里帰り出産

   日記より26-26「里帰り出産」         H夕闇
            三月十三日(月曜日)曇り後に雨
 娘Kが新生児kと里帰りして二十一日、きのう床上げした。昼から婿(むこ)殿T君が車で迎えに来て、去った。
 この間、僕は思いっ切り(Kが子供の頃に無かった程)娘を甘やかした。くだものを食べたいだろう、とてテント八百屋まで雪道を自転車で走り、スーパーBの新聞折り込み広告を見せて、甘い菓子類が欲(ほ)しいと呟(つぶや)けば、高級アイスにも有無(うむ)を言わず。コロナ下の孤独と不安の中、たった一人で初産(ういざん)を果たした娘に、褒美(ほうび)を与えたい気分だった。
 身二つになって自由に動きたがる産婦を叱(しか)って(出来る限り、)祖父母で孫の世話を代行、娘を安静に仕向けた。尤(もっと)も、僕に出来るのは、買い出しに走ることと全自動洗濯機での洗濯、それに湯(ゆ)守(も)り位(ぐらい)だった。
 元々朝が早かった僕が、更に早くなった。決まって未明三時前後に目が覚めた。体力維持を考えて、何とか眠ろうと努めたが、結局は徒労に終わった。そして未だ暗い中PC(パソ・コン)で日記に手を入れる毎朝だった。
 それから、皆が起き出す頃合いを見図(みはか)らって石油ストーブに点火、薬缶(やかん)を載せ、(花粉が二月末に飛び始めて急加速するまでは)寒い中を換気も励行。親子孫三代の女たちが集まるまでに、居間(いま)を暖めておいた。そうこうする内、朝食までに(一回は)湯が沸(わ)く。それを電気ポットや古い薬缶や水筒など総動員して貯めておくと、湯冷ましで粉ミルクも作れる他、乳児の沐浴(もくよく)にも使えるのである。
 昼前に室内が(裸で大丈夫な程に)暖まる頃、目を覚まして空腹のオギャー。僕の出番となる。台所の流しへベビー・バスを運び、それへ沸かし貯めた湯を移し、蛙(かえる)の温度計と相談し乍(なが)ら、蛇口から湯や水も出して調整。水銀柱を四十度の適温に旨(うま)く納めるには、熟練を要した。ここまでが、湯守りの役目である。
 母親のK(又は監督のM)が湯に手を入れて、最終点検。合格となれば、Mが孫の産着(うぶぎ)を脱がせて台所へ運び、Kが子を受け取って湯浴(ゆあ)みさせる。(この時へたをすると、小便小僧の如(ごと)き噴水が上がるので、要注意。)女二人の役割りは時に入れ替わるが、三週間前ギャン泣きの多かった赤子が、日を追って、段々ふろ好きになり、四肢が伸び伸びリラックスするに至ったのは、慶賀(けいが)に堪(た)えない。
 泣き声も、当初は弱々しかったが、軈(やが)て杉花粉が飛び始めてジージの大ハクションにビクッと身震いして泣く頃には、随分(ずいぶん)うるさい位(ぐらい)に力強くなった。それに睫(まつげ)も生えて来た。
 この湯上りに哺乳(ほにゅう)瓶(びん)を銜(くわ)えさせると、喉(のど)が渇(かわ)いているから、面白(おもしろ)い程グイグイ飲む。ジージは熱燗(あつかん)に限るが、孫娘は温(ぬる)目(め)の人肌(ひとはだ)が好み。(孫を抱いて哺乳し乍(なが)ら、おちょこでチビチビやる醍醐味(だいごみ)を、僕は実はコッソリ験(ため)したことが有る。おちょこと哺乳瓶でカチンと乾杯したことは、言うまでも無い。)そして粉ミルクが残り少なくなる頃、大きな目が次第(しだい)にトロンと光りを失い、軈て吸うの忘れ、果ては夢の国へ誘(いざな)われる。
 この哺乳の間隔が夜中に短いと、母親は辛い。そこで、夕食後(乙名(おとな)の)就寝前に入浴させて乳児を疲れさせ、一気に朝まで、、、と云(い)う陰謀を巡(めぐ)らしたが、結局その晩も娘は夜半に二度三度と小間切れに起こされたそうで、作戦は敢(あ)え無(な)く失敗。沐浴は暖かい昼に戻された。
出産予定日より半月以上も早く(体が未だ小さい内に)帝王切開で産まれてしまったから、胃袋も小さく、それで一度に多くは飲めないのかも知(し)れない。それを考えると、不憫(ふびん)である。

 ともあれ、きのう父親が迎えに来て、僕らの役目を無事に終えることが出来たのは、越(こ)よ無(な)く有り難いことだ。その間に三度程かれは妻と娘に会いに(仕事の帰り)立ち寄ったようだ。ようだ、と云(い)うのは、母子に設(しつら)えた部屋は一階、僕らは二階の居間へ引っ込んで、敢(あ)えて顔を合わせぬように仕向けたからだ。そうすることで、T君が僕らに気兼ね無く訪ねて来れるのではないか、と慮(おもんぱか)ったのである。実際こちらも婿殿を接待する丈(だけ)の余裕は全く無く、そういう協定にした。(平安貴族の妻問(つまと)い婚(こん)も、かくや。)
 きのう引き取りに来た新米(しんまい)パパは「大きくなった。」と頻(しき)りに感心して、我が子の頭を撫(な)でた。二十一日間ズッと見ている僕らは成長に気付かないが、初め産着が(最も小さな新生児用でも)ブカブカで、手足が埋没、袖(そで)から肩が抜けてしまう。それで袖口を捲(まく)って両手を出したものだが、今や裾(すそ)からニョッキリ足が出る。「大きくなった。」「確かに大きくなった。」と一同がT君に同感。めでたし、めでたし。
 間も無く一箇月健診が有って、その後ふろに父親と一緒(いっしょ)に入れるだろう。湯船の中でボチャンと取り落とすことを心配して、僕は婿殿に洗面器を勧めた。最近の住宅事情に合わせた深底で小型のそれではなく、昔ながらの(プラスチック製でも良いが、)浅底広口の洗面器である。これだと、落ちても(水を飲むことは有っても)溺(おぼ)れることは無い。乳児の身長には、手頃な広さでもある。嘗(かつ)て(オーイと呼んで)三人を交代で入浴させたベテランおやじは、得々として要領を伝授した。自身は風気味でも、又は職場の宴会が有っても、お先して帰宅。三人の茹(ゆ)で蛸(だこ)が出来上がると、自分を洗う気力は全く失せた思い出など、問わず語り。
 この三週間、家内は眠る孫娘の傍(かたわ)らで、屡々(しばしば)ピアノ練習。ブラームスの子守り歌なども口ずさんだ。又(我が家のステレオは故障中で)PCの音源から様々な音楽を流して験(ため)し、「どうやら、この子はモーツァルトが好みらしい。」と結論付けた。耳を傾けてウットリ聞き入る、と言うのである。その間バーバ馬鹿(ばか)は抱いて揺らして眠らせるので、後に腰の痛みが残った。(Tバーニー著「胎児は見ている」を再読すると、一般に胎児はモーツァルトやビバルディのファンが多いそうだ。)バッハ贔屓(びいき)のバーバは、些(いささ)か残念な面持(おもも)ちだ。
 この里帰り三週間に冷蔵庫も故障して、急ぎ買い替え、てんやわんやの日々だった。

 きのうT君には僕の日記も託した。孫kの誕生から里帰りして初対面までの十二日間の記録を、T君自身が一読の上(序(ついで)の折りに)御両親へ届けてくれるよう頼んだ。T夫妻と先日そう約束したのである。
 先月二十四日(金曜日)は、Kとkの健康診断。僕が二人をタクシーで病院まで送り届けた。この日は、僕も一緒(いっしょ)に玄関から二階の産科前の待ち合い所まで入れた。十時半に診察室へ呼び入れられたが、それ以降どれ程の時間が掛(か)かるか不明と言う。僕は事後を看護師に任せ、先に帰った。
 娘と孫の復路は、T夫妻の車に委(ゆだ)ねた。そういう形で孫との対面の機会を舅(しゅうと)姑(しゅうとめ)に設(もう)けた積(つ)もりだ。
 僕は最寄(もよ)りのN駅から敢(あ)えて乗らずに、H河畔を(二駅分)歩き、A駅から地下鉄に乗った。H橋からA橋まで、北帰行(ほっきこう)を控(ひか)えて川面(かわも)に浮かぶ白鳥を数えると、五十羽を越えた。川風を浴し乍ら河畔を逍遥(しょうよう)するのは、寝不足の体に心地(ここち)が良かった。妻と交代で(もう少し経ったら娘も)散歩に出してやろうと思った。
(日記より、続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?