ごみ義人

     日記より27-5「ごみ義人」         H夕闇
             七月七日(金曜日)曇り+黄砂?
 けさ台所のガラス戸から裏を覗(のぞ)くと、S川の対岸の斜面に男が一人。あんな所で何をするのか、甚(はなは)だ訝(いぶか)しい。暫(しば)らく見ていると、十メートル程の法面(のりめん)を更に下り、谷底の川に近い最下部まで達すると、そこから左へ移動。少しずつ位置を百メートル程ずらし乍(なが)ら、周辺に捨てられたペット・ボトルやらレジ袋やらを(小さな火ばさみでも使うのか、よく見えないが、)拾っては、ごみ袋へ詰(つ)め込んで行く。その大きな半透明の袋が満杯になった所で、その人は半(なか)ば這(は)うようにして急な斜面を登り、作業は一段落。中腹の当たりに未だ少し残っているが、ごみ袋の用意が一つしか無いのだろうか。
 それから、土手の上(対岸の道路)を右方向へユックリ歩いて、ごみ集積所に大袋を捨てた。そこでゴム手袋らしき物を外し、靴(くつ)も履(は)き替えた後、停めてあった自転車に乗って去った。作業は恐らく小一時間ほどを要しただろう。暑い日盛りを避け、朝の内に一仕事を終えた、といった所(ところ)だろうか。
 要するに、ごみを拾ってくれたのである。向こう岸の斜面一帯に白く点々と散乱する物が、草刈り作業の後、ひどく目立って、見苦しかった。それを通り掛(が)かりの人が掃除(そうじ)してくれたのであろう。
 手足が長く、長身な男性である。命綱も使わず、キビキビした動きは、手慣れた様子だ。
 ごみ袋を捨てた後で、自転車はY橋を此(し)岸(がん)へ渡って来て、我が家の裏の道路をズーッと奥まで走り去った。通り過ぎる時にガラス戸から目を凝(こ)らすと、近所に住む人ではなさそうだった。僕は皆この辺の住民の顔を知っている訳ではないが、徒歩でなく、自転車に乗って来る程の距離であろう、とは推理できる。すると、この道の奥まった住まいから毎日ここを通って駅を利用する勤め人かも知れない。
 通勤の道々、川の様子を眺(なが)めては、心を痛めていたのだろうか。わざわざ回収袋を用意して、休日にでも清掃作業に来てくれたのではあるまいか。ごみを拾う人が居るということは、捨てる者も居る筈(はず)で、殺伐たる事件の多い昨今、見上げた人物だ、と僕は大いに感心する。義人という死語を僕は久々に想起した。そして思う所が多かった。

 僕も朝毎(ごと)この川景色を眺める一人である。雨風の日でもなければ、毎朝ベンチから広々とした水辺(みずべ)一帯を見渡して、英気を養う。それを一日の始まりとしている。
 季節に依(よ)って、又は時刻や気象条件などに依っても、視界の風物は違う。つゆ時には、対岸の白い二階家の屋根から朝日が昇る眺めは、余り望めない。東の空が美しい茜(あかね)色に染まる朝焼けも、近頃はサッパリ御無沙汰(ごぶさた)だ。空模様の問題だけでなく、日の出より更に半時間余り早い時間帯でないと、茜空は現れないのだが、夏至(げし)を過ぎたばかりの今は、日の出が早い。四時そこそこだ。僕だって太陽に負けない位(くらい)に早起きだが、梅雨期に絶景が有るとすれば、それは夜露に濡(ぬ)れた土手へ稀(ま)れに雲間から朝日が射す時だ。
 この辺は杉菜(すぎな)が多い。つくしんぼの家族だが、花畑にも矢鱈(やたら)に繁茂(はんも)して、芽生えの時期にコスモスの競争相手となる。それで僕は秋桜(コスモス)を応援して、春先に草取りをする際は一番の標的とする。但し、道沿いの細長いコスモス畑の区画以外では、必ずしも敵視しない。
 つゆや秋に夜露の降りる頃には、杉菜の細かな葉先一つ一つへ丁寧(ていねい)に小さな雫(しずく)が宿る。その涼やかな水滴が一面に拡がる土手へ、川向かいの家々を越えた太陽から、曙光が射す。すると、この堤(つつみ)全体に金色(こんじき)の砂子(すなご)を蒔(ま)いたように、一斉(いっせい)に輝くのだ。その沢山(たくさん)の小さな粒は、七色の光りを帯びて、(風も無いのに、)キラキラと揺れる。その光景は、息を吞(の)む程に圧倒的だ。
 それと、今時(いまどき)は、霧の朝も良い。遠い森影は勿論(もちろん)、対岸の住宅街や公園の木々など、水辺の万象が、乳白色の濃淡に濁(にご)る。全体に色彩を失った淡白な味わいが、水墨画を思わせて、とても爽(さわ)やか印象なのだ。
 時々に趣(おもむ)きの異なる早朝の岸辺は、見渡す者に新鮮さを感じさせるに充分である。鬱陶(うっとう)しい入梅時にも、僕は少しばかり励まされる気がするのである。

 珠(たま)に傷(きず)なのは、川向かいの斜面に散在する白っぽい投棄物だ。今年はN川や支流S川の周辺の除草作業が早かったが、草が姿を消すと、ごみが余計に目立つ。それ自体が醜(みにく)いだけでなく、捨てた人間の生き様や世相の荒廃まで喝破(かっぱ)されるようで、頗(すこぶ)る息苦しい。
 何年前だったか、むすこの車のトランクでロープの束を見掛(みか)けたことが有る。それを対岸のガード・レールから命綱に使って、下の斜面の散乱ごみを拾うことを思い付いた。伜(せがれ)が上でロープの位置を左右に移動してくれたら、ごみ拾いも上下左右へ自在に動ける筈(はず)だ。この次ぎ来た時それをやろう、と言ったのだったが、多忙な男は中々(なかなか)来なくて、その侭(まま)に忘れてしまった。

 今その同じ計画を実際に行っている人が居(い)ることに、僕は胸が躍(おど)った。一人で、然(しか)も命綱も付けずに。
 手助けを申し出ようか、、、せめて冷たい飲み物でも、、、と僕は思案した。けれども、遠い台所から大声で呼び掛けるのか。又は、向こう岸まで出掛けて行って、上から話し掛けるのか。それは相手の仕事の手を留めさせることになる。かれなりの算段も有ることだろう。だから、今は寧(むし)ろ対岸の台所から遠く見守っていて、万が一に崖下へ転落するようなことでも有ったら対処する方が、きっと有効で合理的だろう。それで、有意の人が作業を終えるまで、僕は黙って遠くから見届けた。

 改めて見直すと、白っぽい点々が特別ひどかったY橋の袂(たもと)の当たりが、(いつの間にか)綺麗(きれい)サッパリ片付いている。これも同じ人の成果か。一体(いったい)いつの間に、、、と今(いま)更(さら)に驚く。きょう拾った最下段の位置より上の方に幾(いく)らかレジ袋らしき物が残っているが、あれも今後やっつける積もりだろうか。
 そう言えば、(去年のことだったか、)法面の草刈り作業の後に、やはり散乱ごみが点々と残り、その数日後フイに無くなった記憶が有る。「今年の除草作業員は気が利(き)くなあ。」と感心したものだったが、あれも同一人物の仕業(しわざ)だったのかも知れない。
 人知れず黙々と志(こころざ)しを果たす人の見事(みごと)さ、あっぱれ!僕は大いに感動した次第(しだい)である。
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             七月九日(日曜日)曇り
 後日談。夕方に書斎で城山三郎「彼も人の子ナポレオン」を読んでいると、例の人物が来て、残務を処理して行った。何日がかりの仕事だったのか。
(日記より)

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