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ごめんねぇの一言で

人は新月に生まれ、満月に去っていくと言われています。
伝説でも何でもなく、圧倒的にそういう確率が高いことがわかっています。
不思議ですね。

トップの写真は小樽南駅の有名な桜。
小樽はまだ桜あまり咲いていませんでした。

娘は新月に生まれたのですが、その夜は5人もの赤ちゃんが生まれました。

入院している間は、一日に1人か2人、もしくは生まれない日があると言うのに。

「新月の夜なのに、なぜ助産師が1人しかいないんだ」と、助産師が何度も叫んでいたので、産院では、新月の夜に子供が生まれるのが当たり前のことなのだと知りました。

昨日はそんな満月。

いつ容体が急変してもおかしくなく、その時は覚悟をしてくださいと医者に言われている母ですが。

今回の満月は持ち越しまして。
だけど次回の5月23日の満月まではどうだろうかと感じています。

そんな中、昨日はお休みだったので、お見舞いに行ってきました。
コロナの影響もあり、1日にお見舞いができる人間が2人までと決まっており、予約制となっています。

他にもお見舞いに行く人がいるので、行きたい時に行けるとは限らず。
なので、行ける機会に行っておこうと思ったのです。

母とは本当にいろいろありました。
「二度とこの母の子供になんか生まれてきたくない」と思っていました。
何なら母がこの世界からいなくなっても泣かないかもしれないとまで思っていました。

それは本当に本気でそう思っていたのです。

ですが、医者に命の別状があると言われた瞬間から、涙が溢れてきて、自分でもびっくりしました。

あの日、いちど書類を書きに病院に行った後、もう一度約束していた友達のところに戻ろうとして、再び呼び出しをくらい、小樽の病院に戻りました。

2度目に戻った時、母が私の顔を見て言いました。

「迷惑かけて、ごめんね」

忙しいのに、自分のために病院に来させていることに対する謝罪だと思います。

でも母は「謝ったら負け」と思っているかのように、どんなに自分が悪くても絶対に謝らない人間でした。

物心ついてから、母にごめんねと謝罪されたのは、これが初めてでした。

もちろんこれは、私が病院に来たことに対して迷惑かけてごめんね、だと頭ではわかっています。
なのにまるで、今まで起きたことの全てを謝罪されたような気持ちになってしまいました。

違う!
だめだぞ、許しちゃだめだぞ、かずえ!


よく、
「頭では許そうと思っているのに、感情が追いつかない」現象はあると思いますが。

「頭では許してはいけないと思っているのに、たった一瞬で、感情がもう全てを許してしまっている」現象があるとは知りませんでした。

頭の中で必死に私はもがき続けます。

たったこれだけで、今までのすべての帳消しになると思うなよ!
大体、大人の私がすべてを許すことができたとしても、子供の頃の私は許せるわけないだろう!

ということで。
子供の頃のインナーチャイルドたちを召集しました。

私は許しても,あなたたちの傷は簡単に癒たりしないよね?

そこには、すごくたくさんの,インナーチャイルドがいたのですが。
その中の1人で、10歳くらいの私がが出てきて言いました。

「謝って欲しいんじゃない。ただ愛して欲しかったの」

ああ。
そうだった。
でも、それならば。

それならば最初から答えなんて出てたじゃないか。

態度がめちゃくちゃ悪いし、人柄が本当に最悪だし、やることがひどすぎるし、毒親の典型だし。

態度に表してくれた事はほとんどないけれど。

だけど、あの人はきっと、いいえ、本当に私のことを愛している事は私は知っていました。

やり方がめちゃくちゃで、ちっとも伝わるやり方ではなかったけれども。
私はあの人に愛されている自覚はあったのです。

例えばぎゅっとしてくれるとか、もっと優しくしてもらうとか。
そんなことはできる人ではありません。
それはもう仕方ない。

だけど、あのか細い声で、
ごめんねぇ。

ありがとう。
と言ってきたこと。

それだけで。
たった、それだけだよ?

ちっくしょう。
ずるいだろ?
今まで何してきたかわかっている?

とまだ少しそんな自分が残っていて。

その日の夜、家に帰って泣きながらそんなふうに自分の中でもう一人の自分があばれだしました。

その時にこんな言葉が降りてきました。

「認知症になると、その人の本質が出てしまう」


思考が止まります。

深呼吸して思うのです。
もう、いいか。


たった一言。
ごめんね。

その言葉の重み。
生きていて、母からその言葉を聞く日が来るとは思わず。

ほんとうにもういい。

残された時間はわからないけど、素直に、そして優しい気持ちで。
穏やかに過ごして行けたらいいなと思いました。

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