおう)の臭いも懐かしい。
 三好達治の詩「艸(くさ)千里(せんり)浜(はま)」が胸に浮かんだ。登った山その物は(阿蘇山(あそさん)と浄土(じょうど)平(だいら)で)違うが、曽遊(そうゆう)の地(ち)に蘇(よみがえ)る旅情が思い遣(や)られた。

 それから車は山道をクネクネ下り、麓(ふもと)の道の駅で遅い昼食。更に飯坂温泉まで走って、妻が子供の頃のCMを矢鱈(やたら)に覚えているホテルで日帰り入浴。
 今はやりのサウナを、僕は(生(な)ま意気(いき)にも)幼時から嗜(たしな)んだ。当時の隣人おおちゃんが駅前で新設に成った雑居ビルの浴場へ屡々(しばしば)同伴してくれたのであった。我慢(がまん)比(くら)べのように汗をダラダラ流し、その耐えた時間を褒(ほ)められるのが、少年には嬉しかったのだろう。露店ぶろと交互に(幼児の如(ごと)く)三度も汗を楽しんだ。もう褒めてくれる人など居(い)ないのに。
 ゆかたやタオルまで用意され、安楽椅子で湯冷ましとは、何とも豪華(ごうか)絢爛(けんらん)。こちとらの如(ごと)き貧乏(びんぼう)育ちには、却(かえ)って落ち着かない。(勿論(もちろん)、それ相応の料金は請求されるが。)
 それでも、折角(せっかく)むすこが奢(おご)ってくれた贅沢(ぜいたく)。四の五の言わずに、温泉気分を大いに満喫(まんきつ)し、感謝するに如(し)くは無い。

 帰りの高速道路は渋滞しないのが、意外だった。いなか道が、右へ左へ絡(から)み付(つ)くように並走する。以前Z分校に勤めた頃、同僚の車に便乗して、その下道を週末に帰省したものだ。遠足に引率して登った青麻山(あおそさん)、スキー教室に備えてプルークとボーゲンから覚えた蔵王(ざおう)連峰、、、それらがグングン迫り、後方へ飛んで行く。車同士もサーキット並み。
 僕は自動車を運転しないから知らないが、こういうスピード感覚が高速道路では常識なのだろうか。ここでは速度の制限など無いのだろうか。とすると、何かトラブルが生じた時、(例えば前のトラックの荷台から積み荷が飛んで来たとして、又は過労の運転手のバスが車線を食(は)み出(だ)して来たら、)秒速が数十メートルの車体が数十メートルの車間距離では、とても回避できまい。又もしも(最近ニュースになる)悪質な煽(あお)り運転に巻き込まれたら、、、そして突然に逆走車が前方に現れたら、、、殆(ほとん)ど絶望的だろう。この機械的な速さと人間の対処能力では、命を懸けたロシヤン・ルーレット同様に感じられた。
 十五年前の盆が(否応(いやおう)なく)思い出される。この同じ東北道を疾駆(しっく)する遺体搬送車に、僕は乗っていた。その記憶が、今も生(な)ま生ましい。雨が降り頻(しき)り、猛スピードの車体は水しぶきを上げた。
 盆休みの時期、土地勘(かん)の無い都会で漸(ようや)く掴(つか)まえた葬祭業者は、運転が荒かった。サッサと仕事を終えて帰りたいのだろう。スリップの危険性など意に介さず、雨の水溜まりを(水の壁さながらに)高々と跳(は)ね上げて、突っ走った。何メートルも上がる水のカーテンが事故の可能性のバロメーターに思え、僕は棺(ひつぎ)の傍(かたわ)らで身を縮めた。その時も、窓外に古里の山塊が入って来て、急速に去った。
 命拾いして今に至るが、人の運の巧拙(こうせつ)を痛感した。年寄りなら、老い先は高(たか)が知(し)れているし、もう充分に生きたから、諦(あきら)めも付く。けれども、未だ幾(いく)らも人生を味わっていない孫たち世代には、余り気の毒だ。増(ま)してや、それで障害を背負って先々を生きて行かねば成(な)らぬとしたら、見て居(い)られない。若い者たちは、是非とも心身の幸運に恵まれて欲(ほ)しい。
 命日、盆、終戦記念日、、、そんな折りからか、命の儚(はかな)さ頼り無さを思う。
 危険な暑さで、今年は自転車の墓参りを欠かしてしまった。(日記より)
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     「艸千里浜(くさせんりはま)」
                    三好達治
われ嘗(かつ)てこの国を旅せしことあり
昧爽(あけがた)のこの山上に われ嘗て立ちしことあり
肥(ひ)の国の大阿蘇(おおあそ)の山
裾野には青艸(あおくさ)しげり
尾上には煙なびかふ 山の姿は
そのかみの日にもかはらず
環(たまき)なす外輪山(そとがきやま)は
今日もかも
思出の藍(あゐ)にかげろふ
うつつなき眺めなるかな
しかはあれ
若き日のわれの希望(のぞみ)と
二十年(はたとせ)の月日と 友と
われをおきていづちゆきけむ
そのかみの思はれ人と
ゆく春のこの曇り日や
われひとり齢(よはひ)かたむき
はるばると旅をまた来つ
杖により四方(よも)をし眺む
肥の国の大阿蘇の山
駒あそぶ高原(たかはら)の牧(まき)
名もかなし艸千里浜
             (詩集「艸千里浜」より)

 

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