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久米正雄作品を読む-破船

久米正雄全集読破チャレンジ中。
いよいよ失恋事件を描いた『破船』を読むことにした。
『破船』は失恋の4年後になる1922年1月から『主婦之友』に連載された長編小説である。(掲載紙は「嘆きの市」と同じ雑誌)

あらすじ:括弧内はモデルの人物
小野(久米正雄)は師事していた勝見先生(夏目漱石)の臨終の報を受けて駆けつける。勝見先生死去後の葬式や残された子供の相手などで家に出入りするようになった小野(久米)は、長女の冬子に恋をするようになる。勝見の妻磬子に冬子への求婚を相談すると、冬子が結婚する気になるまで待つよう言われる。
そうした中、勝見家に小野(久米)を中傷する差出人不明の手紙が届く。また勝見家に起こった出来事をモデルにした小説を小野(久米)が書いたことが、未亡人の磬子の不興を買ってしまう。
久米が勝見家を訪れると、磬子は小野(久米)の友人・杉浦(松岡譲)同席のもと、冬子との結婚の話はなかったことにしてほしいと言う。

失恋事件を題材にした通俗小説、といった紹介のされ方を読んできたので、『蛍草』のような話かと思っていたけれど、良い意味で予想を裏切られた。
これは純文学作品
久米の当時の苦悩を打ち明けるような内容で、『蛍草』のようなエンタメ的作品ではない。
 
『破船』の前半は、漱石の臨終から葬儀にかかる話が大半を占める。
当時鎌倉にいた芥川が臨終に間に合わなかったことなど、随筆や文学館解説で読めるような門下生の様子も描かれている。実際の漱石臨終の時の様子が目に浮かぶような丁寧な描写で、これは当時の漱石ファンにとっても嬉しい小説だったのではと思う。

友人関係

事前に『破船』の紹介で見たことがあるのは、「友人・松岡譲と夏目漱石の娘を取り合った」とか「松岡譲を悪者に描いて同情を買った」など。けれど実際に読んでみると、全くそういった話がない。どちらかと言うと、松岡のことはよく分からなかった。

冬子に恋をした小野は、柳井(芥川がモデル)や池田(菊池がモデル)に相談をする。小野が杉浦にも打ち明けたところ、杉浦はしばらく姿を消してしまう。小野は自分が原因かと案じるが、杉浦から三角関係に持ち込むような発言はない。
 
終盤、小野が冬子に宛てて書いた手紙に杉浦への嫉妬を綴ったことを不快に思った杉浦から、「これまで小野と冬子の味方でいたが、これからは無関心でいる。敵にも味方にもならない」と宣言される。
いつ味方になって行動してくれた?それでこの宣言後すぐに結婚??
となってしまう。

実際に久米は友人らに何でも話したのだろうということは、他の久米作品や菊池の作品などを読んでも想像できる。それに対して、松岡は内にため込むタイプだったのかもしれない。

夏目家の人たち

長女の冬子は主張性が弱い人物に読めた。時代背景もあるだろうが、小野の想いを拒否することもなく、上の学校に進むより家庭に入った方が良いかもくらいの考えに見える。
それに対して、母の磬子の印象は強い。読後にこれは結婚しなくて良かったという感想を持つのは、この母親の存在が大きい。
勝見の死後、小野を含めて門下生を都合よく使っている。小野に対しては、「結婚するからには資金を出すから小説を書くな」と言う。

漱石の死後、子供も幼く使える男手を確保したい。それには文壇に出るようになった久米よりも、学校を出たての松岡の方が都合が良かったのだろうなと思ってしまう。

破船をおすすめしたい

実際の出来事を知っていると、久米は松岡と夏目親子のしたことはひどいと一行書いてしまえば良いのに、と思ってしまう。『破船』にそうしたところがないので、単独で読めば友情と失恋の苦悩を描いた小説だった。
失恋事件を知らなくても、恋が成就しないことは冒頭から暗示され、全体的には仄暗い雰囲気が漂っている。それでもさらりと読めるので、文章が良いのだろうなと感じる。
 
事前に得ていた情報ではゴシップみたいな作品だったけれど、実際に読んでみるとまるで印象が違った。残念なことに現在『破船』を入手するのは非常に困難なので、読まずに当時のイメージのままで紹介されてしまっているのかもしれない。
現代の目線で読んでみた感想も知りたいので、『和霊』など失恋事件周りの作品を併せた本が出版されると嬉しい。

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