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だから僕は8月のカレンダーを真っ白にした

真っ白なカレンダー。

例年とは違って今年は予定のない夏休み。

ここ数日は家からも出ていないため日付と曜日の感覚が失われつつあった。今朝、ニュースを見て日付を一瞬にして思い出した。 

8月6日だった。

「75年前の今日、広島に原爆が投下された。」

 75という数字を聞いたときに思うことは人によってさまざまだろう。僕の場合は「もうあれから10年経ったのか。」というものであった。なぜ75年なのに僕の場合10という数字が出てきたのか。

 10年前、当時小学4年生だった僕は縁あって終戦65年を記念して地元で上演された舞台に出演した(経緯は長くなるので省略する)。戦時中の特攻隊員を描いた物語の中で、僕は特攻隊員の兄をもつ少年を演じた。大人たちに囲まれながら、自分なりになんとか戦争当時のことを知ろうといろいろ勉強もした。自分の演技の稚拙さはさておき、この経験は貴重だったと今でも思っている。それから今まで、様々な場面で戦争について触れる機会があったが、当時学んだ知識や、見た資料、聞いた話と結び付けて考えることで見えてくるものなどもあった。

 19歳になった今、その舞台に出演するならば特攻隊員の配役はほぼ間違いないだろう。75年前、今の自分と同年代の若者たちが国の威信と未来のために戦地に飛び立っていたと思うと複雑な心境である。そのなかで当時の劇中でたびたび登場する言葉があった。「国のため」だ。現代を生きる我々からしてみたら国のために命がけになる覚悟なんてできないという人がほとんどだろう。しかしこう考えるのはどうだろう。「大切な人の未来のため」だ。命がけとは言わないがこれは現在にも通じるものではないだろうか。

 収まることを知らないコロナ禍。感染拡大が止まらないなかで感染症対策と経済政策の両立が求められている。あくまで個人の意見だが経済に傾いていないだろうか。自分が万全とは言わないが個人でできる対策は皆が十分やっているだろうか。少なくとも僕の周りでは気が緩んでいる人が多いように思う。75年前、「国のため」とは言いつつも根底では「大切な人の未来のため」に様々な苦しみに耐え、戦い、生き抜いてきた人々がいた。戦争に賛成はもちろんしない。しかし、個々人が「大切な人の未来のため」の行動をとることは今も必要なのではないだろうか。だから僕は8月のカレンダーを真っ白にしている。

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