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久米正雄作品を読む-和霊

久米正雄全集読破チャレンジ中。
長編2作の次は短編を読むことにした。その中で、1919年の冬(2月~)に久米が流行性感冒(スペイン風邪)にかかった時の話が書かれた「和霊にぎたま」と、菊池寛の「神の如く弱し」を比較してみようと思う。
 
「神の如く弱し」は1920年1月号『中央公論』に掲載された作品。現在では『マスク―スペイン風邪をめぐる小説集』(文春文庫,2020年)で読める。

神の如く弱し

あらすじ:雄吉(菊池)は、親友の河野(久米)が失恋の後、遊蕩生活に入り疎遠になっていくことを不満に思っている。そうした中、河野が流行性感冒にかかり臥せってしまう。失恋に絡んで確執のあるS家(夏目家)から金銭的援助の話が出るが、雄吉は憤慨して謝絶した。回復した河野にその話をしたところ、勇吉の予想に反し、河野は「S家は悪意でやった事じゃない」と言うのだった。

初読後の感想。久米が、かわいい
 
失恋後、友人たちに愚痴を繰り返す久米はかなり面倒くさかったと思うのだけれど、仕方ないなぁと思ってしまうようなところが久米にはある。
この話、前半に語られる失恋後の久米への不満は、結局のところ久米が自分たち(菊池や芥川ら)から離れていくことへの不満なのだ。そして後半は久米のために奔走する話。

久米の様子はどうにも歯がゆくて、それでも放っておけない気持ちになる。いや、実際かなり面倒くさい印象を受けるのだけれども。夏目家から申し出があった話を聞いた時の久米の描写は何ともかわいい。
 
では、久米本人はこの時のことをどう感じていたのか。
1921年4月の『改造』に掲載された「和霊」に描かれている。

和霊にぎたま

(略)話を聞いた時から、先方に悪意があるとは、迚も信じられなかつた。却つて矢つ張り向うに贖罪の意志があるといふ事が、心の底で非常に嬉しかつた。

夏目家からの申し出に、本当に喜んでいたようなのだ。
 
久米は、心変わりした漱石の娘や婚約の口約束を破ったその母親(漱石の妻)、親友であり久米の恋心を知りながら恋敵となった松岡を憎み切ることもできない。未練がましい久米を、菊池や芥川といった友人たちは意気地がない、弱いと言うが、明治生まれの男が言う"男らしさ"はよく分からない。
ただ久米本人の心根の優しさのように感じる。

久米の失恋が1917年の冬、その恋の相手がわずか数ヵ月後の翌春1918年4月に親友だった松岡と結婚式を挙げるのは、何ともひどいと言える。
「和霊」は、恨む気持ちがありながらも、久米が松岡との和解を願う話だ。流行性感冒にかかった久米は、高熱に浮かされて見た夢の中で松岡と和解し、死ぬ前に松岡に会いたいと願う。

久米にとっての失恋事件は、松岡との友情を失ったことが何より辛かったのだろうと思う。新思潮を発行していた頃の、かつての友情を想像すると少し切ない気持ちにもなる作品だった。

昨今の情勢下でスペイン風邪関連の書籍が発行されるのはありがたい。

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