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不老泉銘柄を生み出す滋賀県の上原酒造 その魅力と造りへの想いを取材した

本記事は宣伝会議主催「編集・ライター養成講座」の卒業制作で執筆したものに若干の修正、加筆を加えたものです。

◆取材対象:上原酒造 蔵元 上原績氏
           杜氏 横坂安男氏

◆取材日:2023年5月17日 上原氏(滋賀県高島市にて)
        2023年6月7日   横坂氏(千葉県成田市にて)


 半農半酒という生き様がある。

 酒造りの責任者である杜氏(とうじ)自らが春から秋にかけて育てた米。冬場にはその米を原料にして日本酒を醸す。米も造り、酒も造るという日本酒づくりの原点ともいえる手法だが、現代にそれを行う人物は少ない。

 滋賀県高島市に蔵を構える上原酒造の杜氏、横坂安男氏はそんな半農半酒を行っている人物だ。千葉県の気候風土に適した酒米「総の舞(ふさのまい)」を栽培し、冬には2トンにもなる米を自らトラックで滋賀まで運ぶ。

「千葉から嫁入りしているわけです。積んでいるのは花嫁。自分の箱入り娘を持っていく気持ちですよね」

 6月上旬のジリジリとした晴天の下、まだ苗の総の舞を目の前に横坂氏は笑顔で話す。

総の舞の畑に立つ横坂氏(千葉県栄町)

 千葉で育った米が滋賀に行き、仕込み水とどうマッチングするのか。穂が付く前から想いながら、味をイメージする。去年できた酒の味を思い浮かべ、何ができていて、何ができていないのかを考えるという。

「わたし達の仕事は1年1年でリスタート。去年の米は令和4年産。今目の前にある米は令和5年産。2度と手に入らない米を使った一年の勝負」

 酒造りには天井が無く、行き着くところがないという。良いものができればその上を目指し、より良いものを造るために試行錯誤する。日本酒は日常に寄り添った嗜好品であるが、その造りの現場はまさに職人の世界。そして造り手の想いが詰まっているのだ。

手抜きをしない作業

上原酒造の蔵(滋賀県高島市)

 上原酒造が造る日本酒は一般的な「辛口」「甘口」とは異なり、「旨口(うまくち)」と表現される。米本来の旨味を伴いながらも一切くどくない。味の広がりの中にあるシャープな酸味、切れが魅力だ。 

「甘辛をうちは気にしませんが、酸とアミノ酸の数値が高い。高いレベルでバランスが取れている」

こう語るのは蔵元である上原績氏。
造られる酒の設計は上原氏によって行われ、杜氏である横坂氏が肉付けしていくという。

 蔵を訪れた5月中旬は造りが終わった後片付けの最中。搾りに利用する700枚もの酒袋を洗う風景が印象的だった。

麹室に置かれた酒袋は1枚づつ丁寧に手洗いされていた

 造られる銘柄の多くは、江戸時代から続く「生酛造り」から派生した「山廃造り」により行われる。豊かな味わいが特徴の造りだが、求められる技術や手間などの要因から、全国の日本酒生産量の1割にも満たない。

 上原酒造では機械を最低限しか導入しておらず、手作業中心の酒造りを現代でも続けている。横坂氏は手作業と機械化についてこのように話す。

「手作業は合理化された機械よりも人間の出来不出来が現れてしまうものですから。手造りの良さ以上に、怠慢も出やすい。だからこそ手抜きができない。手造りは手抜きをしない作業なんです」

 まさに職人の世界。手造りだからこそ、手抜きができないという発想に驚かされる。

 また、上原酒造の山廃は最低でも半年間熟成させてから出荷する。銘柄によっては3年間熟成させる場合もある。造った商品をすぐに販売できないことはリスクにもなる上、貯蔵するためのスペース確保といった問題も発生する。しかし、「そうしないと美味しくない。未完成で出すとお客さんがつかなくなりますから。未熟な酒を出しても絶対売れない。うちは2本目、3本目を買ってもらってなんぼ」と上原氏は語る。

 明確な定義はないが、一般的に製造から1年経過した日本酒は古酒扱いとなる。それでも古酒と名乗ることはない。上原酒造にとって、熟成は当然の工程だからだ。徹底した管理のもと、味が十分にノッた状態で出荷することで、力強く濃厚な味わいが実現する。
 
 上原酒造が生み出す酒の力強さを象徴するエピソードを上原氏から聞いた。

「上海がコロナでロックダウンした時、酒の入ったコンテナが港に放置されてしまいました。常温で3ヶ月という過酷な環境でしたが、輸出業者が言うには大丈夫だったと。我々も驚きました」

 日本酒は本来、温度管理にシビアな商品である。炎天下のコンテナ内に放置された状態で耐えられる酒質は凄まじい。その要因について、上原氏は「水のような味わいではなく、ガッツリ味のある酒造りを目指している部分が大きい」と語る。

杜氏である横坂氏は、「杜氏は蔵元があってこそ。蔵元のビジョンに惚れるか惚れないかなんですよ。ハンドルは上原社長にある。共通の目的を目指すからこそ、タイヤを回せる。酒に対する想いが同じ」と話す。

 蔵元、杜氏、そして造り手全員の想いが一致した結果、手抜きをしない作業によって強靭な酒が生み出されるのだ。

無添加山廃と天秤搾り

ズラッと並んだ醪タンク

 上原酒造の酒は、全国的にも珍しい「無添加山廃」という手法によって生み出される。日本酒製造に必須となる酵母や乳酸菌といった微生物を、空気中に浮遊している自然の中から獲得するのだ。

蔵付きと呼ばれる酵母を利用した酒造りは、江戸時代以前から存在する。自然の力のみを利用することから、失敗するリスクもある。

「今でも不安と隣り合わせです」と上原氏は語る。しかし、この手法でしか生み出せない味わいがある。
 
 さらに、発酵された醪(もろみ)を搾る工程にもこだわりがある。通常で あれば機械を使い1日で終える作業を、「天秤搾り」と呼ばれる手法によって3日かけて行う。この搾り方は、14世紀の京都の遺跡から発掘されるほど古くから存在している。

 機械搾りと比較して3倍の時間がかかる上に、15%程度のロスが発生す る。しかし、搾られた酒には雑味がない。全国に1,000を越える酒蔵がある中、天秤搾りを採用している蔵は10軒にも満たない。そして、上原酒造で
は全ての銘柄がこの手法によって搾られるのだ。

天秤絞りは原始的な手法だが、高い技術と労力を要する

 無添加山廃と天秤搾りという、手間のかかる作業によって上原酒造の酒は生み出される。圧倒的なこだわりとも取れる部分だが、上原氏はこう語る。

「こだわっているわけではない。自分たちが美味しいと思うからやっているだけです」

そう話す表情はにこやかだが、自分の意思を徹底して貫く職人魂が感じられた。

 天秤搾りは40年以上前、機械搾りから変更し復活。その後、平成3年から無添加山廃に取り組み始め、すでに30年以上が経過している。

「かばた」と呼ばれる仕込み水は比良山系の軟水

 今でこそ、上原酒造は丁寧な造りと 高い品質によって全国に多くのファンがいる。しかし、最初から順風満帆とはいかなかったと上原氏は話す。

「当時の滋賀県では山廃造りを名乗っている蔵は存在していなかった。珍しい酵母無添加は差別化になるし、いい宣伝材料になると思ったが現実は厳しかった」

 平成初期の日本酒業界は、淡麗辛口ブームの真っ最中。水のようにきれいな酒が評価されている中において、真逆をいく上原酒造の酒は完全な異端児だった。得意先の酒屋でも、「濃い酒」を説明できる店が少なかったと上原氏は話す。

「色々な酒屋に置いてもらったが、最終的には酒に詳しい酒屋にしか残らなかった。うちがここまでこれたのも、マニアックな酒屋と消費者のおかげ」

 この平成の期間、横坂氏の前任となる山根弘氏が杜氏を勤めていた。彼こそが、上原酒造において無添加山廃をスタートさせた人物である。

原料に対する想い

 山根杜氏も半農半酒だった。兵庫で自ら栽培した酒米「たかね錦」を使った酒造りをしていたのだ。山根杜氏が無添加山廃によって造る酒は、ゆっくりと確実にファンを獲得していった。そして、その中には現杜氏である横坂氏もいた。

 東京農業大学醸造科を卒業後、地元である群馬に始まり新潟、岡山、石川と酒造りの経験を重ねていた横坂氏。2013年に、「山根杜氏の元で無添加山廃がしたい」という想いで、千葉の酒蔵からやってきたのだ。

 しかし、横坂氏が山根杜氏と酒造りができた期間は短かった。12月9日、蔵入りすぐの横坂氏は仕込み中、山根杜氏にこう伝えられた。

「周りのみんなは知っているんだけど、5年前に余命五年と宣告されたのが今日なんだ。ということは明日からはおまけの人生だ。いつ何が起きても不思議ではないということは言っておく」

 横坂氏はそれを聞いてから一語一句、一分一秒を大切にし、山根杜氏と中身の濃い時間を過ごした。ただ横坂氏の中で、来年の秋も山根杜氏は健康でいると思っていたという。今一緒にいる人物が亡くなるという想像は、簡単にできるものではない。
 
 2014年5月、山根杜氏は入院する。横坂氏がお見舞いに行った時、山根杜氏は点滴だらけの状態だった。片手で握手をしながら山根杜氏は、「秋には横坂、お前の米を持って来い。社長の了承は得ている」と話したという。すでに千葉で米を造っていた横坂氏に対して、自分の米を使った酒造りをしろと。

「早く元気になって、秋には座っているだけでいいですから。私達が手となり足となって酒造りしますんで。とにかく次の秋に会うことを楽しみにしていますから」

横坂氏は返答したが、この会話が最期になる。
7月7日、山根杜氏は旅立った。

山根杜氏がタンクに書き残した天秤絞りの図
上原氏も「消すに消せません」と話す

 滋賀の酒蔵でありながら、千葉に適した酒米である「総の舞」を使用していることは珍しい。その理由にはこのような背景が存在しているのだ。

 上原酒造は日本酒の原料である「米」に対する思い入れが強い蔵だと思う。代々杜氏自身が酒米を生産していたことに加え、自家精米を行っていることも重要なポイントだ。
 
 食用米でも表面の10%程度磨くが、日本酒の場合は50%以上磨くことも珍しくない。酒になった時、雑味となるタンパク質や脂質を除くことが目的だ。原料処理で重要な工程だが、30軒以上ある滋賀県の酒蔵で自家精米を行っている蔵は、上原酒造を含め3軒しかない。一般的に、精米工程は外注されるのだ。
 
 利用する酒米の中には、契約農家からの直接仕入れもある。
 
「玄米を持ってきてくれた農家の方たちとの会話から酒造りが始まる。米作りの想いは、見事に酒にして化かしますから!という気持ちで引き継ぐ。外部で精米されて、生産者の顔が見えないと酒造りのイメージが難しい」

横坂氏は続ける。

「毎年の米は二度と手に入らないと考えた時、まさしく一期一会の勝負。一口飲めば消えてしまう中に、どれだけの想いが詰まるかという話。素材からの物語が大事なんです。目の前に生産者がいたら、意識を持たしてくれる」

25年程前から使われている精米機

 日本酒の主原料は水と米。日本の食文化において、米は切っても切り離せない関係にある。

 通常、同じ場所で同じ作物を作り続けると生育に悪影響が出る。連作障害と呼ばれる問題だが、水稲の場合は無縁である。田んぼに水を張ることで、空気を必要とする有害な微生物を淘汰するからだ。

「毎年同じところに同じ作物が生まれるということは、いつの時代から続いているのかという話です。歴史なんです。世界遺産なんです」

自らの田んぼを目の前にしながら、これは恵み以外の何物でもないと横坂氏は続ける。 

「この田んぼも外で丸一日立ちっぱなし。人間だったら死んでしまいます。どれだけたくましいのか。これも全て太陽の光エネルギーを元にしていますから」

「水もそうじゃないですか。蔵の地下から湧き出る水って、まさしく恵み以外の何物でもない。そんな米と水というたった二つのもので、どういう物をつくろうかとイメージが湧くじゃないですか」

 日本酒の原料は米と水。だからこそ米に対する意識は徹底している。連作障害を介さないたくましい作物と、地下から湧き出る恵みの水を使って醸す酒。上原酒造の酒造りの根底には自然に対する感謝があると感じた。

横坂氏が栽培する総の舞の畑

守り神による酒造り

 上原酒造の基盤を造ったともいえる山根杜氏から、2014年に急遽バトンを受け取った横坂氏。当時の状況について以下のように話す。

「プレッシャーというより開き直り。山根杜氏の前にも後にも同じ人はいない。誰が来ても山根杜氏を越えられないと思ったら気が楽になった」

 当時の変化と現在について、上原氏はこう話す。

「杜氏が変わるというのは蔵にとって最大の出来事。造る人が変わると絶対に味が変わる。横坂杜氏になってからはスマート、上品になった印象があるが、総の舞を使った酒は山根杜氏を思い出させる濃い味の酒」

 山根杜氏から想いを受け継いだ横坂氏は、上原酒造の無添加山廃をさらに磨き上げた。

「蔵付き酵母の良さをオリジナリティにしたい。飲み手からしたら頭ではなく舌で飲みたいと思う。その時、簡単明瞭な説明が求められる。蔵付きがどうこうではなく、昔からその蔵にいた『守り神』を使っているだけだと」

蔵付き酵母という「守り神」によって、上原酒造の酒は造られると横坂氏は語る。

 無添加山廃は空気中に浮遊する蔵付き酵母を利用する。しかし、上原酒造で造られる酒の全てがそうではない。日本醸造協会が頒布する、他県の蔵で採取された協会酵母を添加する酒もある。 「速醸造り」と呼ばれる、現在の日本酒造りの主流となる製法だ。軽やかな味わい、フレッシュさが特徴であり、人気も高い。外部の酵母が使われる状況に対して、横坂氏は上原酒造の酵母だけで製造できる環境を整えてきたのだ。

蔵付き培養酵母(横坂氏より写真提供)

 酵母は目に見えない。そのため、蔵付き酵母で醸したつもりの酒に、速醸で利用した協会酵母が混ざる可能性があるのだ。

「山根杜氏の時代、滋賀の技術センターに蔵付き酵母を預かってもらっていた。それを返してもらって蔵付き酵母で充満させたい。協会酵母など外部のものを入れない。4年程前から蔵付き酵母を培養したものを速醸にもつかうようにしてきた。自らの蔵付き酵母で制圧することが目的」と横坂氏は話す。
 
 酵母を完全に排除するには数年単位の期間を要する。蔵付き酵母という目に見えない「守り神」が過ごしやすい環境を、長い期間をかけて創り上げたのだ。

自然の恵みである米と水を使い、守り神が姿を表したものこそが上原酒造の酒なのである。 

守り神が住み着く酒母室
壁や空気中に目に見えない酵母が生きている

酒造り人生を全うする

 千葉の田んぼを訪れた際、横坂氏から開口一番驚きの言葉を聞いた。

「今年で米作りはファイナルにしようと思っている。来年からは上原酒造一本でやる」

 半農半酒を続けてきた横坂氏。後継者を育てることを考えた時、このスタイルを続けることは難しいという。

「自分が造った米で酒を造るということを、自分の集大成にしていた。来年から本当の意味の集大成として『酒も造るけど、人も造る』。この先を考えた時、酒を取るか米を取るか。わたしは生涯酒造りで終わりたいという想いがある。それは山根杜氏の影響が強い」

 横坂氏の脳裏には、「横坂、また来いよ」と蔵前で手を降っている山根杜氏の姿が焼き付いているという。それは78歳で亡くなる3ヶ月前だった。
「生涯杜氏として、一番直近で最期の酒造り人生を全うした人間をみた。だからこそ、わたしの酒造りとしての生き方をどこにおくかと言うと、自分の次の後輩が上原酒造をしっかりと繋げていくところを見たい」

総の舞の田植えを行う横坂氏 (横坂氏より写真提供)

 稲が子孫を残すため種子を付けるよ うに、横坂氏の酒造り人生は次の世代を育てる段階にきているという。

「米作りは体に染み付いている。自分のスキルになっている。後は自分の健康年齢。今63歳だからあと7年で70歳になる」

そう話す横坂氏の目は次の世代を見つめていた。

 上原酒造はその造り工程の困難さから、長年若手が定着しなかったという。しかしこの数年、20代の若手が安定してきたと上原氏は話す。

「若いのは30代の6年目が1人。20代後半が来年も来ると3年目。ようやく落ち着いてきた」
 
 現在の若手2人は元々上原酒造のファンであり、造り方を知りたいという想いから蔵人になったという。山根杜氏、横坂氏と紡いできた想いを受け継ぐ土壌はすでに出来上がっているはずだ。

紡がれていく想い

 令和5年度の造りから全量蔵付き酵母、つまり「守り神」のみを使った造りが始まる。そして、最後の総の舞で醸される酒もある。横坂氏は年間を通して蔵に残り、後継者育成に注力する。上原酒造の新たなステージが始まる年だといえるだろう。
 
 上原酒造の主力銘柄は「不老泉」という。その由来は蔵から湧き出る水にまつわる言い伝えだ。初代当主が井戸を見つけた時、その中から地蔵が出てきたという。「不老の泉」と名付けられた井戸からの湧き水を仕込みに用いたため、不老泉と名付けられた。

蔵の入口に並ぶ「不老泉」銘柄の数々

 この銘柄名は今まで、そしてこれからの上原酒造を見事に表した名称に感 じられる。代々の造り手、蔵元の想い、技術は枯れることなく紡がれていく。数百年間、老いること無く湧き出る泉のように。
 
 一口飲めば消えてしまう嗜好品の中には、造り手の想いが詰まっている。 
去年の酒は何ができて、何ができなかったのか。酒造りに天井は無く、常に去年を越える酒を目指す。米と水という恵み、そして守り神による酒造りは今後も続いていく。

 日本酒の起源は弥生時代以前ともいわれ、何千年も人々を魅了し続けているのだ。古来の手法を大事にした、手抜きをしない職人達の酒造りのように、時代が変わっても普遍的なものは残り続ける。人間が生きていく上で大切なことは、今も昔も変わっていないはずだ。


取材から5カ月経過しているので追記。
まだ小さかった総の舞は立派に育ち、すでに蔵に届いているようです。

チーバくんが描かれた袋に詰められた大量の総の舞。
ラストということでかなり貴重な1本になりそう。

今年から年間を通して横坂杜氏が蔵にいるため、これまで以上に不老泉銘柄の魅力に気がつく人が増えるのではないでしょうか。
今後も益々楽しみ。1ファンとして応援し続けます。

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