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閑話:HIPHOPは多様性の名の元に沈黙する 2

90年代という時代は80年代からの商業主義が一気に世界を覆った時代だと思う。
80年代にはまだ作り手の誠意が強く残っていたものが90年代後半から消費者に媚びる製作にシフトしていった
日本のHip-hop はやはり独特な成長をしたと思う
80年90年は今ほどリアルタイムで細かな情報が伝わる時代ではなかったので日本のIVYファッション黎明期と同じパターンを踏んでいったように見える

文化を肌で知るか知識で知るか


アイビーファッションは日本で初めて若者の為の流行となった服飾だ。その先駆者が言っていたのは日本になかった文化を分かりやすく広めるために、ある程度の誇張だったり紋切り型のルールを雑誌などで広めていったが、それは決して本当の姿ではなかった。
それは「アイビールックを愛する日本人」の理想とするアイビーファッションとライフスタイルを投影していただけであったと。
それと同じように日本の雑誌などでわかりやすいチカノカルチャー(車)とギャングスタラップとグラフィティ、ブレイクダンス等がミックスされた何やらちょっと不良ぽくかっこよさげな舶来ものがHip-hop として知識として紹介されて浸透していった。
現在HIPHOPを名乗るものの多くが押し並べて「悪いヤツ」という印象をだそうとしているのは正にアイビーファッションの轍を踏んだからではないか。


Motownの正当な音楽性の継承者としてエイミーワインハウスが居たように、かならずしもそのカルチャーの中にいなければならないわけではないが
肌感覚という意味では、そのカルチャーの中に身を置いてみないとわからない感覚がある。
例えば日本で英語の文法も発音も正確にできるようになっても
アフリカンアメリカンのシットコムでCOOL AIDEやAUNT JAMAIMAがでてきた時にクスっとする、懐かしいような感覚だったり、文脈によっては内輪の自虐的な笑いだったりする感覚はたぶんわからないだろう。
ブロークンイングリッシュであろうと、その感覚に身を置いた人の理解はやはり違うのだ。
その意味でほぼHIPHOP黎明期に近い時代から その場所に居続け肌感覚でHIPHOPをとりこんできたDJ YUTAKAがアフリカ系やヒスパニック系と共にカルチャーを牽引しつづけれたのは知識ではなく体感でカルチャーとその歴史を知るほぼ唯一の日本人だったからではなかろうか。

HIPHOPは本当に死んだのか

その彼は日本のHIPHOPに関して厳しい事を言っている。
今の日本のHIPHOPは本来のそれではないと
Hip-hop という受け皿はあまりにも大きくいろいろなものを受け入れる懐の深い文化だったがために 正体不明の流行りものになっていった感がある。
ただ、それは日本だけの事ではなく、本拠地のアメリカですら同じ状況に思える

第一世代がかつて私に言ったようにHIPHOPは本当に死んだのだろうか?
確かに90年代2000年代から比べると勢いを無くしているように思う
だがダンスの分野は今でも元気に見えるし、本来の文化のコアの部分を持ち続けている
それはダンスのコミュニティの強さにあるのだろうか
ダンスは個人のものでありながらサークル(輪)の中で踊ることによってそのグループを一体化する。
アフリカンの系譜では輪を非常に大事にするが、アフリカンアメリカンのコミュニティで始まったこの文化にその系譜があるのはごく自然なことだ

商業主義にのみこまれるカルチャー



そして資本家にとって 「音楽」「アート」「ファッション」は利益化、商業化しやすいが「ダンス」はかならずしも商業ベースの資本家に旨味のあるコンテンツにならなかったともいえないだろうか
音楽やファッション アートは極めるにはとても高い壁があるものの、初心者にも始めやすいし、質も今の時代これが「アート」といえばそれなりに受けいられる時代になった
ただダンスは初心者はしり込みする傾向があるし、イベントとしても
せいぜい大きなコンペティションを開く程度でマーケットが限定されていた為にあまり他のカテゴリーほど商業主義に食い荒らされることなく、本当にHIPHOP(ダンス)を愛する人達の手に残り続けたことで
元々のHIPHOPカルチャーが内包していたものを守り続けた形になったのでないか

つづく


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