見出し画像

地球の反対側から届いたメッセージ

今までの人生の中で、誰にも証明できないけれど、体験してしまった不思議なことがたくさんあります。

ミュータント・メッセージ /マルロ・モーガン著

その体験をしたのは、21世紀になったばかりの、2001年のことでした。

幼い頃から不思議な世界にいたけれど、人に話すと気持ち悪がられるため、封印してきたその手の話を、自分のホームページ(1998年2月開設)で発表すると決意表明したのが2001年9月11日の朝。

偶然なのか必然なのか、その夜に、あのテロ事件が起きてしまった。

私がホームページで、不思議な体験を伝えると表明する少し前の頃から、世間一般では普通に書店でも、「聖なる予言」といった、いわゆるスピリチュアルな本が手に入るようになっていました。

もともと幼い頃から、疑問に思ったことに対して、ふと頭の中に答えが響いてくるような子どもでした。そのほとんどが、不思議な体験に繋がっていくのですが。
例えば、目の前で母親が必死で探している物が、姉の鏡台に上にあるのがありありと浮かんだり、全然知らないはずの同僚の部屋の様子が浮かび、あの黒いベッドカバーの下にあるよと口走り、見たこともないのになぜそれを知っているのかと気味悪がられたり。
どちらかというと、表明するとマイナスの反応を受けることが多いので、人に話すことはやめようと、小学校三年生くらいの頃に決めていたのですが。

でも、もっとちゃんと知りたいと思っていました。だけど、宗教に関わるような種類の本しか見たことがなくて、あとはもう、ファンタジーの世界になってしまい、参考になる本に巡り合えずにいたのですが。

1995年の阪神の震災と、地下鉄のテロ事件があって、急速に人は精神世界を求め始めたようで、その類の書籍が本屋に並びだしたのです。
聖なる予言シリーズとシャーリーマクレーンの本を持っていて、よく読んでいました。

そんな中、ふと手に入れた『ミュータントメッセージ』
当時あまり知らなかった、アボリジニのことを書いたものでした。

書籍の中で、アボリジニの一部の方たちは、地球から去る(一族が絶滅する道を選ぶ)ということが出てきました。
神代の時代から伝わる聖なる教えを受け継ぎ、ケガや病気も手力や薬草で治してしまうことができ、テレパシーで会話することが当たり前の人たち。
素晴らしい教えをそのままに生きることができている。

そんな彼らが、自ら選んで、子孫を作るのを止めて、民族ごと、この世界から消えていくことを決めた、と。

私はそのことを知り、彼らに会いたい、話を聞いてみたい。だけど、間に合わないかもしれない。そう思うと悲しくて。

当時の私は、DV気味の元夫から、モラハラや様々な規制を受けていて。
仕事以外でひとりで外出することを許してもらえない、家庭内軟禁状態にあったのです。
しかもその夫はおそらく、アボリジニに会いたいという私の気持ちなど、到底理解してくれるはずもなく。不思議な話や、神様という言葉すら、宗教っぽくて気色悪いとドン引きされるような状態でしたから。
たとえ子どもたちが大きくなっていたとしても、ひとりでアボリジニに会いに行くなんて、絶対無理だと思いました。夫が許可するなんて1000パーセントあり得ませんから。
だけど、彼らはもうすぐこの世界からいなくなる。彼らがいなくなる前に、オーストラリアに行って、彼らに会いたいと、強く思ったのです。

その時です。
「彼らに会いたい」
そう最後まで私が考える前に、突然、窓の外から何かが強くぶつかる音がして、同時に、私の目の前を閃光が走ったのです。

一瞬何が起きたかわからず、三秒くらいフリーズしました。
私たちの家は、マンションの6階で、目の前は駐車場ですから、窓に向かって誰かが何かを投げつけることなど不可能。
鳥がぶつかったのかもしれませんが、それは真夜中のことですから、そんな時間に鳥が飛んで来ることも考えにくい。
でも、確実に大きな、ドン!!という音がしたのは事実です。

私はおそるおそるカーテンを開けて窓の外を見ましたが何もなく、窓ガラスには、何かがぶつかった跡はありませんでした。

その時の音は、窓からせいぜい1メートルくらい離れた場所から、何かを投げつけて、窓にぶち当てた、くらいの勢いがありました。つまり、上から何かが落ちてきて、たまたま我が家の窓に当たったレベルの音ではありませんでした。

それに何より、音と閃光がして、ぼーっとしている時に私の頭の中に響いていた感覚を言葉にするならば、

「おまえの声は聞こえた。ここまでくる必要はない。どこにいようともつながっている」

でした。

最初は音がしたことに困惑していたので、頭の中に響いていた言葉に意識がいかず、少し落ち着いて改めて考えて、急に私の中で意味がつながったのです。

「アボリジニの人たちは、世界のどんな場所でもテレパシーで会話できる」
そう本に書いてあった。

世界の、どんな、場所でも、テレパシーで、会話、できる!!!

もしかして、私が彼らに会いたいと強く念じた意識が、彼らのところに届いたのではないだろうか。
そしてその答えが、単なる頭の中に響く言葉だけじゃなく、窓を大きく叩く、という物理的なメッセージも添えて、確かに聞いたぞと、私にメッセージを与えてくれたのではないだろうか。

真実はわからないけれど、私は勝手にそう感じ、涙が出ました。
隣では1歳になる娘がすやすや眠っていました。

私はほんとうに胸がいっぱいになっていました。

直接飛行機に乗って、車に乗って、いつも一定の場所にいないため、どこにいるのかもよくわかっていないという彼らに会いに行って、そして、とにかく、とにかく、話したい。何か教えてもらいたい。質問があるわけじゃないけれど、何か話したい!!

そんな物理的な思考で縛られていた私に、

「思いは一瞬で地球のどこにでも飛ぶのだ。
実際にその思いを、心の声を受け取ることができる人たちがいて、ちゃんと通じるのだ。
だから、どこにいようとも、繋がるべき人たちとは、ちゃんと心の深い場所で繋がっているから大丈夫なのだ」

事実かどうかはわかりません。
ですが、当時の私のちょっと特殊な環境である、自由に自分の意志で家から出られない環境にいても、それでも私は、この場所にいても、世界と繋がっていられるのだと思えて嬉しくなりました。

よい本なので、よかったら読んでみてくださいね(*^_^*)


この記事が参加している募集

わたしの本棚

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?