見出し画像

青いノート

7月に久しぶりに長期で実家に帰省したので、前々から姉たちに頼まれていた納戸の片付けを始めた。母も85歳になって体が思うように動かなくなり2階に上がることも滅多になくなったので、家の中を私達姉妹で少しづつ片付けなくてはという話になっていた。20年前に亡くなった父も、母も昔の人でなんでももったいないと取っておきたいタイプの人で、実家はとにかくいまだに使わないもので溢れかえっているが、それにプラスして私の学生時代の物が思った以上にまだ残っていたことに改めて気がつかされた。

高校を卒後してからデザイン系の専門学校に通っていた私のデザイン帳だの、課題発表用のプレゼンボードだの出てくるわ出てくるわ。歳の離れた姉たちと違って、ふわふわと生きていた私は進路を決める時に、受験勉強をしたくないという理由で、とくだん大好きという訳では無いが、まあまあ美術が好きという理由で、デザイン系の専門学校へ進学することに決めた。まぁ、そういうこともあって出てくる課題は見るたびに恥ずかしくなるくらい下手くそだ。
なんでこんなもの大事に取っておいたんだろうと、自分に腹を立てながらどんどん重ねて、紐でまとめていった。学生時代に学校で買わされた今となっては古臭いデザイン教本も本棚から全部取り出して段ボールに詰めていった。こっちは古本屋に持って行けば、期待するほどではないけど幾らかにはなるし売れない本でも全部引き取ってくれるので、別にしておいた。本棚を片付けている時に、見覚えのあるハードカバーの水色のノートが出てきた。表紙には、専門学校時代に好きだった写真家の作品が載っている。デザインも絵も下手くそなのに妙に芸術かぶれしていて、ギャラリー巡りをしては、お金もないのにこの手のグッズをしょっちゅう買っていた。本の間に何年も挟まれていたので外から見る限りまだ綺麗だったので、何も書いていなければ、メモ帳がわりに使おうかと、パラパラと中をめくって確認してみた。

そこには、昔の私の筆跡があった。女子高生が書くような子供っぽい筆跡。ノートの半分くらいまで何かが書き綴られていた。ランダムに選んだページに目を通してみると、それは私が20代だった頃に書き綴っていた日記だと分かった。歳を重ねてすっかり忘れていた記憶、いや、すっかり忘れていたわけではなくて、だんだんと歳を重ねるにつれてその時の記憶は少しづつ整理されていって、簡略化され、私の黒歴史という大きな括りで封印されてあったのだ。1ページ読んで恥ずかしさと、胸の奥に湧き上がってきたざわついた気持ちに、私は急いでノートを閉じて、慌ててそれを本棚に戻した。

でも、ここに置きっぱなしにしておいて、姉たちに読まれてしまったらそれこそ大惨事だ。そう思った私は、もう一度ノートを本棚から取って自分のバッグの奥底にしまった。その日は黙々と作業を続けてだいぶ物を整理できたが、到底1日で終わるような量ではなかったので、夕方には切り上げてまた後日続きをすることに決めた。滞在日数はまだまだある。

夜になってから、布団の中で横になりながらカバンの中の青いノートのことを考えていた。このまま読まずに捨ててしまおうかな。どちらにしても取っておくような物でも無いし、変に取っておいてもまた忘れてどこかに迷い込んで、誰かに読まれたらそれこそ黒歴史の上塗りだ。でも、どうせ捨ててしまうなら一度読み返してからにしよう。当時の私がどんなふうに考えていたのかも気になるといえば気になる。

結局私は実家滞在中、読み返さずノートはずっとカバンの底にしまわれたままになっていた。休暇が終わり、家の片付けも少しめどが立ったので、残りは近所に住む姉たちに任せ、私は実家を後にした。

自宅に着いてしばらくしてから、あのノートの事を思いだしやっと読んでみようとページをめくり始めた。

最初の数ページは、友達関係のことや、海外旅行の感想がランダムに書かれていたがやがてその内容は、当時私が経験した苦しくて痛々しい恋愛の内容で埋め尽くされていた。正直こんなに赤裸々に綴っていた自分にびっくりした。

でも、それは紛れもなく若かった時の自分の心の叫びだった。

このノートは絶対に葬らなくてはならないと思ったけど、どうしてもどこかに残しておきたくて、ここに綴ってこっそりと取っておこうと思った。
紛れもない私の生きた証拠であり、当時もがきながらも必死に自分を探し続けた健気な自分をどいうしても認めてあげたかった。50歳になった今再会した20代の私。

ここからは、ノートの文をそのまま書き写していこうと思う。わかりにくいと思うので軽く状況説明や今の私が当時の自分を振り返って思うことも少しだけ書き加えていこうと思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?