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あり得ない日常#53

 由美さんに先輩の話をしている。

 あまり、愚痴や人の事を話題にしたくないし、することもないのだが、例の事件の話の流れからつい、そんな話になったのだ。

 つい、というより、それも人間関係なので仕方が無い。
この際だから、思いっきり聴いてもらう事にしよう。


 こうして、クセの強い人間の噂というものは本人の知らない所で、様々な人の話のネタにされて広がっていく。

 コミュニティの外だ、万に一つも本人と交わることが無いだろうと散々言っていると、どういうわけか巡り巡って本人に伝わることもあるようだ。

 仕方がない。

 打ちのめされればいい。


 さて、おじいさんがいなくなってしまってから、こうして由美さんと夕食を共にするのが多くなった。

 今日は豚肉の生姜しょうが焼きを、おみそ汁とごはんで頂く。

 おじいさんが好きだったらしい。

 匂いに誘われてもしかしたら帰ってくるかもしれないね、なんて話をしながら二人で台所に並んで立っていると、初めてこうしていた時に、まるでお姉ちゃんが出来たような気がして嬉しかったことを思い出す。


「気持ち悪いけど、早めにそういう人だって気づけて良いんじゃない?」

 なるほど、そういうフィルターのような考え方も良いな。

「人って裏でどんなふうに言われてるかわからないからね。そういう人もいた方が、職場や集団としては助かるなんて思っていたりするのよ。」

 どういう事?と聞いてみる。

「え、だってさ、周りの人も、きっといい気持ちはしていないでしょ。だから、誰もやりたがらない仕事とか、めちゃくちゃな分量をあてがったりとか良いように扱うのよ。」

 ああ、そういう事か。

「嫌なら勝手に辞めていくだけだしね。結局さ、どんな存在より人間が一番恐ろしいかもね。」

 そこまで聞いてしまうと、余計に恐くなるな。

「だから、ヘイトを集める人が一人でもいてくれると、その間、他の人達は安心して過ごせるのよ。何なら結束が強まるくらい。」


 そういえば、何かの時に学校に行きたくなくて自分でこの世を去ることを選んだ子の夢を見たことがある。

 妙にその子の意識とシンクロしていて、普段どんなことをされているのかまで、手に取るようにわかってしまうのが苦しかった。

 ただこの時は、決してその子が悪いわけではなく、運悪くターゲットになりやすい存在だっただけだ。

 常に1人で居たがるような引っ込み思案な子だったな。

 他人事とは思えずに、ほんとうに悲しかったのを思い出す。


 わたしは今でこそ藤沢さんと仕事をしている状態だが、今まで淡々と時が過ぎていくのを忘れるくらいに一人で過ごすことが多かった。

 だから、由美さんが語るそういう認識は新鮮だ。


 そしてなるほど、むしろそういうケースは案外、表立って問題にされていないだけで、実際かなり多いんじゃないだろうかと思う。

 給料依存の社会時代なら、それこそだっただろう。


 現代では、昔の集団学校教育が廃止されて、インターネット回線を活用した個別教育にシフトしているが、教務センターの学習室に友達と連絡し合って通う子だっているしなあ。

 かと思えば、わたしがそうだが、淡々と認定試験を受けてさっさと高校クラスまで進めたいと思う人間もいるし。

 由美さんはどちらかと言えば前者タイプだろう。

 まだ、その頃は今の制度に移行していなかったので、中学、高校と弓道部で活躍していたらしい。


 価値観というよりは、人間がそれぞれの人生を自分のペースで進められるようになった、そのことが大きな価値に思えるとともに実感する。

 わたしだって考えてみれば、あの子と同じ境遇だとしておそらく、耐えられず、かといって逃げ場所も見つけられず、ついには同じ道を辿たどったかもしれない。

 悲劇を無くしたければ、お互い関わらないという選択肢も必要で、人間という恐ろしい生き物の世界は、ある意味それだけ難しいことを証明しているのかもしれない。


 食器を二人で片づけ終えて、外から聞こえてくる虫の音をお茶を飲みながら聞いていると、ただいまとおじいさんの声がした気がした。

 わたしだけかと思ったら、由美さんもそうだったらしく、えっと顔を見合わせる。

 世界はまだまだ、奥が深いのかもしれないな。


 この物語はフィクションであり、実在する人物や団体とは一切関係がありません。架空の創作物語です。

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