かむら・ゆず/猫連れて帰国FROM L.A.徒然NOTE

1996年渡米、ロサンゼルスにてほぼ30年近く音楽活動などしながら基本ファッションデザ…

かむら・ゆず/猫連れて帰国FROM L.A.徒然NOTE

1996年渡米、ロサンゼルスにてほぼ30年近く音楽活動などしながら基本ファッションデザイナーとして居住。 保護猫3匹と10歳年上のパートナーと暮らしていたが コロナ禍を通して人生観が変わり 日本へ再移住を決意。 日本再移住に際して立ちはだかる葛藤や法律の壁を徒然に書いていきます

最近の記事

閑話:HIPHOPは多様性の名の元に沈黙する 2

90年代という時代は80年代からの商業主義が一気に世界を覆った時代だと思う。 80年代にはまだ作り手の誠意が強く残っていたものが90年代後半から消費者に媚びる製作にシフトしていった 日本のHip-hop はやはり独特な成長をしたと思う 80年90年は今ほどリアルタイムで細かな情報が伝わる時代ではなかったので日本のIVYファッション黎明期と同じパターンを踏んでいったように見える 文化を肌で知るか知識で知るか アイビーファッションは日本で初めて若者の為の流行となった服飾だ。そ

    • 猫と飛行機に乗るベストな選択は。

      なんとかキャビン(客室)に連れていきたい。 3匹の猫を連れていくに当たって 貨物に載せたくない…というのが第一希望であった。 病院へ行くのでも「捨てられるぅ~✨」くらいの勢いで泣きわめく猫。 触ってあげているとそのうち落ち着くので可能ならキャビンOKのキャリアが選択肢だ。 ユナイテッドが一番ペットフレンドリー ここで先に結論を言うと ユナイテッド航空が一番カスタマーサービスの質が良く、ペットと飼い主の絆をわかってくれていると思う。 米系Aエアラインは同じ質問を4人違う

      • 閑話/Hiphopは多様性の名の元に沈黙する

        なぜhip hopは多様性のあるカルチャーと言われるようになったのか。 元配偶者がHIPHOP系の音楽関係の仕事をしていたこともあり、当時は日本人自体そう多くないこともあって私の身近には日本人コミュニティが無く、自然と黒人・ヒスパニック系のカルチャーの中にいることが多かった。 そんなHIPHOP生誕50周年ということもありアメリカ生活回顧録の一環としてちょっとHIPHOPに関して徒然してみようと思う HIPHOPは「音楽」ではない、カルチャーだ その頃はHIPHOPはだ

        • 猫とどうやって帰ろうか問題

          帰国計画にあたって悩んだのは猫だ。 猫が3匹もいる。 もう少し前に帰国しようと決めていれば少なくとも2匹で済んだのだが もう3匹目を引き取ってしまっていた。 こいつらはみな行先が無かったからうちへ来た子達だったので シェルターに置いていくという選択はもともと無く こいつらを世の中で一番可愛がれるのは自分しかいないという根拠のない自信に満ち溢れているので、里親というチョイスもなかった。 いくらかかろうが、連れていく。 お金は後から少額づつでも稼げる。 とカッコいいことを考えたが

        閑話:HIPHOPは多様性の名の元に沈黙する 2

          序章:新しいステージはコロナの始まりと共にやってきた

          話は前後するが2020年3月に始まったロックダウンのせいで会社がクローズしてしまい賃貸の家賃を失業保険から払うことになった。 当時は2ベッドのゲストハウスを1400ドルで借りていたのだが 失業保険の中から家賃を払う度に賃貸で住むことの心細さを初めて感じて 家を買おうと決意…コロナの前には考えられない心境の変化だった。 大家さんの家にはそんな時でも人の出入りが多く、コロナの感染が怖かったこと、予測不可能な先行の中、賃貸で家を借りているのがお金を「無」に費やしているような気分にな

          序章:新しいステージはコロナの始まりと共にやってきた

          日本へ帰ろう 猫つれて:人生の旅人

          日本へいつか帰るか?米国に骨を埋めるか? これは大方の米国に移り住んだ永住権のままの日本人が一度は考えることだと思う。 私もそれに答えがでないままほぼ30年ここに住み続けていた。 明確な答えはでないまま、日本へ…という思いへの比重が傾いているのは気が付いていた。 ただ、じゃあ帰ろ!というきっかけや強い思いはやはり無いままだった。 だけど、まだ少し後ろ髪をひかれつつ日本へ向かっていく自分がいるのに気づき、迷いながら 期待しながら悩みながら、そんな自分が流されつつ決意していく日々

          日本へ帰ろう 猫つれて:人生の旅人