努力と工夫





どうも、こんばんは。

一日に書く文字数が日に日に増えていて、

それにともない

目が悪くなってきているような気がしていて、

このあいだの健康診断で視力を入念にはかってもらうと

しっかり両目1.5あった深ちゃんです。


本当に"気がしていた" だけでした。

(※最近では家族みんなでゲームをするので余計に)


さて。今回のブログのタイトル。

「努力と工夫」についてですが、

僕は基本的に多くの人はこの努力と工夫というものを

うまく使い分けることができていないと思っていて。



「なんでこんなにやっているのに」とか

「せっかく色々試したのに」と嘆いている人がいます。



僕はそれがすごく勿体無いと思っていて、

せっかくやるんだから時間や労力を無駄に終わらせて

ほしくないのである。




まず努力について。        




​人は努力のことを"がんばること"と思いこんでいるが


まずはそこから考え直してほしい。


なぜなら先にも述べたように"努力=がんばる"

としてしまうと

「なぜこんなに頑張ってるのに努力がむくわれないのか」

という思考になってしまうからだ。



僕の考えでは、努力というものは

「目的を達成する意思の強さ」である。

仕事であろうが、家庭内のことであろうが

それはどちらでも構わない。



例えば野球選手でいうと、

一般の人は「雨の日も風の日も休まず練習すること」を

努力の代名詞だと思っている。


しかし、それは違っていて


3割、30本、100打点を取る!という目標を定め

いかにそれに近づくように根拠とロジックを持って

自分を信じきれるのか。

という意思の強さを持ち続けることが結果論

「努力が報われた」ということになる。



素振りを毎日1000回したところで、

自分がその努力で結果を出せていない場合

それは努力とは呼ばず ただの運動である。
(※素振り1000回も結果の1つになるならオッケー)




そして工夫。      


子どもたちが言うことを聞かないとき。

親が取る行動のパターンは

基本的に "あえて褒める" か "感情に任せて叱る" か

のどちらかである。



しかしそれでも効果がない場合でも、

永遠とその2つのどちらかを試してみるだけで

新しい思考を得て、新しい方法を試そうとはしない。



そこで工夫してほしい。



例えばそもそもの関係を "親子" ではなく

自分も子どもに戻って相手と同じ立場になる。
(※指導するというより、どちらの言い分を押し通すか)


例えば子どもに あえて分かるはずもない言い方をする。
(※親の言葉に飽きている子に興味を持たす)


例えばそもそも叱る理由が

大人の都合ではないのか?と考える。
(※子どもは散らかったおもちゃを片付けなくても平気)




もしかすると、いま述べた工夫をしたとしても

なにも効果がないかもしれない。



しかし工夫というのは

"効果が出るまで試してみる" ことを言うのだ。



扇風機の羽が一枚だと風が全然出てこないが、

三枚にすると風が出てくると誰かが工夫をした。



雪道を車で走ると滑るので、

タイヤに溝をたくさんつくって

滑りにくいように誰かが工夫をした。



ドアを自分で開けるのが面倒なので

センサーを付けて自動で開くように誰かが工夫をした。




世の中には誰かが工夫をしたことで

効果が出ているものがたくさんある。



しかしそれらは一度や二度の改善によって

できたものではない。


何度も何度も失敗しながら試し、

そしてやっと効果があらわれたところで

工夫ができたとされる。




そしてここからが肝心なところ。




目標を定め、自分を信じ続ける努力をする。

そして努力で続けていく内容を効果が出るまで工夫する。


そうすることで初めて「成果」が出るのである。





努力だけではダメ。工夫をしないと。


工夫だけではダメ。努力しないと。



この2つの持ちつ持たれつの関係が

僕たちに成果をもたらしてくれるのだ。




仕事が上手くいかない人。

子育てが上手くいかない人。



一度、この努力と工夫を持って

新しくチャレンジしてみてはどうだろうか?

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