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滋賀県の一体感の無さを考える

滋賀県に取材へ行くことが増えてきた。

自分自身の出身地が滋賀県ということは挨拶の時にいつも伝える。

「滋賀出身なんですよ」というと「あ、そうなんや!」と明るい反応から続く言葉はほぼ漏れなく「滋賀のどこ?」。自分も逆の立場になったらそう言うと思う。そして、その後の一言で距離感は一気に変化するのだ。

他県の感覚は分からないが、個人的に滋賀に対して思うことは「一体感の無さ」。南部、北部、東部、西部では全く違う文化が流れているような気さえしている。

琵琶湖が県のど真ん中にあるので、中心になる場所がない。琵琶湖の対岸への移動は基本的にめっちゃ大変。色々理由が考えられるが、結局の原因はど真ん中にあるバカでかい水たまりなんだろう。

琵琶湖を囲うように走るJR沿線の街はそれなりに栄えていて、県内でもいい場所という認識をされている。実際、琵琶湖の東側からは京都や大阪、神戸まで乗り換え無しで行けるし便利は便利。でも琵琶湖から離れれば離れるほど、交通の利便性は急激に低下する。

特にヒエラルキーがあるとは感じないが、どのあたりに住んでいるかでも仲間意識が変わるような気がしている。「そこは都会やん」とか「うちは田舎の方やから」など、同じ県なのに全く違う地域に住んでいるような関わり方になるのだ。

南は関西、北は北陸、東は中部と各地域の境目になっていることも大きいのかもしれない。そういえば、中部国際空港に降りたとき「ようこそ中部へ!」と書かれた中に滋賀県が堂々と入っていた時は少し驚いた。

知れば知るほど味わい深い県だと思う。滋賀県への興味は尽きない。今後も勉強を続けたいと思う。


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